Googleストリートビューが被災地を撮影し続ける理由

文●西田宗千佳 編集●飯島恵里子/ASCII.jp

2016年03月11日 14時30分

グーグル ストリートビュー プログラムマネージャー 大倉若葉氏

 5年前に発生した東日本大震災の被害を理解するため、Googleストリートビューが広く使われている。震災後、2011年7月から撮影がスタートし、その活動は今も続いている。現在のストリートビューには、過去に撮影されたものを参照する「タイムマシン機能」が盛り込まれているが、これも震災の爪痕を記録していく過程で生まれたものである。

「被災地を撮影する」とはどういう意味をもっていたのか? ストリートビュー プログラムマネージャー 大倉若葉氏 に話を聞いた。(以下敬称略)

「すべてを撮影してほしい」、被災地からの要望

 震災が起きた2011年3月11日も、大倉はいつものようにストリートビューの撮影を行っていた。震災後、グーグル社内からは「現地を撮影すべきだ」との声が上がった。大倉をはじめとしたストリートビュー撮影チームは、すぐに検討を始めた。 「防災・建築の専門家は、すでに現地入りして撮影をしていたのですが、彼らだけではすべてを撮れません。ですから、ストリートビューで網羅的に撮影してくれないか、という話はあったんです。その上で、気持ち的な部分にも配慮していかなくてはならない」と、大倉は当時を振り返る。

 ガソリンや電力が不足している状況での現地入りには、ためらいがあった。復興も始まったばかりで、現地は大変な状況だ。撮影をして、作業の邪魔になってはいけない。また、ストリートビューが公開された場合、被災された方がいろいろなものを思い出し、つらい気持ちになるのでは……、とも考えた。

 「撮影する」という行為は、時に被写体の感情を逆なでする。当時のストリートビューは、便利さが評価される一方で、生活風景が撮影されることに伴うプライバシーの問題もあり、まだ100%歓迎されていたわけではない。

「現地の商工会やNPOからも『現状を撮ってもらいたい』という声をいただきました。撮影する場所を限定するのではなく、みなさんは『この状況すべてを保存してほしい』と考えていることが分かってきたんです」(大倉)

 復興が進むとがれきや被災した建物などは撤去され、被災状況はわからなくなっていく。解体などに使う費用の補助金は、2012年度末に打ち切られる。さらに冬になれば景色も変わり、撮影も困難になる。被害状況を撮影するのならば、時間的な余裕はない。

 もちろん、撮影には困難が伴う。まだ、余震も続いていた。陥没している道も、信号が動いていない場所もある。まだ現地ではガソリンが払底している、という話もあり「現地の物資を使ってはいけない」という配慮も必要だ。

 それまでストリートビュー撮影チームには「防災オペレーション」がなかった。万が一の場合、車を運転するドライバーの避難方法を決め、道行く人に尋ねられた場合「なんのために撮影しているか」を説明した文書も用意するなど、慎重な準備を経てのスタートだった。

 撮影は2011年7月、気仙沼からスタートした。土地勘も重要なので、現地の道を知る地元の方をドライバーとして募集し運転を依頼、複数台で撮影を行った。

 現地で撮影を始めると、現地では想像以上に「撮影してほしい」という声が大きいことがわかった。

宮城県南三陸町。被災した建物が撤去され、BRT志津川駅が新設された(提供:Google)

「古い情報にも価値がある」とグーグルが知った日

 だが、そんな彼らにとっても、現地の撮影は厳しいものだった。走りなれたはずの道の脇には、瓦礫の山がどこまでも続く。道も不安定だ。昼は通れる道が夜には冠水し、通れなくなることもある。

 「事前情報もありましたし心の準備はできていたのですが、被災地を生で見るとやはりショックだった、とドライバーの方たちから聞いています」(大倉)

 そんな中でも、ドライバーは担当エリア内の道を、できる限り網羅的に撮影していった。航空写真で確認すると、海岸線ギリギリまでカバーしているのがわかるほどだ。

 撮影してほしい、と望まれて来てはいるものの、「実際に撮影している最中には、『来るな!』と言われるのではないか。その時はどうしようか」と大倉は考えていた。だが、それもまったくの杞憂であった。街角でストリートビューの車が止まると、人々はこう語りかけてくれたという。

「これって、ストリートビューを撮影しているんですよね? ぜひ撮っていってください。いつ公開されるんですか?」と、現地の声は温かかった。時には差し入れをくれる人もいたという。

 気仙沼市からは、撮影に関して公式なバックアップを得ていた。撮影することが「今後の防災にもつながる」と考えていたためだ。さらに撮影が続くと、気仙沼の菅原茂市長からは、こんな言葉が出てきたという。

