「地層の記録」が明らかにした関東地方の大津波

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■房総半島東方沖に面した地域は歴史記録が少なく、1677年より前の巨大津波の履歴が分からなかった。千葉県九十九里地域での地質調査で、過去の津波の痕跡である「津波 堆積(たいせき) 物」を2層発見した。古い方の津波は歴史上知られていない「未知の津波」だった。

■津波による浸水をコンピューターで再現したところ、マグニチュード(Mw)8クラスの地震が房総半島沖で発生していたことが分かった。

■東日本大震災以降、津波堆積物の研究は進んでいるが、十分な調査が行われているとはいえない。今後の地震・津波の長期予測のためにも、全国的な調査をさらに加速させる必要がある。

国立研究開発法人産業技術総合研究所 地質調査総合センター  
活断層・火山研究部門 上級主任研究員 澤井祐紀  

地形や地質に記録される巨大地震・津波の記録

 過去に発生した地震・津波の痕跡は、様々な形で記録される。巨大地震によって海岸が隆起すれば、平らな段丘地形が形成される。大きな揺れによって液状化現象が起きれば、吹き出した砂の痕跡が残る。私たちは、特に過去の津波の直接的な証拠である「津波堆積物」に注目した研究を続けてきた。

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 海溝型の巨大地震で大きな津波が発生すると、海岸に押し寄せる波によって周囲の土砂が浸食・運搬される。運搬された土砂が陸上に堆積したのが津波堆積物だ。地層の中から過去の津波堆積物を発見できれば、地震発生当時の浸水範囲を復元できる。複数の津波堆積物の年代を詳しく計測することで、現在までに巨大津波がどれくらいの間隔で発生していたかを算出することもできる。

 津波堆積物研究の歴史はまだ浅く、初めて確認されたのは1960年のチリ地震津波での三陸地方のものといわれている(注1)。その後、大きな地震・津波を経験するたびに津波堆積物の研究は大きく進展し、特に2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)以降は、国内の多くの研究者や事業者が調査に取り組むようになった。とはいえ、巨大地震・津波に関する観測記録や歴史史料が十分残っておらず、地質の記録によりその履歴の復元が待たれる地域はまだたくさんある。

三つのプレートがぶつかり合う房総半島東方沖

 房総半島の東方沖もそうした地域の一つだ。日本海溝、相模トラフ、伊豆―小笠原海溝が接し、それぞれの海溝やトラフを形成している太平洋プレート、大陸プレート(北米プレート)、フィリピン海プレートが重なるこの場所は、「プレートの三重点」とも呼ばれる。複雑に重なるプレート境界で、過去にどのような地震・津波が発生したのかは、十分に解明されていない。

図提供:産業技術総合研究所
図提供:産業技術総合研究所

 東日本大震災以降、日本海溝の北部・南部周辺での地震の発生履歴については、国際的な関心が高まっていた(注2)。三陸沖から南北方向に破壊が起きた東北地方太平洋沖地震の「割れ残り」を調べる上でも、震災から間をおかずに調べる意義がある。海外の研究者を招き入れた国際共同研究として房総半島東方沖に面した九十九里地域の過去の津波の履歴調査が始まったのは、津波の発生履歴を調べることが、今後の長期予測にもつながるという期待があったからだ(注3)。

九十九里地域で見つかった津波の痕跡

 津波堆積物で過去の津波を知ることができるなら、日本中の海岸を調べれば津波の繰り返しが分かるではないか、と思われるかもしれないが、ことはそう簡単ではない。津波堆積物には残されやすい場所とそうではない場所があり、残されやすい場所は非常に限られている。

 経験的に津波堆積物が残されやすいことが分かっている場所の一つに、「堤間湿地」とよばれる地形がある。この地形は 浜堤(ひんてい) (注4)という海岸線に沿って 砂礫(されき) が堆積した列と列の間にできる。堤間湿地には水がたまりやすいため、ふだんは池や湿原となっており、泥や泥炭が堆積している。津波の浸水によって一時的に環境が変わってしまうことはあっても、比較的早く元に戻るため、残された津波堆積物を保護するように泥や泥炭が堆積し、地層の中に津波堆積物が残されやすい。

