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建築王国・香川県のモダニズム建築香川県庁舎東館探訪 建築王国・香川県のモダニズム建築香川県庁舎東館探訪
柱と梁の構造、庇(ひさし)を持つバルコニーなど日本の伝統的な建物の構造が、コンクリートで巧みに再現された東館高層棟。南庭側から撮影された写真は欧米にも紹介され、建物が世界的に知られることになった

香川県は有名建築家が設計した美術館や会館が多く、「建築王国」とも呼ばれている。貴重な建造物のなかでも注目されているのが、1958年(昭和33)に竣工した香川県庁舎東館(※)だ。

「世界の丹下」として知られる建築家・丹下健三が設計した歴史的価値の高い建物で、今年2月には戦後の庁舎建築として初めて国の重要文化財に指定され話題となった。

東館は構造やデザイン、空間活用法などいずれも当時の庁舎建築としては斬新な手法が用いられている。また丹下のみならず、芸術家・猪熊弦一郎やデザイナー・剣持勇など、日本を代表するクリエイターが共に携わった点も評価に繋がっている。

そこで丹下がこの建物に込めた思いや工夫にふれて、モダニズム建築の魅力を探っていく。

※現本館が建設された2000年(平成12)まで、現在の東館高層棟が「本館」、東館低層棟が「東館」と呼ばれていた。重要文化財には建築当時の名称で指定されることから、指定名は「香川県庁舎旧本館及び東館」となる。

受付の机は、香川県産の巨大な庵治石をできるだけ原型を残して使っている
耐震工事の際に交換したバルコニーの手すり。その一部は附(つけたり/本体に関連する物品や資料)として重要文化財の指定対象となっている
当時の香川県庁舎と丹下健三
(撮影:神谷宏治、香川県立ミュージアム所蔵)
丹下 健三

1913年(大正2)大阪府生まれ。東京帝国大学(現東京大学)工学部建築科卒業。ル・コルビュジエに傾倒し、その教え子である前川國男に師事。1941年(昭和16)に東京帝国大学大学院に入学、卒業後は母校で教鞭をとり、黒川紀章や谷口吉生ら優れた人材を多数育成。世界各国で教育に携わった。

1949年(昭和24)に広島市主催の平和記念公園および記念館のコンペで1等入選、1951年(昭和26)に近代建築国際会議に招かれ、海外の建築界にデビューする。その後も国内外で多数の業績を残した。広島平和記念資料館、東京カテドラル聖マリア大聖堂、東京都庁第一本庁舎、国立代々木屋内総合競技場は特に有名。

2005年(平成17)没。

香川県営住宅一宮団地は、丹下が生涯で唯一設計した集合住宅。1958年(昭和33)から1964年(昭和39)にかけて建設し、1981年(昭和56)から1985年(昭和60)にかけて建て替えられた(撮影:神谷宏治、香川県立ミュージアム所蔵)
1964年(昭和39)に竣工し、現在は役割を終えた旧香川県立体育館(所蔵:香川県)
新進気鋭が手がけた「開かれた庁舎」

香川県庁舎(以下:庁舎)の設計を丹下健三に依頼したのは、当時の金子正則知事だ。イサム・ノグチや猪熊弦一郎と親交のあった金子知事は、建築やデザインへの造詣が深い人物。特に旧制中学校の先輩である猪熊を慕っており、県庁の設計者探しを相談した。そして猪熊から紹介されたのが丹下だった。「当時の丹下先生の年齢は40代初め。新進気鋭の建築家といわれていました」と説明するのは、香川県生涯学習・文化財課の石田真弥(しんや)文化財専門員。

設計にあたって、金子知事は丹下に7つの条件を示した。

①香川の気候や風土、環境に合うこと

②香川の県庁としてふさわしい建物であること

③民主主義時代の県庁としてふさわしいこと

④資材は許される限り県内産を活用すること

⑤高松の都市計画上プラスになること

⑥既存の建物と融合し、無駄にならないこと

⑦予算内に収めること

興味深いのは、オーダーには抽象的なものと具体的なものが混在していること。なかでも予算についてはとても具体的だ。というのも庁舎建築予算は当時のお金で5億円という巨費。予算オーバーは絶対に認められない状況にあったためと考えられる。

