甲冑の基本情報

兜の種類
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甲冑(鎧兜)のなかでもひと際華やかで目を引く部位である兜は、人体を護るうえでも重要な部位のひとつです。しかし、中世以降、「鍬形」(くわがた)や「前立」(まえだて)などの立物で兜が飾られるようになっていき、戦国時代になると、頭を防護するための兜は、防具としての重要性だけでなく、使用者の信仰や威容を表す象徴的な意味を持った部位へと変化していきました。時代によって移り変わっていった兜の種類と、戦国武将が用いた兜を紹介します。

兜の種類と変遷

甲冑(鎧兜)は、その時代の戦闘に対する、最も適切な防具として作られていました。そのため、甲冑(鎧兜)には様々な種類が存在し、甲冑(鎧兜)に不可欠な部位である「」にも多様な種類が存在します。

兜は、「兜鉢」(かぶとばち)・「八幡座」(はちまんざ)・「吹返」(ふきかえし)・「」(しころ:𩊱とも)・「眉庇」(まびさし)・「立物」(たてもの)などによって形成されていますが、これらの部位も兜の種類によって、大なり小なり差異が生じているのです。

  • 八幡座
    八幡座
  • 吹返
    吹返
  • 錣
  • 立物
    立物

平安時代に登場した「星兜」

星兜

星兜

主な兜の種類のひとつが「星兜」(ほしかぶと)と呼ばれるもの。星兜は平安時代中期に登場した甲冑(鎧兜)「大鎧」(おおよろい)に附属する種類の兜で、大鎧と同時期の平安時代に誕生しました。星とは、星兜に存在する丸い突起のこと。

この突起は、兜鉢を形成する「矧板」(はぎいた)と呼ばれる、鉄の板をつなぎ合わせるための鋲(びょう)です。

はじめは矧板の数が少なく、星は大きく作られていましたが、矧板の数が増えると共に星も小さくなっていきました。星兜の頭頂部には「天辺の穴」(てへんのあな)と呼ばれる、髷を出す穴が開けられ、その周囲は八幡座と呼ばれる金物で装飾されています。

兜の装飾のひとつで、八幡座の前後左右に垂れるように飾る金物である「篠垂」(しのだれ)が付けられることもありました。なお、飛来した弓矢が顔に当たるのを防ぐ役割がある吹返も大きく作られています。

南北朝時代に登場した「筋兜」

筋兜

筋兜

筋兜」(すじかぶと)とは、星兜から派生した種類の兜で、南北朝時代頃に登場しました。「胴丸」(どうまる)や「腹巻」(はらまき)などの甲冑(鎧兜)と共に用いられることが多い兜です。

筋兜は、矧板を止める際、星兜のように鋲を表面に出さず、鉄板の片側を折り曲げて重ね、筋を立たせるように作られています。

はじめ、筋の数は24間や32間程度が主流でしたが、鉄砲が伝来した戦国時代には62間、84間、120間など、大量の鉄板を用いて、より堅牢に制作されるようになりました。

筋兜は、星兜に比べると装飾が少ないため、軽量で動きやすく、簡易に制作ができるのが特徴。錣の形も、大規模な合戦のなかで両手の行動を制限しない、横に広がった形状の「笠錣」(かさじころ)などが用いられるようになりました。吹返も同様の理由により小型化しています。

室町時代には「阿古陀形筋兜」(あこだなりすじかぶと)という、頭頂部がへこみ、後頭部が膨れたような形をした筋兜が登場。戦国期には衰退しましたが、以降の筋兜に大きな影響を与えたとされています。

戦国時代の流行「変わり兜」

変わり兜」(かわりかぶと)とは、兜鉢に独創的な加工がされたり、装飾が施されたりした兜のこと。一般的には様々な形状を模した兜である「形兜」(なりかぶと)のことを指し、代表的な形兜には、「頭形兜」(ずなりかぶと)、「桃形兜」(ももなりかぶと)、「突盔形兜」(とっぱいなりかぶと)などがあります。

これらの形兜は、面積の大きな鉄板を組み合わせたり、鉄板を打ち出したりする手法で制作されました。戦国時代になると、「張貫」(はりぬき)と呼ばれる紙や漆で成形した兜や、動物の毛を植毛した兜の他、奇抜な形をした兜も誕生したのです。