九十九里地域での調査風景(写真提供:産業技術総合研究所)
九十九里地域での調査風景(写真提供:産業技術総合研究所)
写真提供:産業技術総合研究所
写真提供:産業技術総合研究所

 房総半島の北東部に広がる九十九里海岸には浜堤と堤間湿地が連なっており、津波堆積物の研究に適した場所だ。この地域の昔の地図や絵図を見ると、堤間湿地に相当する場所には池などが描かれている。現在は埋め立てられて水田などに利用されているため、一見しただけでは元の地形がわかりにくくなっているが、私たちは昔の地図を参考にしつつ地形を読み取り、堤間湿地が埋め立てられた場所に狙いを定めて掘削調査を行った。

 九十九里地域にある匝瑳市、山武市、一宮町の計140余の地点で掘削調査を行ったところ、泥炭層の中に二つの明瞭な砂層を発見できた(図2の砂層A、B)。これらの地層の中に含まれる微小生物の化石を観察した結果、泥炭層は淡水環境で堆積し、砂層は海から運搬されたものと考えられた。砂層の堆積構造を肉眼やコンピューター断層撮影(CT)で観察したところ、これまでに報告されてきた津波堆積物の特徴との矛盾はなく、見つかった砂層は過去の津波によって運搬された津波堆積物と判断された。

 津波堆積物の年代は、放射性炭素年代測定法を利用して推定する。自然界にある炭素の大部分は炭素(C)12だが、ごくわずかに放射性炭素(C14)が存在する。これらの炭素は、日々の光合成によって植物に取り込まれるが、植物が死んだ後は大気中の炭素を取り込むことができないため、植物の体内に残されたC14は放射性崩壊(注5)によって徐々に減少していく。C14は約5730年で半分に減ることが分かっているため、年代を測りたい場所から植物の化石を見つけ、C14の濃度を調べれば、その植物が死んでからどれくらいの時間が経過しているか算出できるわけだ。

 九十九里地域で発見した津波堆積物の年代を知るため、津波堆積物のすぐ下とすぐ上の泥炭層を細かいふるいを使って洗い、 残渣(ざんさ) (残りかす)からヒルムシロ、ヒシ、その他植物の化石などを拾い出して放射性炭素年代測定を行い、得られた測定値からベイズ統計という手法で津波堆積物の堆積年代を計算した。その結果、上の層(砂層A)が西暦900年~1700年、下の層(砂層B)が西暦800年~1300年に堆積したことが明らかになった。

 上の津波堆積物は、歴史史料に記録が残る元禄16年(1703年)の元禄地震か、あるいは延宝5年(1677年)の延宝地震による津波に対応すると考えられた。問題になったのは、歴史記録が残されている時代より古い年代を示した砂層Bの起源だった。

相模トラフの地震なら段丘として残されているはず

 まず、九十九里地域の近くに、砂層Bに対応するような他の巨大地震の痕跡があれば、砂層Bの起源ははっきりすると考えた。大きな平野である九十九里地域に対して,房総半島の南部はごつごつとした岩石海岸が広がっており、こうした場所には津波堆積物が残されにくいが、過去の地震性地殻変動の歴史を海岸段丘として記録していることが多い。

 実際に相模トラフで発生した大正12年(1923年)の大正関東地震(関東大震災)では、千葉県館山市周辺が1.5メートル程度隆起し、同市の 見物(けんぶつ) 海岸では当時の隆起した痕跡が段丘として残されている。1703年の元禄地震でも地震に伴う隆起が発生したことが、地形や歴史史料に残されている。周辺地域では相模トラフ沿いで巨大地震が発生するたびに段丘が広がっていったと考えられ、階段状に分布する段丘の年代から地震の発生履歴が推定されている(注6)。

