東海道新幹線が結ぶ東京―大阪間といえばはビジネスマンが活発に行き来する超ドル箱路線だ。「夢の超特急」はこの半世紀、飛行機と熾烈な競争を繰り広げてきた。
「新幹線を速くしないと、飛行機にやられる。座して死を待つわけにはいかない、という機運が社内に広がっていましたね」。JR東海の技術者として、1992年に登場した「のぞみ」の開発に携わった石川栄さん(61)は、そう振り返える。
1964年、東京―大阪間の航空旅客数は年130万人だったが、その年の東海道新幹線の開業で翌年は一気に20万人も減らした。新幹線は航空業界に大きな衝撃を与えたのだ。
しかし、その後、20年間にわたって新幹線の高速化の歩みは止まる。新幹線があげる利益は、国鉄の他の路線の赤字の埋め合わせに使われた。新幹線自体の開発にはあまり振り向けられることはなかったのだ。
1980年代になると羽田空港の拡張工事が始まり、飛行機側の攻勢は、いっそう激しくなる。
「東京と大阪を2時間半なら、飛行機と勝負できる」。石川さんたちは車体の軽量化や騒音の軽減など、ありとあらゆる工夫をこらした結果、生まれたのが最高速度を一気に270キロに引き上げた新しい「のぞみ」だった。
「大阪で朝9時の会議に間に合います」をうたい文句に華々しくデビュー。航空各社は短い間隔で運航する「シャトル便」で対抗したが、のぞみによって新幹線の優位は決定的になり、最近は新幹線の利用客が約8割に上る。
東京―大阪間で始まった飛行機との競争は、新幹線の延伸で全国へと広がっていった。現在の戦いは所要時間「4時間の壁」。新幹線と飛行機の市場占有率が6対4と拮抗する東京―岡山、広島間は、両者の主戦場の代表格だ。
新幹線に対抗するため、全日空は岡山、広島便に、最新鋭機のボーイング787型機を投入した。同社の担当者はこう語る。「新幹線と飛行機は永遠のライバル。競争が終わることはないんです」
「夢の超特急」と呼ばれた第1号列車0系「ひかり」は、当時としては世界最高速度の時速210キロを記録した。
85年に登場した100系は最高時速220キロで運行。その7年後に誕生した300系「のぞみ」では、270キロに達した。その後の700系以降も同じ速度で運行を続けてきたが、来春からは最高速度が時速285キロにアップする予定だ。