西洋 剣・刀剣・甲冑(鎧兜)編

西洋甲冑(鎧兜)の歴史
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西洋甲冑(鎧兜)の歴史 西洋甲冑(鎧兜)の歴史
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11世紀から18世紀にかけて、西洋甲冑(鎧兜)は著しく変貌します。その理由は、主要な武器が「剣」から「銃」へと変化したため。剣への防御力は高くても、「銃撃」に耐えられる「甲冑(鎧兜)」をついに作ることはできませんでした。甲冑(鎧兜)が「戦闘用」から「儀礼用」へと変化する、その変遷をたどりましょう。

西洋騎士の防具・「兜」編

「キリスト教」と「イスラム教」の激しい争いが巻き起こった11世紀の西洋では、騎士達の活躍と共にいくつかの新しい防具が開発されます。中でも「顔面をすっぽり覆った兜」が、この頃からよく使用されるようになるのです。

「十字軍」騎士の大兜「ヘルム」

ヘルム

ヘルム

「十字軍」として戦っていた「中世ヨーロッパ」の騎士達は、「ヘルム」という「兜」を着用していました。まるで「バケツを被った」ような特徴的なフォルム。数枚の金属板を繋ぎ合わせて顔面を完全に覆うように作られていたのです。前面には、横一直線にくり抜かれた覗き穴と、下半分に通気性を良くするための小さな穴が空けられていました。

ヘルムは、11世紀頃に開発された兜。初期タイプは、頭頂部が「平坦」な形状になっていたため、頭部に受ける攻撃の衝撃を受けやすいという問題を抱えていたのです。けれども、13世紀以降は、金属の加工技術の発展によりヘルムの頭頂部は「丸い」形状に改良。以前より衝撃を受けにくい物へと進化します。

その後もヘルムは改良を重ね、首と肩も覆うほどの「大きなヘルム」が登場。「グレート・ヘルム」と呼ばれ、当時最も防御力が高かったと考えられます。しかし、ただでさえ重く大きかったヘルムが、さらに「高さ」と「重量」を増したため、次第に戦場では使用されなくなりました。

ただし、グレート・ヘルムは「トーナメント」(当時ヨーロッパで習慣化していた軍事演習のこと)の専用兜として、14世紀末期まで活用されたのです。

重装騎兵用の兜「バシネット」

バシネット(ハウンスカル)

バシネット(ハウンスカル)

西洋では、14世紀から15世紀にかけて、甲冑(鎧兜)を制作する専門的な職人が現れます。そして、次々と高性能な「新型兜」が生み出されるのです。

ヘルムは非常に重かったため、「重装騎兵」(じゅうそうきへい:重装備した騎兵)は長時間戦闘するときには「軽量タイプの兜」を装着。中でも重装騎兵に最も使用されたのが「バシネット」という新しい兜でした。金属加工技術が発達したこの頃には、1枚の板金から騎兵の頭の形にぴったりフィットするように兜を成形することが可能に。軽量で防御力も高い兜を作ることができるようになったのです。

バシネットには、蝶番で留めるタイプの「格子細工」か金属の「面頬」(めんぼう:顔面と喉を覆う部分)が付いていたため、顔全体を防護できました。14世紀末期になると、面頬が「犬の口もとを尖らせた」ような個性的な形状に変化。15世紀初頭には「猟犬面バシネット」(通称:ハウンスカル)が、騎士の兜として最も普及したのです。また、この時代には金属のあご当てが付いている「グレート・バシネット」も登場します。

西洋騎士の防具・「盾」と「鎧」編

「中世」の西洋では、騎兵を中心に戦闘が繰り広げられ、勝敗の行方は彼らが握っていると言っても過言ではありませんでした。「西洋甲冑(鎧兜)史」においても彼らが及ぼした影響は大きく、騎兵は重要な戦力であることから、彼らのために作られた防具は山ほどあります。騎兵が最も活躍した10世紀から15世紀に使用された「盾」と、火器の普及によって甲冑(鎧兜)に変化が見られたナポレオン時代の「鎧」について見ていきましょう。

西洋騎士の新型盾「カイト・シールド」

カイト・シールド

カイト・シールド

中世の騎士が剣とセットで用いていたのが、「カイト・シールド」(凧型盾)です。西洋の「凧」(カイト)のような形状をしていることから、そう呼ばれました。多くの騎兵用武器や防具と同様に、10世紀頃にゲルマン系民族「ノルマン人」が、西洋に攻めてきた際に持ち込んだのが起源ではないかと言われています。それまで騎兵は、「ラウンド・シールド」(円形盾)を使用していました。

しかし、形状が「円」だと下半身をカバーできず攻撃されてしまうため、カイト・シールドのように下の部分が伸びた物が制作されるようになったのです。

カイト・シールドは、数枚の木の板を重ねて強化した物。皮や薄い金属板で、表面が加工されている物もあります。また、裏側には「イナーメ」という持ち手(ベルト)が2つ付いていて、ひとつ目のI型のベルトに二の腕を通して、2つ目のX型のベルトを握ることで、盾をしっかりと固定して持つことができました。