 ところが、過去の研究で明らかになっている段丘の年代と、九十九里地域で見つかった津波堆積物の年代を比べても、砂層Bに対比できそうな段丘は見当たらなかった。つまり、九十九里地域で見つかった砂層Bは、歴史史料のなかに見当たらず、これまでの地質記録から明らかにされてきた相模トラフ沿いの巨大地震のなかにも該当するものがなかった。津波堆積物を調べるまで誰も知らなかった「未知の津波」によってできた、と考えるしかない。

コンピューターによる津波の再現

 では、九十九里地域に砂層Bを残した津波はどのようなものだったのか。それを明らかにするために数値計算を専門とする共同研究者と連携し、コンピューターでプレート境界が滑った場合に発生する津波の再現を試みた。この地域で海岸線が海側に移動した速度などから津波襲来時の海岸線の位置を復元し、当時と現在の海岸砂丘の高さは同じと仮定した上で地形モデルを作成し、津波がどこまで浸水するかを計算した。

モデル1-4、モデル5-8、モデル9と10は、各々破壊領域は同じだがすべり量が異なっているため,地震規模が違う。Pilarczyk et al. Nature Geoscienceを改変(図提供:産業技術総合研究所)
モデル1-4、モデル5-8、モデル9と10は、各々破壊領域は同じだがすべり量が異なっているため,地震規模が違う。Pilarczyk et al. Nature Geoscienceを改変(図提供:産業技術総合研究所)

 津波の波源は、相模トラフ(大陸プレートに対してフィリピン海プレートが沈み込む境界)のもので「モデル1~4」の4通り、大陸プレートに対して太平洋プレートが沈み込む境界である日本海溝のもので「モデル5~8」の4通り、フィリピン海プレートに対して太平洋プレートが沈み込む境界で「モデル9、10」の2通りを想定した。さらに、「モデル5」と「10」が連動する地震で、1677年延宝津波の波源とされてきたものに近い「モデル11」、宮城県沖から福島県沖を中心に破壊する「モデル12」、そして2011年の東北地方太平洋沖地震の波源モデル「モデル13」(注7)を加えて、計13のモデルについて計算した(図3)。モデル12は、貞観11年(869年)貞観地震の波源として考えられているものである(注8)。貞観地震は陸奥国を襲った地震・津波で、平安時代に 編纂(へんさん) された歴史書『日本三代実録』に記載がある。

 計算の結果、日本海溝における二つの巨大地震の断層モデル(モデル12、モデル13)のように宮城県沖から福島県沖に大きなすべりを持つ場合は、砂層Bの位置まで津波の浸水が到達しなかった。相模トラフと日本海溝のプレート境界を20~25メートル滑らせたモデル3、4、8では、砂層Bの位置まで津波が浸水した。フィリピン海プレートと太平洋プレートの境界を滑らせたモデル10と11では、他のプレート境界より小さい10メートルのすべりでも大きな津波浸水が生じ、砂層Bの位置まで津波が到達した(図4)。モデル11は、モデル10と日本海溝沿いの領域(モデル5)の連動タイプにもかかわらず、両者の浸水範囲には大きな違いがなかった。

 現在得られている地質の情報と浸水計算の結果では,九十九里地域を大きく浸水させる津波の波源が厳密にどのプレート境界のすべりによるものかどうかは特定できないものの,宮城県沖や福島県沖ではなく、九十九里地域の正面、つまり房総半島東方沖に波源が存在する可能性が高い。砂層Bまで津波の浸水が到達するモデルの地震の規模は、マグニチュード(Mw)に換算して8.5以上だったとみられる。

相模トラフ(モデル1)、日本海溝(モデル6)のプレート境界を10~15メートル滑らせた場合では、津波堆積物の分布を説明することができない。Pilarczyk et al.Nature Geoscienceを改変(図提供:産業技術総合研究所)
相模トラフ(モデル1)、日本海溝(モデル6)のプレート境界を10~15メートル滑らせた場合では、津波堆積物の分布を説明することができない。Pilarczyk et al.Nature Geoscienceを改変(図提供:産業技術総合研究所)

