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終戦直後の日本を明るく元気にした「ブギの女王」笠置シヅ子(1914~85)をモデルに、趣里さんが福来スズ子を演じるNHK連続テレビ小説『ブギウギ』の最終回が近づいてきた。今週からは若手人気歌手の水城アユミ(演:吉柳咲良さん)が登場し、新旧スターの世代交代が描かれている。
アユミは昭和の大スターとなった美空ひばり(1937~89)や江利チエミ(1937~82)がモデルといわれている。だが、ドラマではアユミは梅丸少女歌劇団(USK)時代のスズ子の先輩、大和礼子(演:蒼井優さん)の娘という設定で、明らかにひばりやチエミとは別人だ。ドラマはシヅ子をモデルにしつつ、史実を大胆に再構成している。シヅ子のものまねをしたひばりやチエミに限らず、当時の若手歌手は誰もがシヅ子を目標にしていた。アユミはドラマが創作した次世代歌手の代表なのだろう。
シヅ子の絶頂期は終戦直後の混乱期
実在した大スターを描くドラマは、のし上がっていく成功物語の後、世の中から忘れられていく過程も描かなければ終われない。ヤマ場を越えた後にどう着地させるか、脚本は簡単ではないだろうが、シヅ子の引き際は実に見事で、『ブギウギ』の脚本家は着地点探しに悩むことはなかったのではないか。
歌手としてのシヅ子の人気絶頂期は終戦直後の混乱期とほぼ重なり、昭和32年(1957年)にシヅ子が唐突に歌手廃業を宣言した前年には、政府が経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言している。ドラマがスズ子の歌手廃業に至る経緯を描き始めた回(117回)の冒頭に「もはや戦後ではない」のナレーションを入れたのは、スズ子が輝いた戦後の混乱期が終わったことを示すためだろう。
ドラマで描かれたように、シヅ子は幼くして養父母に引き取られ、かわいがっていた弟を戦争で失い、ただひとり愛した人に先立たれるという苦難を乗り越えている。容姿端麗でもなく、舞台で自然に目立つような体格にも恵まれず、しかも美声とはいえない平凡な女性が戦後の混乱期に大スターになったのは、シヅ子の努力を支え、時代とシヅ子を結び付けた3人の男性がいたからだ。シヅ子が人気絶頂だった昭和23年(1948年)までの出来事を書いた唯一の自伝『歌う自画像 私のブギウギ伝記』をテキストに、3人の男性との縁をみていこう。
歌や踊りに「伸びしろ」感じた服部良一
シヅ子をスターに押し上げた最大の功労者は、歌の才能を開花させた服部良一(1907~93)だろう。ドラマでは羽鳥善一という名前で、草なぎ剛さんが演じている。昭和13年(1938年)に上京したシヅ子は、男女共演でミュージカルを上演する松竹楽劇団(SGD)の旗揚げメンバーになり、SGDの副指揮者に就いたばかりの服部と稽古場で出会っている。
シヅ子の自伝によると、服部はシヅ子の高い声を殺させ『地声で歌へ』としきりに勧めたという。服部は自身の自伝『ぼくの音楽人生』の中で、「トラホーム病みのように目をショボショボさせた小柄の女性」だったシヅ子を見て、最初はがっかりしたという。だが、服部は初めての稽古でシヅ子の歌や踊りを見て、すぐにシヅ子の才能を見抜き、限りない伸びしろを感じた。
17歳ごろとされるシヅ子の写真を見ると、少女歌劇団で身に付けた高い声が似あう
服部が地声を求めたのは、自身のジャズを歌わせるため、という理由以外に「『つくった声』を出していると滅びるのが早い」からだった。声帯を壊してしまう前に鍛えに鍛えたことが、シヅ子が大スターになれた一因かもしれない。
ドラマは2人のエピソードをほぼ史実に沿って丁寧に描いている。「東京ブギウギ」は羽鳥が電車に乗っていて、レールの継ぎ目の音とつり革が網棚のふちに当たる音からメロディーを思いつき、途中下車して駅前の喫茶店に駆け込んでナプキンに楽譜を書いていたが、この逸話は服部が自伝に書いている。「買物ブギー」の歌詞に苦戦するスズ子が「ややこし、ややこし」とぼやき、それを聞いた羽鳥が歌詞に取り入れた、という展開も実話だ。
ドラマでは描かれていないが、シヅ子は一時、服部家に居候までしており、ドラマが描く以上に服部と一心同体の関係にあった。服部はシヅ子の自伝に寄せた一文に「私の作品の協働者として、(シヅ子は)実にウマが合う歌手である。私は曲を作っていても、笠置君がどういうふうに歌うか大体わかるから、あんまりこまかく書かない」と記している。服部もまた、シヅ子がいなければ大作曲家にはなれなかったのではないか。
「生一本の熱燗」と絶賛したエノケン
2人目はシヅ子の女優としての才能を認めた昭和の喜劇王、「エノケン」こと榎本健一(1904~70)だ。ドラマでは生瀬勝久さんが演じる「タナケン」こと棚橋健二として登場する。
2人が初めて会うのは昭和21年(1946年)、エノケン一座にシヅ子が特別出演した有楽座の舞台「舞台は
ドラマでは初の芝居に戸惑うスズ子に棚橋が「君の芝居はツボがはずれている。しかし、それがまた面白い効果を出しているので改める必要はない。俺は喜劇王タナケンだ。どこからでも受けてやるから、はずしたまま突っ込んで来い」とアドバイスするシーンがあったが、実際に榎本とシヅ子の間でも似たやり取りがあったらしい。服部が歌で感じたシヅ子の伸びしろを、榎本はシヅ子の演技から感じていた。
