4 日本近世の写本と版本と高札


[4-17] 鎖国論 2冊. 文化十三年(1816) 岡本宣盛の写.[太田研究室所蔵]


 転写本。元禄時代にドイツ人ケンプェルが,オランダ東印度会社の医師として長崎の出島に 数年滞在した。この間に見聞きしたことをもとに,後に『日本誌』を著わしたが,享和元年 (1801),阿蘭陀通詞の志筑忠雄が,徳川幕府の対外政策について記された『日本誌』の一部 分をいち早く抄訳した。この時に,幕府の対外政策のことを,初めて「鎖国」と言う語で表現 したことでよく知られている。これ以前に「鎖国」という語を使用した例は,見い出されていない。

[4-18]天保九(1838)戊戌 和蘭蛇船入津風説書略 1冊. 川口宗重著. [210.58-Te-37]


 海外情報を記した一写本。幕府は,オランダ東印度会社の船が長崎出島に渡来した時に, 海外の様子を記した報告書の提出を義務付けていた。これは「和蘭風説 書」と称されたが, 江戸時代も後期になると,幕府に提出された「和蘭風説書」とは別に,オランダ商館から得ら れた海外情報が,世間に流布するようになる。これもその一つである。

[4-19]海外余話 安政2年(1855)刊. 5冊. [391-Su-51]


 海外情報を記した一版本。徳川幕府は,いわゆる鎖国政策をもって,外国との往来を厳しく 制限し,また,私的な文物のやりとりも禁じていたが,幕末になり,幕府の権力が低下しだす と,海外の情報が色々と流入し,このような版本となって,世間に流布するようになる。