こうした条件をクリアしながら、丹下が導き出したコンセプトは、モダニズム建築(※1)による「開かれた庁舎」。庁舎への出入りがしやすいピロティ(※2)、開放感満点の南庭が、それを表現している。「またエレベーター等の共用設備や構造体を建物の中心部に配置するセンター・コア形式(以下:コア・システム)を日本で初めて導入し、外周部分は壁がない開放的な空間としたのも特徴の一つ」と石田さん。コア・システムは1階においては広々としたロビー、3階から上の執務室においては、パーテーションを使って、柔軟に区域分けできるというメリットを生んでいる。人員の増減などによる区域変化に、コストを抑えながらすぐに対応できるのだ。先を見据えた仕掛けとして、現在も重宝している。

この構築に力を貸したのが、建築構造学者の坪井善勝だ。丹下・坪井コンビは、その後、国立代々木屋内総合競技場や東京カテドラル聖マリア大聖堂などで力を発揮した。庁舎での実績が、日本を代表するこれらの名建築に繋がったと考えられている。

※1/鉄、ガラス、コンクリートを用いた建物。第一人者でフランスの建築家ル・コルビュジエはピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面を「近代建築の五原則」とし、丹下もその影響下にあった

※2/2階以上の建物において、壁がなく、柱だけで支えている1階部分

「東館は戦後の民主主義を象徴するような建物」と話す石田さん(左)。右は建物の管理を行っている香川県総務部財産経営課の井下朋さん
バルコニーの庇の下には、当時の技術の限界ともいわれる幅11cmの薄い小梁を施しているのも特徴
1955年(昭和30)6月10日付の図面。高層棟の中央に据えられたコア・システムが、建物の背骨のように立ち上がる様子が確認できる(所蔵:香川県)
アート作品や家具も建築当時のままに

完成した庁舎は、人々に驚きをもって迎え入れられた。まず感動的なのは、南庭から眺めた建物の姿。「小梁と大梁のリズミカルな連続や、勾欄(こうらん)(手すり)付きのベランダは、五重塔など日本の伝統的な木造建築を思わせます」と石田さん。モダニズム建築と日本の伝統工法を融合させた先進的な例として、海外からの評価にも繋がった。

ロビーで見られるコア・システムを囲む4面に飾られた巨大な陶板壁画が圧巻。猪熊の作品「和敬清寂(わけいせいじゃく)」だ。赤の色彩が非常に印象的だが、これを猪熊は「コンクリートの体を流れる血液のようなもの」と語ったという。

重要文化財には「附」として家具類も指定された。東館高層棟1階ロビーに置かれている木製や陶製の椅子、木製棚、石テーブルなどの家具は丹下研究室がデザインしたもの。加えて剣持勇がデザインした県庁ホールの家具など、ほとんどは建築当時から変わらず使用されている。猪熊の陶板壁画や南庭を見ながら、これらの家具でひと休みする県民も少なくない。まさに「開かれた庁舎」といえよう。

「完成当時には、金子知事の発案で屋上のオープン・スペースは喫茶室の屋外カウンターとして開放されていたようです」と石田さん。コーヒーやビールが提供され、まだ高層ビルが少なかった市街地の向こうに広がる瀬戸内海の景観を眺めながらくつろぐ人で賑わっていたという。

東館高層棟1階南側のスペース。日本で最初にコア・システムを設計に上手く落とし込んだ建物ともいわれている。巨大な陶板壁画には、各面にデザイン化した「和」「敬」「清」「寂」の文字と太陽や月の絵が描かれている
受付横にある木製クロークは丹下研究室が設計し、地元の桜製作所が制作した。そのデザインからは、カッシーナから現在も販売されているシャルロット・ペリアンがデザインした家具の影響がうかがえる。同じデザインのものが東館低層棟2階県庁ホール前のロビーにも設置されている
ギャラリーに展示されている丹下研究室が設計した木製机と陶製の椅子
現在も使用されている東館高層棟1階ロビーの家具。1・2と同様に丹下研究室が設計した。信楽焼の陶製の椅子は、県庁ホールの家具をデザインした剣持のラタンのスツールにも似ており、当時のクリエイターたちが互いに影響しあったことが想像される
完成当時、県民に開放されていた屋上。喫茶スペースが設けられ、憩いの場となっていた(所蔵:香川県)
現在の屋上は立ち入ることはできない。ここから眺める景色も完成当時とは一変し、高層の建物が林立している
アート作品や家具も建築当時のままに

