黒柳徹子さんが語る “ブギの女王”の素顔

芸能生活70年を超える黒柳徹子さん。

まだ駆け出しのころ、初めて共演した“スター”が笠置シヅ子さんでした。

連続テレビ小説「ブギウギ」でヒロインのモデルとなった“ブギの女王”とどんな交流があったのでしょうか。

知られざるエピソードをたっぷり語っていただきました。

(大阪放送局 ディレクター 尾崎琢朗 小田原秀 足立ひかり)

誰にも優しく、気さくに

黒柳さんはおよそ70年前、テレビ本放送が始まった1953年にデビュー。

まだ駆け出しの俳優だったころに共演したのが笠置シヅ子さんでした。

このとき黒柳さんが演じたのは、「買い物ブギー」を歌う笠置さんの後ろを歩く通行人のエキストラ。

その時の印象は、いまだに忘れられないといいます。

黒柳徹子さん
「通行するっていっても難しくて、『いま後ろ行った人、スパって行って、なんか不自然だから普通に歩いて!』ってディレクターから指示が出て、普通にってっどうやって歩くんだっけなと思って。『申し訳ありません。上手にやります』って言って。それでまた何回かトボトボ歩くと『もうちょっと元気よく!』って言われて、何回も何回もやらされたりして。そのたびに笠置さんは『今日は朝から♪』ってやらなきゃいけなくて、本当に申し訳なかったんですけど」

黒柳徹子さん
「3回か4回やっていたら、笠置さんが私をご覧になってね、『大変でんな』っておっしゃったんですよ。なんていい方だろうと思って。私が下手なために、笠置さんはそのたびに『今日は朝から♪』って歌っていらっしゃるわけですから。『何回やらせるのよ!』っておっしゃったっていい立場なのに、とても優しくしてくださってね。芸能界ってのは怖いって聞いていたけど、あまり怖くないかもしれないなと思ったりしました」

衝撃を受けた圧巻のパフォーマンス

この出来事以来、黒柳さんは、笠置さんの人柄と、その歌声にすっかり魅了されました。

黒柳徹子さん
「私はクラシックの音楽をやる家に生まれましたので、当時、父はN響のコンサートマスターをやっていましたから、そういうクラシックの音楽は小さいときから聞いていたんですけど、ああいう『今日は朝から♪』みたいなのは聞いたことがなかったから、ものすごく興味があって。私もああいうふうに歌えないかなと思って、『今日は朝から♪』ってやってみたけど、全然そういうふうにならなくて、とてもがっかりした思いがあります。やっぱり写真見ても口こんなに開けて歌っていらっしゃいますもんね。あれだけ口開けて大きい声出すのは一つのテクニックだろうと思うんです。大きい声で歌って踊ってもいらっしゃるんですから、相当すごかったんだと思います」

笠置シヅ子さんの“優しさ”と“強さ”

黒柳さんの印象に強く残る“優しさ”そして“心をつかむパフォーマンス”。

そんな笠置さんの素顔がかいま見える貴重な映像が、NHKに残されていました。

1975年放送の「ふるさとへの便り」という番組。

ここで、当時61歳の笠置さんが歌手時代を振り返っていました。

Q.舞台で買い物かごをお持ちになって歌われていた?

笠置シヅ子さん
「そうです、ええええ。何個使いましたかしら。365日中363日くらい使うてましたよ。ははははは」

朗らかに語る笠置さん。

一方で、“歌手引退”の理由についても明かしています。

Q.ブギウギがはやったあと、パタッと歌をお辞めになったんですけどね、これはどういった理由で?

笠置シヅ子さん
「ちょうど40過ぎましてね、そろそろこの肥満体になりましてね、それで思い切ってパッと辞めました。私は動きが多いもんですさかいに、どうしたって息切れがします。そうするとやっぱしね、『ああ昔はあんなことなかったのにな』と、どなたもそう思いになられるのは当然ですし。やっぱし、そう言われてから辞めたくなかったという、私の一徹さ、でっしゃろな」

招かれた自宅で…

笠置さんとはプライベートでも交流が続きました。

実は笠置さんはふだんから自宅に人を招いて、もてなすのが大好きだったそうで、
黒柳さんも若かった頃、招かれたことがあるそうです。

黒柳徹子さん
「どういうわけだか『うちに遊びに来ないか』とおっしゃってくださって、うちに呼んでくださったんです。私のことを感じがいいと思ってくださったんでしょうか。私は笠置さんに何かして差し上げたこともなければ、笠置さんにご迷惑ばっかかけていたのに、なんでだか笠置さんは優しくしてくださって。うちにあげてくださって。その日はリハーサルが早い時間に終わったんで、お昼すぎに笠置さんのおうちへ行ったんですよ」

黒柳徹子さん
「いちばんびっくりしたのは、笠置さんのおうちの門のところまで行ったら、ばーって門が半分から割れて、自動で開いたんですね。うんと驚いて。そこからジャリジャリジャリジャリって音がしてましたから、きっと石か何かが敷いてあったんだと思います。それから玄関からお家へ入るっていう。おうちは平屋のような、お庭がとっても芝が生えていて大きい庭のお家でした」

家に入っても、驚かされることがあったといいます。

黒柳徹子さん
「すごかったのはね、おうちの中の戸棚みたいなの開けてね、お洋服がたくさんお持ちだったのね。壁一つが全部戸で、開くとお洋服がさがってるっていう感じで、そういうのがいくつもあって、そのお洋服が全部かかっている戸棚を全部あけて『これやろ』『これやろ』『これやろ』って。全部それをみせてくださって。ああいうスターの方というのは、あんなにいっぱいお洋服お持ちなんだわと思って、とっても私、感動しました」

戦後の日本を明るくした

笠置さんとの大切な思い出を話してくれた黒柳さん。

彼女の歌には今の日本にも通じる魅力があると考えています。

黒柳徹子さん
「暗い日本があの方の歌で明るくなったと思います。踊ったりしていらっしゃるのを見ましたけど、やっぱりすごい元気で、短いスカートから足をバンとあげたりして。やっぱりあのさく裂するような元気さ、明るさ、そして声。そういうものは本当に今の日本に必要だって思います。いま、もしやっていらっしゃったら、絶対会いに行って、その節はありがとうございましたって申し上げたいなと思いますね」

(3月27日「ほっと関西」で放送)