「房総半島東方沖の地震」に残された課題

 2019年に政府の地震調査研究推進本部(地震本部)が公表した海溝型地震の長期評価は、「日本海溝沿いの地震活動の長期評価」のなかで、「太平洋プレートとフィリピン海プレートとの境界で発生するプレート間巨大地震は知られていないため、将来の地震の規模・発生確率等は不明」と記している。モデル11に近い1677年の延宝地震については「主要なすべり域が浅部にあると考えられているため、海溝寄りのプレート間地震(津波地震等)として扱う」としている。

 2014年に公表された「相模トラフ沿いの地震活動の長期評価(第二版)について」では、フィリピン海プレートと太平洋プレートの境界地震のうち深さ50~100キロ程度で起きると想定しているが、私たちが検討したモデル10の領域は比較的浅い場所を考えており、この点に違いが見られる。モデル10のようにフィリピン海プレートと太平洋プレートの浅い境界が単独で滑るような地震については、大きな地震の観測例が乏しいため、評価ができていないということだろう。

 だが、「過去100年程度の観測の歴史の中で大きな地震が起きていない」からといって、「その場所では巨大地震・津波が発生しない」とは限らない。九十九里地域で発見された砂層Bと浸水計算の結果は、過去1000年以上という地質学的な時間規模で見た場合、これまで考えられてきた相模トラフや日本海溝に加え、房総半島東方沖でのフィリピン海プレートと太平洋プレートの境界のすべりによっても、大きな津波浸水が発生する可能性があることを示している。

 房総半島東方沖におけるフィリピン海プレートと太平洋プレートの境界が単独で滑るモデル10のような地震が起き得るのか(過去にあったのか)、また、隣の境界と連動するようなモデル11や、大きなすべりを持つようなモデル3、4、8のような地震を考えるべきなのか、さらに今回議論した地震・津波の再来間隔はどの程度なのか、といった問題は解明されていない。周辺地域の地質の調査を続け、さらに基礎資料を集めていく必要がある。

長期予測に反映される津波堆積物の研究成果

 約20年間にわたって津波堆積物の調査が各地で進み、地質学の発見が相次いだ結果、海溝型地震の長期評価や防災対策にも、こうした調査結果が反映されるようになってきた。

 2000年代前半には、巨大地震の履歴を考える上で、大きな転換と言ってもいい発見があった。北海道東部太平洋沿岸の広範囲にわたる地域で、先史時代の地層から津波堆積物が見つかったのだ。その分布範囲は人類が北海道で観測したどの津波の浸水範囲よりも内陸に及んでおり、津波堆積物の分布を再現する浸水計算の結果、十勝沖地震と根室沖地震の領域が連動して巨大な津波を起こしていたことが明らかになった(注9)。この連動型地震は過去数千年間に繰り返し起きていたことも判明し、平均再来間隔から「500年間隔地震」と名付けられた。

 05年に施行された「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法」に基づく地震防災対策推進地域の指定では、500年間隔地震が検討対象となった。地震・津波の被害想定は観測記録や歴史史料に基づくことが多かったが、地質学の記録が積極的に参照されたのは画期的なことといえる。その後の研究で、500年間隔地震と言われた連動型地震が繰り返す間隔には、大きなばらつきがあることが明らかになった(注10)。17年に地震本部がまとめた「千島海溝沿いの地震活動の長期評価(第三版)」では、このばらつきが今後30年以内の地震発生確率を計算する際に用いられている。

 869年の貞観地震・津波によるものとみられる津波堆積物は、すでに1990年代初めに東北大学や東北電力の研究グループによって仙台市周辺で発見されていた(注11、12)が、その後、産業技術総合研究所などの研究で、破壊領域は宮城県沖から福島県沖にわたり、地震の規模はそれまでの宮城県沖で想定していたより大きいMw8クラスだったことがわかった(注13)。この結果は報告書にまとめられて2010年に文部科学省に提出されたが、東北でそれまでの想定を上回る地震・津波が起きていたことが広く周知される前に、東北地方太平洋沖地震が起きてしまった。

