パロディ・モンタージュ写真事件
著作権侵害を巡る日本の民事訴訟 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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パロディ・モンタージュ写真事件 (パロディ・モンタージュしゃしんじけん)[注 1]とは、山岳写真家・白川義員の写真作品の一部が、フォトモンタージュ技法を用いてグラフィックデザイナーのマッド・アマノ(本名:天野正之。以下アマノと記す)によって無断合成されたことに端を発する日本の民事訴訟事件である。アマノは自動車公害を風刺する目的でモンタージュ (合成) 写真を創作しており、著作権法上の剽窃 (盗用の意、著作財産権侵害の一つ)、および著作者人格権侵害に該当するかが問われた。特に第一次上告審での1980年 (昭和55年) 最高裁判決は[注 2]、著作権法上の引用の2要件「明瞭区別性」と「主従関係」(付従性)[注 3]を具体的に示したことから 2要件説 とも呼ばれ[19][20]:10–12、著作権法のリーディングケースとしてたびたび参照されている[21][6][18]。
1971年 (昭和46年) に白川が提訴すると[注 4]、その後は最高裁によって権利侵害が認められて控訴裁に2度差し戻され[2]、最終的に提訴から16年後の1987年に当事者間で和解が成立した[23][24]。アマノ側は訴訟中、モンタージュ写真が自身の思想・感情を投映した新たな創作物であり、剽窃ではなく著作権法で認められている合法的な引用の範囲だと抗弁した[25]。しかしこのモンタージュ写真は、原著作物である白川の雪山写真の本質的な特徴をそのまま感得できることから[26][27]、パロディや風刺目的であるか否かを問わず権利侵害であると最高裁で示された[28]。したがってパロディと著作権問題を直接扱った判例とは言えないにもかかわらず[29]、本件以降、日本ではパロディを通じた表現の自由が法的に狭められた[30][31]、パロディの息の根が止められたなどの見解が散見され[32]、日本の写真史にも名を残すこととなった[33]。
なお、本件は 旧著作権法 (明治32年3月4日法律第39号) が適用されて法廷で審理された[34][注 5]。ただし 現行著作権法 (昭和45年5月6日法律第48号) の施行後に判決が下されていることから、本項では対比のために旧著作権法を「旧○条」、それに対応する現行著作権法を「現○条」と表記して、以下解説する。