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ノーベル化学賞の受賞から今年12月で20年を迎える島津製作所(本社・京都市)の田中耕一さん(63)と、生理学・医学賞受賞から10年になる京都大の山中伸弥さん(60)は、ともに関西・京都を研究拠点とし、60代になった今も一線で活躍する。節目の年に特別対談し、科学界への提言、人生100年時代の生き方や、若者への期待を語ってもらった。
◆突然の知らせ
田中 2002年10月9日は残業のない水曜日で帰ろうとしていたら、同僚が私に電話を取り次いでくれ、それが最初でした。「ノーベル何とか賞を授与したいから受けるか?」というふうなことを多分言われ、よくわからないまま「イエス」と答えたら、30分後には会社中の電話が鳴り出し、3時間後に記者会見でした。
後に聞いた話では、その年の1~3月頃にノーベル賞関係のイベントで来日したスウェーデンの方が「島津製作所を見たい」と京都へ来ていたらしいのですが、全く知りませんでした。
山中 受賞の数年前から、発表日のたびに大学本部の人がカメラを持って目の前で電話がかかってくるのを待っていました。他にも多くの人が待機してくれているのが申し訳なくて、これが毎年ずっと続くのかと思うと、本当に
ところが10年前は体育の日で大学が休みだったので、自宅で気楽に過ごしていたら、突然、電話がかかってきたのでびっくりしました。
――受賞後、田中さんは100本を超える論文を出され、山中さんはiPS細胞の医療応用の実現に注力してこられましたね。
田中 論文の多くは、私よりも若手や中堅が頑張ってくれた成果です。
日本では研究者の6割、約50万人が企業人です。以前は企業研究者が受賞するなど想像もされていませんでしたが、私の受賞後は「あの田中にできるんなら、何か新しいことをやってみる価値はある」と思われるようになりましたね。もちろん失敗の方が圧倒的に多いんですが、新しいことをやろうと思ってもらうきっかけになれたのかな、と思っています。
山中 iPS細胞の医療応用は、多くのプロジェクトで治験や臨床研究の段階まできました。マラソンに例えれば中間点を過ぎたあたりでしょうか。
ここからが大変ですが、一方で、私たちアカデミア(大学などの研究機関)にできることは限られてきました。医療応用の実現に向けた後半は企業が主体となり、バトンタッチの時期に差し掛かっています。マラソンと言うより駅伝ですね。
◆新たな展開
――アカデミアと企業の研究の違いは。
山中 研究には「大航海型」と「捜査型」があると思います。海の向こうには何があるかわからないけど行ってみよう、という大航海型は、成果が予想できません。逆に捜査型はゴールが明確で、いかに速く到達できるかです。
どちらも大切ですが、例えば国からの研究費を得やすいのは、短期間で成果が出る可能性が高い捜査型。でも、世の中を大きく変えるような成果が得られるのは大航海型だと思います。
捜査型の研究では、目的以外の結果が出たら、それを楽しんでいる余裕はありません。こうした傾向は企業に多い。7、8年前から製薬企業と大型の共同研究を進めていますが、驚いたのは、企業にとって重要な決断とは「いかにやめるか」「いつやめるか」なんですね。「え、ここでやめるの」と思うことがよくあります。
田中 企業は利潤を上げなければいけませんから。しかし、その点では島津という会社はあきらめの悪い会社なんですね(笑)。
検体に不純物が混じっていても検査できるPCR技術の研究は、長らく収益につながっていませんでした。けれど、こうした知的財産という蓄えがあったおかげで、必要な試薬の開発を2か月で終え、出荷できました。コロナ禍では様々な技術を持つ企業が、それまで思ってもみなかった分野で貢献したと思います。
――科学技術の地盤沈下が指摘されていますが、イノベーション(技術革新)を起こすにはどうすれば。
山中 大学の研究者が企業に飛び込んで、5年、10年の単位で社員と一緒に取り組む形の共同研究がもっと増えればいいですね。
例えば有望な新薬候補でも1万人に1人、肝障害や腎障害が出たら企業は開発から撤退することがありますが、iPS細胞を使った試験でリスクを早期に予測できれば、多くの人にはすごく良い薬になるかもしれません。
田中 そうした共同研究がなかなか進まないのは、どこかにまだすれ違いがあるのでしょう。アカデミアと企業では研究の切り口が違います。両方がうまく成り立つような組み合わせを、日本ではまだ探しきれていない。海外との共同研究の例は増えているので、次第にノウハウができてくるんじゃないかな。
◆60歳超えて
――人生100年時代を迎え、今後の目標は。
田中 若い人の下請けのような仕事を、生涯現役でやっていけたらと考えています。受賞後の20年間もたくさん失敗し、その上で失敗したら違う道を進めばいい、という考え方を共有するようにしてきました。
山中 元気だった親友の医師が、外来診療でコロナに感染して50代で亡くなりました。自分の人生も、いつ終わるかわからない。逆にあと40年あるかもしれない。どちらに転んでも後悔しないよう、できることは何かと考えたら、やはり基礎研究。4月から一研究者に戻り、25年前から続けている遺伝子の研究に改めて取り組んでいます。
◆若い人へ
山中 若い人には、どんなことでも一生懸命やってほしい。私も若い頃は柔道やラグビーに打ち込み、そのことが、結果として今の自分につながっています。
また、今の若い人たちは、自分が生まれた国に対する評価が低すぎるように思う。これほど安全で、みんなが親切で優しく、助け合って病気になったらすぐに診てもらえるような国は他にありません。日本に生まれたのは幸運で、もっと誇りに思っていい。海外で過ごす時間が長くなるほど、その良さがわかります。
田中 日本人は自信を失っていると言われますが、日本には米国にもない、文化的な蓄積があります。
もう一つ強調したいのは、人として生まれたからには人間らしく生きたい。そのために科学、技術は欠かせないということです。人が他の動物と違うのは好奇心。わからないものをわかりたい。わかったらうれしい、楽しい、という好奇心は科学と結びついています。それに対し、技術は公共心。みんなのために役立つことがうれしい、楽しい、という人の基礎的な能力だと思うのです。このことを多くの人たちに伝え、理解してもらいたいですね。