戦国時代には、兜を飾る立物にも数々の種類が誕生します。戦国武将達は、前立だけでなく、「脇立」(わきだて)や「頭立」(ずだて)、「後立」(うしろだて)など、目立つ立物によって兜を装飾するようになったのです。

これらの立物には、使用者の信仰や威容を表すために神仏を象ったものの他、動物や虫、植物、文字など、多種多様なモチーフがあり、独創的な変わり兜が流行。戦国武将達は兜を防具としてのみならず、戦場における戦勝祈願や、自らの戦いぶりを示す道具として扱っていたのです。

戦国武将の兜

伊達政宗の兜

伊達政宗の兜

「奥州の独眼竜」と呼ばれる戦国武将「伊達政宗」の兜である「黒漆塗六十二間筋兜」(くろうるしぬりろくじゅうにけんすじかぶと)は、世界的にも最も有名な兜のひとつで、大きな三日月を模した前立は、伊達政宗を連想させる象徴的なアイテムでもあります。

三日月の前立は、鍬形以外の前立が登場した南北朝時代以来用いられてきた、「妙見信仰」(みょうけんしんこう)に由来する伝統的なモチーフです。右側の前立が短く左右非対称となっているのは、右手で刀を用いる際に、手の動きを制限しないようにするため。

また、金色に輝く三日月は、戦場で立物が引っ掛かった際に折ることができるように木で作られており、上から金箔が張られています。このように伊達政宗は、兜の見た目だけでなく、機能性も重視していたのです。現在、本兜は「仙台市博物館」(宮城県仙台市)に所蔵されています。

武田信玄の兜

武田信玄の兜

「甲斐の虎」と呼ばれ、一時期は戦国時代最強の勢力誇った武将「武田信玄」が使用していたと伝わる兜のうち、最も有名なのが「諏訪法性兜」(すわほっしょうのかぶと)です。

諏訪法性兜は、「兜蓑」(かぶとみの)と呼ばれる、ヤク(インドなどの高地に生息するウシ科の動物)の毛が兜鉢に毛髪のようにあしらわれています。

豪華な彫金が施された眉庇の上には「獅噛み」(しかみ:獅子の頭部を模した前立)が付けられ、ヤクの毛と合わさって威厳のある姿を演出しました。この諏訪法性兜は、現在「諏訪湖博物館」(長野県諏訪郡)が所蔵しています。

細川忠興の兜

細川忠興」(ほそかわただおき)の兜のひとつとして知られている「越中頭形兜」(えっちゅうずなりかぶと)は、細川忠興自身が考案した具足形式「越中具足」(えっちゅうぐそく)に附属する兜です。越中頭形兜とは、ヘルメットのような形をした兜鉢を持つ頭形兜に、首の周辺部を覆うように垂れた「越中錣」(えっちゅうじころ)が付けられたもの。

また、越中頭形兜には吹返がないのも特徴です。細川忠興が用いた兜の最大の特徴は、頭頂部に付き出た頭立。この頭立には山鳥の尾羽を束ねた物が用いられており、この頭立は、細川忠興以降熊本藩主か、それに近しい人物に用いられる伝統的な装飾となりました。

錣には黒いヤクの毛で作った「引廻し」(ひきまわし)が付けられています。現在、この兜は細川家伝来の品が保管されている「永青文庫」(東京都文京区)所蔵です。

兜の種類

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面具(面頬)の種類

面具(面頬)の種類
甲冑(鎧兜)の附属品のひとつである面具(面頬[めんぽお/めんぼお])は、人体の中でも重要な部位である「顔」を護るための防具です。時代によって合戦の様式が変化すると共に、甲冑(鎧兜)の様式も変化していきましたが、同様に、面具(面頬)も変わっていきました。もともと、面具(面頬)は単なる鉄製の防具でしたが、戦国時代になると様々な形状や表情を象った物が流行。防具としての役割だけでなく、相手を威嚇するための仮面のような役割も果たすようになったのです。面具(面頬)の種類と、「刀剣ワールド財団」に所蔵されている面具(面頬)を紹介します。 名古屋刀剣ワールドの面頬(面具)YouTube動画