さらに「ギーガ」という長い革紐が付属。運ぶときには、この革紐を使って、利便良く背負うことができたのです。騎兵が扱いやすいように工夫を凝らして作られた、このカイト・シールドは、当時のヨーロッパであっと言う間に広まり、西洋の騎士達から絶大な支持を得ました。しかし、14世紀頃に鎧が急速に進化すると盾はその役目を失い、次第に戦場から姿を消していったのです。

「西洋甲冑(鎧兜)」と消えた騎兵

プレート・アーマー

プレート・アーマー

15世紀の西洋では、甲冑(鎧兜)の完成形でもある「プレート・アーマー」(板金鎧:ばんきんよろい)が定着。恐らく西洋甲冑(鎧兜)史の最盛期は、この時代だったと言えるのではないでしょうか。

当時のヨーロッパでは、甲冑(鎧兜)を作る職人のレベルが非常に高く、名工と呼ばれる職人達は、外国へ出向いて甲冑(鎧兜)を制作するという役目もこなしていました。多くの剣がそうだったように、甲冑(鎧兜)も貴族や上流階級の騎士が持つ「高価な装飾品」=「ステータスシンボル」として、次第に機能するようになるのです。

「甲冑(鎧兜)」は「護る」物ではなく「見せる」時代へ

15世紀になって、「マスケット銃」などが軍隊の武器として採用されると、兵士達の甲冑(鎧兜)は、それまで騎兵用に作られてきた金属製の鎧では、全く歯が立たない状況になりました。

西洋の戦場で主役だった重装騎兵達は、16世紀になると戦闘での活躍の場を失い、途端に姿を消してしまったのです。これは銃が登場した影響。どれだけお金をかけて完成度の高い甲冑(鎧兜)を作っても、彼らが銃撃に耐えながら戦闘ができるような状況になることはありませんでした。

決定的敗北となったのが、1513年に「イタリア戦争」中に繰り広げられた「ノヴァーラの戦い」。高価な鎧をまとったフランスの騎士達が、スイスの傭兵に簡単に撃ち落とされてしまったのです。この事実は騎士のプライドをズタズタに斬り裂き、ヨーロッパの各国では騎兵の時代が終わったことを認めざるを得ませんでした。こうして、甲冑(鎧兜)は戦闘で使用されなくなり、完全に儀礼用としての役割を持つようになっていったのです。貴族は自分の地位を示すために、ふんだんに装飾を施した甲冑(鎧兜)を所有するようになりました。

ナポレオン時代の鎧「胸甲」

「近世」になり、西洋ではもはや鎧の存在価値が危ぶまれましたが、18世紀にフランスの偉人「ナポレオン」が登場することによって、ある鎧が誕生します。

胸甲

胸甲

それは「胸甲」(きょうこう)という名の鎧。胸部と背部をしっかり防御する分厚い胸当てと背当てからなるシンプルな鎧ですが、シンプルながらその防御力は非常に高い物でした。

剣による斬撃や刺突だけでなく、弾丸ですら至近距離でなければ貫通しないほど。頑丈に作られている分、重量は10kgから重い物だと15kgにも達していましたが、当時の「フランス軍」騎兵達は、問題なく戦闘に臨んでいました。

胸甲騎兵

胸甲騎兵

この胸甲をまとった彼らは「胸甲騎兵」(きょうこうきへい)と呼ばれ、「重装騎兵の精鋭部隊」として戦場で活躍。ナポレオン率いる胸甲騎兵達は、当時の西洋で圧倒的な強さを誇り、他国の胸甲騎兵では太刀打ちできないと言われるほど恐れられたのです。

イタリアとドイツの名工たち

「甲冑(鎧兜)師」と呼ばれる職人が最も多かった都市は、イタリアのミラノ。15世紀には、およそ200人もの甲冑(鎧兜)師がいたそうで、当時甲冑(鎧兜)の製造で世界的に名を馳せていました。特に有名なのが「ミッサーリア家」。甲冑(鎧兜)づくりの名門として、西洋各地の貴族達から「甲冑(鎧兜)制作」の依頼が絶えませんでした。

最大のライバルは、有名な甲冑(鎧兜)師が多くいた、ドイツのニュンベルク、アウクスブルク、ランツフート。これらの都市では、競い合うように品質の高い甲冑(鎧兜)を作り出していたのです。

また、イタリアとドイツ以外のヨーロッパ各国では、ほとんどがこれらの都市で作られた甲冑(鎧兜)を模倣。フランス、イギリス、スペインといった国々も、イタリアとドイツに影響を受けて甲冑(鎧兜)づくりを行なっていました。それでも、イギリスの貴族やフランスの騎士のほとんどが、甲冑(鎧兜)はわざわざ「イタリア」に注文していたようです。

  • プレートアーマー
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  • 西洋甲冑 胸甲(前胴)兜付
    西洋甲冑 胸甲(前胴)兜付

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古代ヨーロッパの甲冑(鎧兜)

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