ナルヴィク
ナルヴィク
ナルヴィク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 10:01 UTC 版)
ナルヴィク攻略にあたる部隊(グループ1)は駆逐艦ゲオルク・ティーレ、ヴォルフガング・ツェンカー、ベルント・フォン・アルニム、エーリッヒ・ギーゼ、エーリッヒ・ケルナー、ディーター・フォン・レーダー、ハンス・リューデマン、ヘルマン・キュンネ、ヴィルヘルム・ハイドカンプ(旗艦)、アントン・シュミットで構成され、フリードリヒ・ボンテ司令官(のち准将へ昇格)が指揮した。各艦にはエデュアルト・ディートル少将が率いる第139山岳猟兵連隊の陸軍将兵が約200名ずつ、合計1,900名が乗っていた。グループ1は4月6日夜にヴェーザーミュンデから出航し、トロンハイムへ向かうグループ2や巡洋戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウとともに北上した。その途中、遭遇したイギリス駆逐艦グローウォームを撃沈した。4月8日夜にロフォーテン諸島沖で2隻の巡洋戦艦と別れてグループ1ヴェストフィヨルドを北上し、4月9日未明にナルヴィクへ通じるオフォトフィヨルドに入っていった。ナルヴィクには、ノルウェー海軍のノルゲ級海防戦艦アイツヴォルとノルゲが停泊していた。ドイツの駆逐艦によるフィヨルド侵入が伝えられていたため、海防戦艦では戦闘準備が整えられていた。4時15分に吹雪の中からドイツの駆逐艦が現れると、港外に停泊していたアイツヴォルは発光信号で誰何したがドイツ駆逐艦からの返答はなかった。そのため警告射撃を行い停船を命じる信号旗を掲げた。この後ヴィルヘルム・ハイドカンプは停止し、ゲルラッハ(Gerlach)中佐と信号手がアイツヴォルへと向かった。ゲルラッハはアイツヴォルのヴィロック(Willoch)艦長と会い、降伏を要求した。ドイツ軍の侵入者に対しては抵抗するよう命じられているため上官と相談する必要があるとヴィロックは述べた。ヴィロックは上官に連絡を取り明確な攻撃命令を受けた。それを告げられたゲルラッハは、アイツヴォルから離れると赤色の信号弾を発射した。この時、ヴィルヘルム・ハイドカンプはアイツヴォルから700m離れた場所にあり、魚雷発射管はアイツヴォルのほうに向けられていた。ボンテはアイツヴォルからの攻撃があるまで攻撃を待とうとしたが、アイツヴォルが体当たりを試みようとしているように見えたこともあり、ヴィルヘルム・ハイドカンプ艦長Hans Erdmenger中佐が魚雷発射命令を求め、ボンテも許可した。ヴィルヘルム・ハイドカンプは4本の魚雷を発射し、その内2本ないし3本が命中した。アイツヴォルは弾薬の誘爆と思われる爆発を起こし、沈没した。艦長以下177人(または115人)が死亡し、生存者は8人であった。一方、ゲオルク・ティーレとベルント・フォン・アルニムは停船せず、港内に入って兵員を上陸させ始めた。港内に入ってくる2隻のドイツの駆逐艦はノルゲから視認されたが、すぐに雪の中に消えてしまった。続いてアイツヴォルが爆発した音が聞こえたが、やはり何も見えなかった。再びドイツの駆逐艦が確認できると、ノルゲのペール・アスキム艦長は砲撃を命令した。が命中はしなかった。ベルント・フォン・アルニムが12.7cm砲で応射したが、こちらも命中しなかった。続いてベルント・フォン・アルニムが7本の魚雷を発射した。2本がノルゲに命中し、ノルゲは転覆して沈没した。アスキムを含め96人が救助されたが、105人が死亡した。ナルヴィクは上陸したドイツ軍により占領された。 詳細は「ナルヴィクの戦い」を参照
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ナルヴィク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 04:37 UTC 版)
詳細は「ナルヴィクの戦い」を参照 グループ1は途中までグループ2と共に航行した。途中、イギリス海軍のG級駆逐艦グローウォームを撃沈。4月9日未明にグループ1はナルヴィクのあるオフォトフィヨルドに入り、ナルヴィクなどに兵員を上陸させた。また、ナルヴィク港ではノルウェー海軍のノルゲ級海防戦艦エイスヴォルとノルゲが投降要求に応じなかったので撃沈した。4月9日午前に、ナルビク地区の防衛司令官サンドロ大佐は、市民の犠牲を避けるため降伏し、ナルビク市街と重要な武器弾薬貯蔵庫のあるElvegårdsmoenは、無血でドイツ軍の手に落ちた。イギリス海軍は、オフォトフィヨルドに侵入して、4月10日未明に第1次ナルヴィク海戦、4月13日に第2次ナルヴィク海戦が発生した。この2度の海戦でグループ1のドイツ軍駆逐艦は全滅した。4月14日に、イギリス軍は、ナルヴィクの北西40kmのハーシュタに上陸し、6月8日まで、イギリス・フランス・ポーランド・ノルウェー連合軍とドイツ軍の間で、ナルヴィク周辺で戦闘が続いた。ドイツ軍はナルヴィクを占領したが、孤立しており、数的には、連合軍は6倍近い優勢だったが、防衛軍に有利な地形を利用して、防戦に努めた。5月28日に連合軍はナルヴィクを奪回したが、フランスでの大敗により、イギリスは5月24日に撤退を決定済だった。連合軍は、6月8日に撤退し、ドイツ軍は再び、ナルヴィクを占領した。
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