シヅ子の自伝には榎本も一文を寄せており、この中でシヅ子のことを「舞台と楽屋の裏表がない」「私にとっていちばんつき合いよい女優さん」と持ち上げ、演技に取り組む姿勢は「生一本の
シヅ子はその後も、榎本と舞台、映画で共演を重ね、「女エノケン」と呼ばれるようになる。榎本の指導は、歌手を廃業してからの女優人生だけでなく、観客を楽しませたいというシヅ子のステージにもいい影響を与えたはずだ。
結婚で「舞台をやめて」と迫った吉本穎右
3人目は、戦争という厳しい時期を乗り越えた最愛の人、吉本興業の御曹司、吉本
シヅ子が穎右を初めて見たのは昭和18年(1943年)6月、名古屋の御園座で公演中だった新国劇の辰巳柳太郎(1905~89)の楽屋を訪ね、あいさつしていた時のことだった。穎右はシヅ子のファンで、シヅ子にあいさつしようと楽屋の外の廊下をうろうろしていた。この時は2人の会話はなかったが、穎右を見たシヅ子は「美眉秀麗な貴公子然たるタイプに圧倒され」、柳太郎との雑談もうわの空になったという(『歌う自画像』)。当初は恋愛対象とは見なかったというシヅ子だが、ひと目で好意を抱いたことは間違いない。
敗戦に向かう暗い世相のなか、2人は愛を育み、結婚を約束する。ドラマでは小雪さんが演じた愛助の母、村山トミが結婚に猛反対し、結婚するならスズ子に歌手を辞めろと迫っていた。実際に吉本せい(1889~1950)が2人の結婚に反対したのは事実のようだが、シヅ子の自伝によると、結婚の許しを得るため、穎右はシヅ子に「舞台をやめてくれと幾度もせっついて」いたという。シヅ子のファンだった穎右も、結婚すれば女性は家に入るものと考え、シヅ子も引退を決意していた。
シヅ子は自伝で「エイスケさんが健在でいたら、全然引退しないまでも戦後『東京ブギウギ』『ヘイヘイブギー』『ジャングル・ブギ―』『さくらブギウギ』の四つのブギを歌うなんていうキッカケも馬力もなかったでしょう」と振り返っている。あの時引退しなかったから「東京ブギウギ」が歌えた、という意味ではない。シヅ子は穎右の死をエネルギーに変えたのだ。
シヅ子は穎右の子を宿すが、穎右は出産の2週間前に結核で急逝してしまう。ドラマでは、脚本家が「子供が生まれる前に愛助が亡くなったことをスズ子に知らせるのはあまりにも残酷すぎる」と考え、スズ子の出産と愛助の死をほぼ同じタイミングで描いている。愛助の死を聞かされたスズ子が、ぼう然として9秒間一言も発しないシーンは話題になった。
シヅ子の自伝によると、実際に穎右の死を知らされたシヅ子は「うしろから
シヅ子は穎右の死から間もなく、産室に穎右の浴衣や丹前をつるして、無事に女児を産んだ。どこまでも前向きで強い人だったから、歌手として再起できたのだろう。
「苦境をふっとばす場を作ろう」「彼女は幸福な人だ」
シヅ子が最も輝いたのは終戦から5年ほど。最大のヒット曲「東京ブギウギ」は、穎右を失った直後に作られている。シヅ子が服部に再起をかけた新曲をせがんだためだ。
「ぼくは彼女のために、その苦境をふっとばす華やかな再起の場を作ろうと決心した。それは、敗戦の悲嘆に沈むわれわれ日本人の明日への力強い活力につながるかも知れない。何か明るいものを、心がうきうきするものを……」
服部は自伝にこう書いている。
ブギウギのブーム到来で、この時期には舞台や映画での榎本との共演も増えた。榎本はシヅ子の自伝に寄せた一文に、こう書いている。
「彼女は気の毒な人だという。しかし、私はそうは思わない。彼女は幸福な人だ。いつも人々の愛情の中にいつくしまれている。そして自分も思う存分に愛情を表現してきた」
榎本は後に右足を切断する大病に苦しみつつ、義理人情に厚く、面倒見がいい人だった。最愛の人を失った直後に、その子を出産する「人生哀歓の極致」(『歌う自画像』)にあったシヅ子を支えた榎本は、シヅ子が「思う存分に愛情を表現する」ことを望んだのだろう。
シヅ子は「日本人にとって最も世の中が悪い時」に穎右と愛を育む「わが生涯最良」の時を迎えた。穎右の急死で不幸のどん底に落ちるが、服部と榎本はシヅ子の再起を支えることが、日本を明るく元気にし、日本の復興を応援することにもなると考えた。シヅ子も時代が自分の歌や踊りを求めていることを知っていた。
理不尽な戦争と、その後の混乱の時代が終わることはシヅ子の望みでもあった。「もはや戦後ではない」という言葉とシヅ子の歌手廃業が重なるのは、時代の必然だったのではないか。
今はあのころより豊かにはなったが、価値観が多様化し、時代が何を求めているのかを見極めるのは難しくなっている。だが、雲の上の大スターの悩みや葛藤を知ることは、自分の生き方を考えるきっかけにはなる。時代に翻弄されつつも、悲しみをバネに明るく前向きに生きる――実に“朝ドラ”らしいドラマをどう締めるか、結末が楽しみだ。
主要参考文献
笠置シヅ子『笠置シヅ子自伝 歌う自画像 私のブギウギ伝記』(2023、宝島社)
服部良一『ぼくの音楽人生 エピソードでつづる和製ジャズ・ソング史』(2023、日本文芸社)