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マルティーヌ・フランク、アンリ・カルティエ=ブレッソンが愛した写真家。

写真が切り取るものは、嘘でも真実でもない──アンリ・カルティエ=ブレッソンの妻で写真家、マルティーヌ・フランクは、生前、写真について問われた際にこう返したのだという。パリでの回顧展開催を祝い、偶然性を愛し、ユーモアを味方につけた写真家の眼差しを振り返ろう。
FRANCE. Paris. Grand Palais. 1972. "Peintres de l'imaginaire exhibition". Painting by Paul DELVAUX.

アンリ・カルティエ=ブレッソンの妻で写真家、マルティーヌ・フランクの回顧展が、パリ・マレ地区に移転オープンしたアンリ・カルティエ=ブレッソン財団で開催されている。

控えめで上品なフランクのイメージは、彼女の豪快な笑いで覆される。フランクの夫で元フォトジャーナリストのアンリ・カルティエ=ブレッソンは、「彼女が笑ったのを目にした瞬間、恋に落ちた」というほどに、その笑顔に魅了された一人だ。

普段のフランクからは想像できない豪快な笑いのように、彼女の作品にもまた、ユーモラスな仕掛けが散りばめられていた。ポール・デルヴォーの絵画に描かれたヌードの女性が、まるで鑑賞者である老婦人を覗き込んでいるかのよう──シュルレアリスム絵画の展覧会で撮影されたシリーズは、こんなコミカルなハプニングで溢れている。

NEPAL.Bodnath. Shechen Monastery. Tulku KHENTRUL LODRO RABSEL (12 years old) with his tutor LHAGYEL. At the age of 5, KHENTRUL decided that he had lived enough with his parents and that it was time for him to enter the monastery. Two or three years after their death, important lamas are reincarnated in the body of a child. The search for this child is based on the information left by the lama himself: dreams, visions and the intuition of other lamas. The Tulkus are discovered at 3 or 4 years of age, declared at about 4 or 5 and then enter the monastery at the age of 6. According to the rules of the monastery, each Tulku is instructed by a tutor and is either prevented or restricted from seeing other young monks from their age group. All the Tulkus are called Rinpoche which means "the precious one".

やさしい眼差しと偶然性。

FRANCE. Provence-Alpes-Côte d'Azur region.Town of Le Brusc. 1976.Pool designed by Alain CAPEILLERES.

しかし、その作品の多くは、フランクの人柄よろしく、優雅で隙がなく、真面目で心のこもったものだった。1938年にベルギーのアントワープで生まれたフランクは、第二次世界大戦中に米国に移り住み、その後、マドリードとパリで美術史を学んだ。彼女がカメラに情熱を注ぎ始めたのは1963年、東アジアを旅行しているときのことだった。翌年パリに戻った彼女は、『VOGUE』や『Life』『The New York Times』といった媒体に、パリのアートシーンを収めた作品を寄稿しはじめた。

彼女のレンズは、アートだけではなく、政治的なプロテスト運動や貧困にも向けられた。そして1972年、彼女は写真エージェンシー「Viva」を共同設立する。

フランクはまた、光と影が織りなす一瞬の光景を、素早くカメラにおさめる機敏さも持ち合わせていた。彼女の作品のなかで最も有名な写真──南フランスで撮影されたその作品には、ハンモックに寝そべる男の子とその影が、ドラマチックに対比されている──は、巧みな演出による完璧な1枚に見えるが、実は偶然の産物だったという。

フランクは生前、こんな言葉を残している。

「写真というものは嘘でも真実でもありません。私が写真を愛する理由は、予測できない瞬間に出会えるから。その偶然の瞬間を追い求めると同時に、常に、そうした偶然性を逃さず捉える準備をしていなくてはいけないのです」

INDIA.State of Orissa. Town of Puri.

サラ・ムーンとの友情。

FRANCE. Paris. 12th arrondissement. Sarah MOON, French photographer and film-maker, during the filming of her book "Le Petit Chaperon Rouge".

フランクのポートレイトから醸し出される親近感は、被写体とのつながりを生み出す彼女の能力の賜物だ。1980年代前半に撮影された1枚では、アーティストで写真家のサラ・ムーンが、飛び跳ねる少女とともに日向の敷石道でスキップする様子が収められている。

ムーンがフランクと出会ったのは1969年のことだ。当時モデルとして成功を収めていたムーンは、ファッションフォトグラファーとしてのキャリアを切り拓こうとしたところだった。フランクは『VOGUE』からの依頼で、そんなムーンの自宅で写真撮影を行った。ムーンはフランクとの撮影を「自信がわいて、安心できた」と振り返る。

「彼女がもつ共感力やデリカシーは、彼女が撮影したポートレイトすべてに表れているわ」

『VOGUE』の撮影のあと、フランクとムーンは「真の友情」を育んだ。その友情は、フランクが亡くなる2012年まで続いた。

件のスキップ写真は、ふたりの出会いから15年後、ちょうどムーンがのちに高く評価されることとなる「赤ずきん(原題:Little Red Riding Hood)」(1983)の制作にとりかかっていたときに撮影されたものだ。

カルティエ=ブレッソンが認めた才能。

IRELAND. Donegal. Tory Island. 1995.

パリの老人、アメリカの路上で生活する人々、そして、不安定な日々を送るアイルランドのトーリー島の住民たち。誰を撮影しようとも、フランクは長い年月をかけて、根気強く被写体からの信頼を勝ち取っていった。その姿勢は、夫のカルティエ=ブレッソンが「マルティーヌはただ道を歩くってことができないんだ」と呆れるほどだった。

フランクが未来の夫に出会ったのは1966年のことだ。彼女はカルティエ=ブレッソンより30歳も年下だったが、当時すでに写真家として成功していた。フランクはVivaの一員として11年間活動したのち、カルティエ=ブレッソンが1947年に共同設立した写真エージェンシー「マグナム」に参加した。

ふたりが結婚したのは、カルティエ=ブレッソンの名目上の引退年と同じ年だった。彼は引退後もすぐにカメラを手放すことはなく、その後は絵画の再発見に多くの時間を捧げた。

カルティエ=ブレッソンの写真家としての名が廃れることはなかったが、フランクの名が、彼を超えることもあった。1983年、フランス政府が開催したフランクの写真展を記念して行われたディナーの席で、ゲストの一人に職業を問われたカルティエ=ブレッソンは、こう答えたそうだ。

「私は、あのアーティスト(=フランク)の夫です」

アンリ・カルティエ=ブレッソンが1972年に撮影した、マルティーヌ・フランクのポートレート。

「Martine Franck」展
場所/アンリ・カルティエ=ブレッソン財団 79, Rue des Archives 75003 Paris
会期/公開中〜2019年2月10日(日)
Tel. +33 (0)1 56 80 27 00

Photos: ©Martine Franck/ Magnum Photos Text: Hettie Judah Translation: Asuka Kawanabe