 だが、皮肉なことにこれ以降、想定を上回る津波を予測した津波堆積物研究に対する関心は高まった。東日本大震災直後の11年に策定された「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価(第二版)について」と、19年に策定された「日本海溝沿いの地震活動の長期評価」では、貞観地震だけでなく、日本海溝沿いで地質学的に明らかになった地震・津波についても反映されている。政府の中央防災会議も東日本大震災を契機にそれまでの考え方を改め、「古文書等の分析、津波堆積物調査、海岸地形等の調査などの科学的知見に基づき想定地震・津波を設定させ、地震学、地質学、考古学、歴史学等の統合的研究を充実させて検討していくべきである」という主旨を盛り込んだ提言を公表している。

今後の津波堆積物研究に向けて

 津波堆積物の研究・報告事例は増えたが、九十九里地域のように、地震・津波による災害の歴史記録が少なく、地質の情報を生かすべき場所はまだ多い。歴史記録が比較的多く残されている地域でも、歴史と地質の情報を突き合わせれば、より実態に近い地震を復元できる。最新の研究手法を適用することにより、過去に研究された地域でも、再研究で新たな発見があるかもしれない。

 九十九里を襲った「未知の津波」の発見は、津波堆積物研究の大きな成果のひとつといえる。だが、津波のより詳しい波源の特定や再来間隔を知るためには、さらなる調査が必要になる。新たな発見だけにとらわれず、地道な研究の手を止めないことが重要だ。

(注1)今野ほか、1961、チリ地震津波による三陸沿岸被災地の地質学的調査報告。東北大学理学部地質学古生物学教室研究邦文報告
(注2)Simons et al., 2011, The 2011 magnitude 9.0 Tohoku-oki earthquake: mosaicking the megathrust from seconds to centuries. Science
(注3)Pilarczyk et al.,2021, A further source of Tokyo earthquakes and Pacific Ocean tsunamis.Nature Geoscience
(注4)波によって海岸とほぼ平行にできる低い高まり
(注5)放射性元素の原子核が自然に粒子や電磁波を放出して他の原子核に変わる現象
(注6)Shishikura, 2014, History of the paleo-earthquakes along the Sagami Trough, central Japan: Review of coastal paleo-seismological studies in the Kanto region. Episodes
(注7)Fujii et al., 2011, Tsunami source of the 2011 off the Pacific coast of Tohoku Earthquake. Earth Planets Space
(注8)Namegaya and Satake, 2014, Reexamination of the A.D. 869 Jogan earthquake size from tsunami deposit distribution, simulated flow depth, and velocity. Geophysical Research Letters
(注9)Nanayama et al., 2003, Unusually large earthquakes inferred from tsunami deposits along the Kuril trench. Nature
(注10)Sawai et al., 2009, Aperiodic recurrence of geologically recorded tsunamis during the past 5500 years in eastern Hokkaido, Japan. Journal of Geophysical Research
(注11)阿部ほか, 1990, 仙台平野における貞観11年(869年)三陸津波の痕跡高の推定.地震2輯
(注12)Minoura and Nakaya, 1991, Traces of tsunami preserved in inter-tidal lacustrine and marsh deposits: some examples from northeast Japan. Journal of Geology
(注13)Sawai et al., 2012, Challenges of anticipating the 2011 Tohoku earthquake and tsunami using coastal geology. Geophysical Research Letters

プロフィル
澤井 祐紀氏( さわい・ゆうき
 1973年生まれ。九州大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻修了。博士(理学)(九州大学)。2010年文部科学大臣表彰(若手科学者賞)、11年The Sir Nicholas Shackleton Medal for outstanding young Quaternary scientists、つくば奨励賞(若手研究者部門)などを受賞。15年10月から現職。研究分野は津波堆積物、古環境の復元、 珪藻(けいそう) 類。

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2586807 0 社会・防災 2021/12/10 12:47:00 2021/12/10 16:42:15 2021/12/10 16:42:15 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/12/20211208-OYT8I50041-T.jpg?type=thumbnail
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