「丹下建築で最も成功した」といわれる東館低層棟のピロティは、周辺環境と庁舎の緩衝材のような役割を果たしており、通りから建物へとスムーズに誘導する。階高は7m、床面には玉石と敷石の2種が用いられており、玉石は庵治沖の海底から採取した石、敷石は小豆島の花崗岩(かこうがん)。天井の木製ルーバーは香川県産の松材を使用していた。これらは、「許される限り県内産を」という金子知事のオーダーに応えたものとされている。

ピロティから高層棟へは、オープン・スペースがフラットに連続しており、当時、既にバリアフリーを取り入れていたことが分かる。ピロティにもベンチが置かれており、ここもまた憩いの場として親しまれている。

外部空間でありながら、ピロティは非常に綺麗な状態で保存されている。「これは開館時から2008年(平成20)まで、戦争により夫を亡くした女性たちなどによる組織・清和会が丁寧に掃除をしてくれたお陰です」と石田さん。この建物が県民とともに歩んできたことを語るエピソードだ。

石灯籠や太鼓橋がある南庭はこれまでに2度造り変えられた。1度目は現本館の建築時。2度目は2016年(平成28)、東館の耐震工事を行った時。

2度目の復元準備の際には、丹下の右腕であった神谷宏治(かみやこうじ)の力を借りた。存命だった神谷は、建築当時の話を生き生きと話してくれたという。

芝生が敷き詰められ、水が流れる南庭は、子どもたちの格好の遊び場にもなっている。公園さながらに賑やかな歓声が響く様子こそが、丹下らが望んだ光景ではないだろうか。まさに「県民に開かれた庁舎」だと感じる人も多い。

天井までの高さが7mもあるピロティ。当初よりさまざまな催し物が行える広場としての利用も想定して設計されている。中央の石灯籠は丹下らがデザイン
南庭に敷き詰められた芝生の上を裸足で駆け回り、ごろ寝する子どもたち。「公園で遊んでいるみたいで楽しい」と笑顔で話す
玉石と敷石、2種類の香川県産の石材を巧みに貼り分けた床面
本館から眺めた南庭、正面のピロティ。右に見えるのは香川県議会庁舎
南庭には3つの石灯籠や太鼓橋がある。いずれも丹下研究室のメンバーや工事関係者によってデザインされたもの
モダニズムのなかに伝統が息づく丹下建築

東館高層棟の1・2階の共有スペース、ピロティ、南庭は開庁時間であれば自由に見学可能。1階のギャラリーには、貴重な写真や史料が展示されており、なかでも丹下が猪熊に送った手紙は興味深い。建物の完成直前、陶板壁画の制作を遠慮がちに催促する内容に、2人の関係性が見て取れる。

さまざまなイベントに活用されているのは、2階にある県庁ホール。「ホールの扉には香川漆器の後藤塗りが施されています」と石田さん。麻布の上に漆を5度塗りしており、色合いは経年とともに深まっていく。桂離宮の書院の襖と同じ白と青に塗り分けられた引き戸、無双窓という伝統的な日本の様式を受け継いだ窓など、このしつらえも伝統と革新の融合を感じさせる。

じっくり見れば見るほど、面白みに満ちた香川県庁舎東館は、先人たちの進取の気風やモノづくりにかける思いを学べる場所でもあるのだ。

高層棟1階北側はギャラリーとなっており、東館についての写真や史料などを展示。バルコニーの手すりや模型などもここで見られる
県庁ホールの扉は香川を代表する工芸品である後藤塗り。鮮やかな赤色が印象的
建築当時の趣そのままの県庁ホール。左右両側面の白と青の引き戸、無双窓などが特徴的。家具の多くは剣持によってデザインされた(所蔵:香川県)
香川県庁
住所 香川県高松市番町4-1-10
開庁時間 8:30〜17:15(土・日曜日、祝日、年末年始を除く)
URL https://www.pref.kagawa.lg.jp
備考 香川県公式観光サイト「うどん県旅ネット」
https://www.my-kagawa.jp/feature/higashikan/higashikan

撮影のためにマスクを外している場合があります