山田五十鈴さん、自宅は帝国ホテル…最後のインタビュー秘話

2012.07.19


多臓器不全のため9日、死去した山田五十鈴さん【拡大】

 大女優の山田五十鈴さんが旅立った。

 テレビの単独インタビューは、おそらく私が最後だったのではないか。1999年、82歳の五十鈴さんに会うため向かったのは東京・日比谷の帝国ホテルだった。

 「定宿…いや今や自宅と一緒よ。便利なの」

 オレンジ色の鮮やかなブラウスにぬいぐるみの猫ちゃんをいとおしそうに抱き、爽やかな香水を漂わせる。

 「あまりアップはいやよ」と定位置に座り、カメラマン助手がマイクを付けると、「おいくつ? 私より年上なんてはずないもの。ホホホ」と、どこか艶っぽかった。

 往年の二枚目俳優、月田一郎との結婚・離婚から映画、舞台関係者との数々の恋愛遍歴をイヤな顔ひとつせず、1時間たっぷりと。

 「“遍歴”なんて、なんか聞こえが悪くて。惚れて好きになったら、隠すなんて…。その人のそばから片時も離れたくない。愛が無くなったら、こちらから別れました。悔い? そりゃあ、ある人も、ない人も。でも、別れても、その方の悪口を言ったことはありません。ある時、誰よりも好きだった人なんですもの」

 芸についても語った。

 「82歳になって、声を掛けてくださり、好きな三味線も弾ける。若い役者さんと舞台に立てる。でも、まだ老いの序ノ口。一日一日が大切。台詞が頭に入らず、三味線も引けない…そんな時がイヤでもきます。その時、慌てない自分でいたい。引退会見なんて、こっぱずかしくて、しませんよ。静かに静かに、引き際は」

 私も娘を抱える身。五十鈴さんより先に亡くなり、生前は確執が伝えられた一人娘、瑳峨三智子さんの話になると、「娘には違う道を選んで欲しかった。そうすれば、あの子、早死にしなかった」と言い、ぬいぐるみをギュッと抱き締めた。

 その後、体調を崩して病院で療養生活を送っていた五十鈴さん。長年の付き人さんと表舞台から静かに降りた。

 95歳の初夏。お通夜で拝したお顔は綺麗で安らかだった。

 生前、葬儀のために、費用を付き人さんに託し、「香典も花も受け取らず、華美にしないでほしい」と託していたとは、格好良すぎます。棺の中には紫色のターバンとともに、見覚えのある…あのインタビューのときのオレンジ色の上着が! その夜、浜木綿子さんと銀座のバーで、偲びながら呑んだ。涙は不思議と出なかった。

 ■武藤まき子 中国放送(広島)アナウンサーを経て、フジテレビ「おはよう!ナイスディ」のリポーターに。フジテレビ専属リポーターとして『情報プレゼンター とくダネ!』に出演中。芸能、歌舞伎、皇室を主に担当する。著書にリポーター人生を綴ったエッセイ『つたえびと』(扶桑社刊)

 

注目情報(PR)