モーガン・フリーマン
磨かれる渋さ (6/10)
俳優。1937年6月1日、米テネシー州メンフィス生まれ。ニューヨークの演劇界で名声を築き、71年に映画進出。出世作『NYストリート・スマート』(87年)、『ドライビング・ミス・デイジー』(89年)、『ショーシャンクの空に』(94年)と3度アカデミー助演男優賞候補に。
作品賞、監督賞(クリント・イーストウッド)、主演女優賞(ヒラリー・スワンク)とアカデミー賞を総なめにした『ミリオンダラー・ベイビー』(公開中)で、念願のオスカーを獲得。同作のプロモーションで4度目の来日を果たした。『セブン』(95年)の刑事役は、『踊る大捜査線』で故・いかりや長介さんが演じた和久刑事のモデルとされている。
モーガン・フリーマン
【68歳「ミリオンダラー・ベイビー」でオスカー獲得】
歳はとりたくない。いつしか誰もそんな思いを抱く。だからこそ、歳を取るのもそう悪くないかも…と思わせてくれる先輩は貴重な存在だ。渋さにかけてはハリウッド随一の名優モーガン・フリーマンも、そんな先達のひとりだろう。
「I believe me(私は私を信じている)」
ホテルの一室でソファにくつろいだまま、澄んだ強い眼差しをこちらに向け、男は例の渋くて温かい声で切り出した。まるで映画のワンシーンである。
「自分がカッコいい歳の取り方をしているかどうかわからないが、仕事柄、年を取るにつれて周りが自分にどんな姿を求めているかは、理解できるようになってきた。自分もそれに応えたいと思うし、そのための努力は惜しまない」
今月1日で68歳。2月のアカデミー賞で初めて助演男優賞に輝いた。
受賞作『ミリオンダラー・ベイビー』は、31歳ながら女性ボクサーとして成功を夢見る苦労人のマギー(ヒラリー・スワンク)と、老トレーナー・フランキー(クリント・イーストウッド)の心の交流を描く人間ドラマ。モーガン先輩はフランキーの唯一の友で、2人の心を結びつける元ボクサーのスクラップを演じる。
【「支えてくれる“フランキー”がたくさんいた」】
「自分は21歳でこの世界に入り、31歳で初めてブロードウェーの舞台に立った。そのころには仕事もだいぶ安定していたが、20代は本当につらかった。家賃は払えないし、2、3日食べられない日もあった。一日一日をどう暮らすか、それぐらいしか頭になかった」
それでも踏ん張れたのは、「自分の人生にはたくさんの“フランキー”がいたから」という。
「人生の袋小路にハマったら、とにかく違う場所に移るに限る。それでもダメで、もう浮浪者になるしかないかも…と思ったときに、“フランキー”たちはアドバイスや援助などをくれて、“そんなにダメじゃない”と思わせてくれた」
【「いろいろな人と共演、いい影響受けられる」】
映画俳優として脚光を浴びたのは40歳のとき。『NYストリート・スマート』のポン引き役で、主役を食うほど凄みのある演技を見せ、初めてアカデミー助演男優賞にノミネート。その後も悪役から気のいいオジサン、大統領、神様まで幅広く演じ、「出演するだけで映画の質があがる」と評される重鎮となった。
「作品を選ぶ基準はストーリー。ストーリーがよければ、その中の役柄もいい場合が多い。さまざまな作品に出て、いろいろな役者と共演すると、必ず何かしらいい影響を受けられる。うまい人とチェスを打つと、自分もうまくなるようにね。いい役をたくさん演じられて、自分は本当にラッキーだと思う」
それでは本題。どうしたらモーガン先輩のような、カッコいい大人になれますか?
「何かアドバイスするとすれば、人生を常にアクティブに暮らす、ということかな」
彼自身、昨年5月には子供のころからの夢をかなえている。米国のカーレース「インディ500」で、スーパーカー「コルベット」を駆って先導役を務め、指示より速い220キロ以上も出し、予定時間を超えるドライブを楽しんだ。
インタビューの最後にあいさつすると、「ドウイタシマシテ」と立ち上がり、両方の手に握手してくれた。大きな手はコルベットのハンドルを握るように力強かった。
ペン・笹森 倫
カメラ・斎藤 良雄