70年代当時の津軽鉄道は珍しくもない国鉄キハ20擬きの気動車が主力で左程興味が湧きませんでしたが、オハ31系客車の存在は気になっていました。あまり鉄分の濃くなかった鉄研の夏合宿を金木斜陽館で行った時が初めての訪問となりました。その時は金木までの往復に留まりましたが、その後社会人1年目の夏休みにしっかりと再訪しました。客車列車が冬季のみの運転となったため、足が遠のきましたが、あの手の気動車も他に無くなったことに平成になってから気付いて何度も訪問することになりました。ここでは70年代の2回の訪問時の写真をご覧いただき、最近のものは別の機会にまとめたいと思います。
1975年8月28・29日、1977年8月21日・22日撮影
2005年10月2日製作

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合宿参加者全員で五所川原から金木まで乗車、斜陽館にチェックインの後、夕立上がりの沿線で撮影しました。当時はキハ2400形が客車を牽く運用がありました。嘉瀬、金木間

昭和50年8月28日撮影

金木駅を発車したキハ2400形単行の五所川原行きです。貨車が見られなくなったことと車両以外は今も余り変わらない光景です。嘉瀬、金木間

昭和50年8月28日撮影

翌朝五所川原行きを待っていると津軽中里行きの客車列車が入って来ました。当時通勤通学時間帯は客車の輸送力列車が設定されていました。金木駅

昭和50年8月29日撮影

手前ナハフ1200形1両とオハ310形の4両編成です。ストーブ列車以外の客車列車を見たのはこの時だけで、オハ310形はとうとう乗車の機会がありませんでした。金木駅

昭和50年8月29日撮影

欲求不満が残った最初の訪問の2年後、2日にわたって再訪しました。長大な貨車の最後尾にナハフ1200形1両を連結した混合列車が五所川原を発車するところです。右の信号機は国鉄五能線のもので、奥に駅の跨線橋が見えます。五所川原、十川間

昭和52年8月21日撮影

上の列車の後部です。ナハフ1200形は元西武鉄道の電車でした。この日はこの後鉄を離れて十三湖など津軽半島観光に費やしました。五所川原、十川間

昭和52年8月21日撮影

翌日は鉄に絞って嘉瀬で下車、金木まで線路沿いに歩きました。生え抜きのキハ2400形2連の五所川原行きです。嘉瀬、金木間

昭和52年8月22日撮影

2年前には無かった元国鉄キハ11形のキハ2400形2両が活躍していました。岩木山をバックに快走です。嘉瀬、金木間

昭和52年8月22日撮影

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