談志さん、ゼッタイ放送できない“遺言”“戒名”凄い中身

2011.11.24


食道がんの手術後、元気に高座に上った立川談志さん=1997年9月25日【拡大】

 落語とは人間の業の肯定である−と喝破した古典落語の名手、立川談志さんが21日午後2時24分、喉頭(こうとう)がんのため都内の病院で死去した。75歳だった。“しゃべれない談志”は見せたくない、というダンディズムで密葬が終わる23日までその死が伏せられたが、弟子たちとの最期の筆談では、放送禁止用語のあの4文字を贈る洒脱さを見せた。

 「家族の方のみで荼毘に付されたと、先ほど聞きました。最後の最後まで師匠らしい。自分の良しとしない姿は弟子どもに見せてなるものか、というダンディズムですかね」

 都内で師匠の訃報を知った弟子の立川志の輔(57)は、こう語り唇を噛んだ。最後に会ったのは8月。談志さんはがんによる呼吸困難から気管切開で話せない状態だった。

 「筆談で放送できない言葉をホワイトボードに…。えっ、これ書くのかよ?って大笑いでした」

 弟子の談笑(46)もフジテレビの取材に、「かろうじて筆談ができる状況で集まった弟子に最後に何か言いたいことあるかって聞いたら紙に書き出したんですが…放送できないんです、最後の言葉が」と目を腫(は)らしていた。

 その弟子との最後の交歓の様子を談志さんの長女、弓子さん(48)は、「体温が39度ぐらいあったのに、熱が下がる注射をしてもらい、担がれるようにして行った。お弟子さんの前では、びっくりするぐらいしっかりしていた。しゃべれませんでしたが…」と語った。

 さて、稀代の落語家が、最後に記した言葉は何だったのか。一門に近い関係者が夕刊フジに明かした。

 「ズバリ、『お××こ』ですよ。銀座の行きつけのバーMに一門の愛弟子17人が集められました。覚悟を決めた弟子たちは、師匠がおぼつかない手でホワイトボードに書く文字を固唾をのんで見守ると、『お××こ』。もう、大受けでした」

 談志さんが心酔した上方の名人、6代目笑福亭松鶴の葬儀に着想を得た「寝ずの番」という映画がある。原作は中島らも。師匠が死に際、弟子たちに最後の願いを聞かれ「ソトが見たい」という。それを「ソソ(関西弁で女性器)が見たい」と取り違えた弟子のひとりが、妻を差し出し、師匠の眼前で観音開きをする−というオチだ。あるいは、その場面がよぎったのだろうか。

 談志さんが生前、自分で決めていた戒名もふるっている。

 立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわ・うんこくさいいえもと・かってこじ)。

 エロと下ネタ。あえて禁じ手で締めくくった。「オレが死んでも、この2つはテレビじゃ言えねえだろ」と、したり顔の談志さんが目に浮かぶ。

 

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