羽根車の実験とトムソンとの出会い
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「ジェームズ・プレスコット・ジュール」の記事における「羽根車の実験とトムソンとの出会い」の解説
このような幾たびかにわたるジュールの仕事当量の測定は、相変わらず一般には認められなかった。1845年、ジュールはまた別の方法で仕事当量の測定を行った。これは、おもりの重さで水中の羽根車を回し、その運動による水の温度上昇を測定するという手法であった。この装置は、温度の変化を華氏0.005度の単位で測定できるという、当時では他に誰も実現できない精度をもっていた。ジュールは1845年以降、この手法で繰り返し測定を行った[要出典]。 この実験も最初は無視され、2度目の発表(1847年)の際には、事前に司会から、手短に済ませるように注意を受けていた。そのため発表は簡単なものになったが、発表を終えたとき、出席者の一人が立ち上がり、内容に興味を惹かれたといった旨の発言をした。ウィリアム・トムソンであった。 こうして、ジュールはトムソンと親交を深めるようになった。ジュールはこの発表会の少し後にアメリア・グライムスと結婚し、新婚旅行でスイスに出かけたが、その際、偶然に旅行中のトムソンと出会っている。トムソンの話によれば、そのときジュールは温度計を持っていたという。ジュールは、滝が落ちるときに落下のエネルギーが熱に変わるから、滝の上と下では下のほうが温度が高くなっていると考え、それを実証しようとしていたのであった(実際には温度の差はごくわずかなものなので、手持ちの温度計では確かめられなかった)[要出典]。 トムソンに認められた頃を境に、ジュールをとりまく環境にも変化が現れてきた。はじめはジュールの理論に賛同するものは異端者扱いされていたが、やがて、ジョージ・ストークスがトムソンに、「ジュールを信じる気になってきた」と語るなど、徐々に支持が広がっていった。1848年には、トリノの王立科学アカデミーの通信会員に選ばれた。さらに1849年に行った羽根車の実験は、マイケル・ファラデーの紹介のもと、王立学会で発表され、翌年にはジュールは王立協会の会員となるにまで至ったのである。
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