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甲冑の小札・縅

甲冑の小札・縅
「小札」(こざね)と「縅」(おどし)とは、甲冑(鎧兜)を構成する基本要素のひとつです。甲冑(鎧兜)の本体を直接作っている部位で、小札を縅すことによって甲冑(鎧兜)は形作られています。そのため、古来小札の質と甲冑(鎧兜)の質は直結しており、小札の品質が高い甲冑(鎧兜)は堅牢であるとして評価されました。甲冑(鎧兜)に用いられた小札と、小札を綴じ付けるために不可欠な縅の種類や役割を見ていきましょう。

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草摺・佩楯・臑当

草摺・佩楯・臑当
戦場において全身を防護する甲冑(鎧兜)は、兜や胴だけでなく、多くの部位から成り立っています。そんな甲冑(鎧兜)のなかでも、「草摺」(くさずり)と「佩楯」(はいだて)、「臑当」(すねあて)は、下半身を防護する部位。これらの部位も、戦法の変化に伴って、時代ごとに最適な形へと変わっていったのです。草摺と佩楯、臑当の3部位を詳しく見ていきましょう。

草摺・佩楯・臑当

甲冑の種類

甲冑の種類
甲冑(鎧兜)と一口に言っても様々な種類が存在し、時代を経るごとに多様な機能を持つ甲冑(鎧兜)が誕生しました。甲冑(鎧兜)は身を護るための防具であることから、時代ごとに変化する合戦の様式に合わせるため、最適な形へと変化していったのです。様々な種類の甲冑(鎧兜)が、いつどのように用いられていたのかを紹介します。

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甲冑の胴の歴史

甲冑の胴の歴史
甲冑(鎧兜)の胴とは、胸から腰までの胴体を護るための防具を言います。頭を防護するための兜と並んで、甲冑(鎧兜)には必要不可欠の部位である胴は、どの時代、どの甲冑(鎧兜)にも欠けることなく存在していました。そんな甲冑(鎧兜)の胴が時代によってどのように変化し、用いられてきたのか、どのような胴の種類があるのかなどを紹介します。

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甲冑の部位解説

甲冑の部位解説
甲冑(鎧兜)は多くの部位から成り立っていますが、身を護るための防具であることから、その部位にはひとつひとつに大切な役割が存在しています。また、甲冑(鎧兜)は、時代や合戦の様式の変化に伴い、長い歴史のなかで最適な構造や形式に変化していったために、それぞれの甲冑(鎧兜)に独自の部位が存在するのです。甲冑(鎧兜)の部位を、名称と共にどのような物かを解説していきます。

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著名な武将の甲冑

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中世において、甲冑(鎧兜)は身を護るための武具として発展し、様々な種類の甲冑が誕生しました。甲冑師が技術を駆使して制作した甲冑は、現在、美術的価値が高まったことで世界中から評価され、豪華に制作された著名な武将の甲冑も注目を集めているのです。刀剣ワールド財団が所蔵する、著名な戦国武将の甲冑の写しを紹介します。

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甲冑を作る

甲冑を作る
現在、お祭りやイベントなどで着用される甲冑(鎧兜)は、そのほとんどが古来の技術で制作された防具としての機能を持つ甲冑(鎧兜)ではありません。この場合、長時間の着用に耐えることができるように、プラスチックやアルミなどを素材として制作されたレプリカが用いられます。しかし、古来の甲冑(鎧兜)はどのように作られていたのでしょうか。甲冑師によって制作されていた甲冑(鎧兜)の作り方を紹介します。

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著名な甲冑師

著名な甲冑師
甲冑師とは甲冑(鎧兜)を制作する職人のことを指し、古来技巧を凝らした多くの甲冑が甲冑師の手によって作られてきました。しかし、甲冑師の工房が古くから各地に存在していたものの、日本刀を作刀する刀工とは違い甲冑師は一般的に広く知られる存在ではありません。甲冑師の仕事や甲冑師が広く知られていない理由、中世と近世、現代にかけての著名な甲冑師について紹介します。

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