「楠木正成」(くすのきまさしげ)ゆかりの日本刀は、国宝「小竜景光」(こりゅうかげみつ)。 「後醍醐天皇」(ごだいごてんのう)による鎌倉幕府の打倒計画に参加した正成は、「太平記」にも描かれている程です。正成の歴史の一部と日本刀をご紹介します。
1324年(正中元年)に鎌倉幕府の倒幕を決意した後醍醐天皇。その年に「正中の変」、1331年(元弘元年)に「元弘の乱」を起こしますが、いずれも失敗に終わっています。
正成との関係は、この元弘の乱で倒幕準備をしていた際、後醍醐天皇に謁見したことに始まります。
鎌倉幕府の倒幕に失敗した後醍醐天皇は、島流しとなりましたが、正成は倒幕に向けて戦を続けていました。
そうしたところ、1333年(元広3年)に正成の活躍に触発された「足利尊氏」(あしかがたかうじ)や「新田義貞」(にったよしさだ)、「赤松則村」(あかまつのりむら)らとともに鎌倉幕府を倒幕。
鎌倉幕府は、150年の歴史に幕を閉じることとなり、滅亡しました。
このように鎌倉幕府滅亡の中心的人物となったのが楠木正成なのです。
小竜景光(こりゅうかげみつ)の由来は、鎺元(はばきもと)に小さな竜(倶梨伽羅竜:くりからりゅう)の彫物があることから。鎌倉時代後期の備前国の刀工、長船系の3代目「長船景光」作の太刀で知られています。
このような名刀でありながら、室町以前の伝来は明らかになっておらず、豊臣秀吉の手に渡り、その後徳川家康の手に渡るなどしていましたが、幕末になって大阪の農家が所持していたところを買い上げられました。
その後、毛利家や「井伊直弼」(いいなおすけ)などを経て、明治になると「山岡鉄舟」(やまおかてっしゅう)が明治天皇に献上。終戦後、東京国立博物館に移管されたのです。
1949年(昭和24年)2月18日に旧国宝に指定され、1952年(昭和27年)11月22日に新国宝に指定されています。
所蔵刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
すべての浮世絵を見る閉じる