2011年7月8日、宮城県気仙沼市にて開催された記者会見で、「­デジタルアーカイブプロジェクト」始動を発表した。ストリートビュー撮影の様子が紹介されている


 「今の状況を撮影するのがメインと思っていたが、支援してくださる人々のためにも、5年後、10年後も復興の過程を撮っていただけないだろうか」

 グーグルが「被災地のストリートビューを撮影する」と公表した直後から、「震災後の画像はいいが、昔の写真はどうするのか」という問い合わせが増えたという。当時、グーグルは最新の写真だけを残す方針だった。過去のものを残す、という発想はなかったのだ。我々は周囲の日常風景は、当たり前すぎて普段撮影しない。だが、突然理不尽に「日常」が失われると、当たり前だった風景が大切なものになる。

 「ストリートビューの過去の写真は消さないでもらえるだろうか。軒先には、私のおばあちゃんが座っているのが写っているから」、そんな声もあった。

また同時に、変化を記録しておくことは、未来のために重要なことだ。

 一方、Googleマップやストリートビューのインフラは巨大だ。過去の写真を残していくということは、これから先々に渡り、負担が増え続けるということでもある。

 それでもグーグルは「新たに撮影しても、過去の写真は消しません。現在は方針が決まっていないが、かならずなんとかします」との広報コメントを出した。そうすべき、と判断したからだ。

岩手県上閉伊郡大槌町。被災した小学校を修復した、現在の大槌町役場(提供:Google)

 まず2011年12月、被災地の現在・過去の風景に関する投稿写真・動画をまとめた「未来へのキオク」プロジェクトの一環として、震災前・震災後の被災地のストリートビューが公開された。その後もストリートビューは定期的に更新、追加されている。

「未来へのキオク」プロジェクトとは、被災地の過去、現在、未来のキオク(写真、動画)をインターネットを通して広く一般から募集し、集まったキオクを閲覧、共有、コメントすることで、人々のキオクを通じてつながるプラットフォーム


 ストリートビューに正式に「タイムマシン機能」が実装されたのは2014年4月のこと。大規模な改変が必要となったものだが、震災以降の要求が、その実装を加速した。

 「災害はかならすどこかで起こるものです。そこでどんなアクションをとるべきか、もしかしたら今回のことが役に立つかもしれません。今の風景は、5年前の被災1ヵ月後に比べると、生生しさが消えています。このまま100年経てば、なにがどう危険だったのか、忘れられてしまう。現地でも、過去の津波の経験が継承されている地域とそうでない地域では、残念ながら亡くなった方の数に差が出ています。この情報を忘れかけてしまった頃に、震災のビフォー・アフターを見てもらいたい、と思います」(大倉)


2年半後のストリートビュー 震災前後・そして今。2011年に撮影された震災直後のストリートビューは設定から「震災直後」を選択することで、表示できる

2013年03月03日に公開されたグーグルによる告知動画。福島県双葉郡浪江町内のストリートビューの撮影の様子が紹介されている

避難した人々に「町の今」を伝える

 被災地でのストリートビュー撮影の中でも、特に世界的に関心を呼んだのが、2013年3月28日に公開された、福島県双葉郡浪江町のものだ。浪江町は、福島第一原発の事故に伴う避難指示区域に指定されていた。当時はまだ足を踏み入れた人も少なく、状況が伝わっていなかった。

 「どこも壊れていないので、危険度はないんです。動物がいて危険、という話もありましたが、まったくそんなことはなかった。でも、町には誰もいない。誰も歩いていない。信号もついていない。コンビニの新聞立てにはあの日の新聞が刺さったまま。生活がされていないまま、2年間が止まっていたんです」

2013年9月に公開された福島県双葉郡双葉町のストリートビュー


 大倉は、当時の状況をそう説明する。まだ町としての機能がまったく戻っていなかったため、トイレも使えなければ食事をする場所もない。誰もいないので、なにかあっても助けてくれる人はいない。厚生労働省および浪江町が定めたガイドラインに従い、「車外には出ない」「2人で行動する」といった指針の下にストリートビューの撮影が進められた。ドライバーを担当したのは、現地でタクシードライバーを務めていた人々。事故の際、避難時のピストン輸送で被災地に入った経験があった人々が務めた。

 こうした活動は、浪江町を含め、現地の人々の強い後押しがあって進められたものだ。現地の本当の姿を知ってほしい、そうした思いが彼らにはあった。

 「世界に知ってほしい、ということもありますが、避難した人々に町の様子を知ってほしい、という意味もあったんです」

 撮影の背景を、大倉はそう話す。

 「5年経ち、例えば楢葉町は避難地域の指定を解除され、町役場の方たちは、町民の方が安心して戻ってこられるように情報発信に取り組んでおられます。その情報発信の一貫で、トレッカーパートナープログラムに楢葉町が参加され、Google もリクエストいただいた屋内施設などの撮影で協力しました。

 こども園や中学校、浄水場なども整備され、キレイになったということを見て欲しい、町がどこまできれいになって、住める状態に戻っているのか、そういうことを伝えたいと聞いています。実際に町はきれいに整ってきているようでしたが、まだ長い道のりだとおっしゃっていました。ありのままの姿を撮影してきていますので、ぜひ多くの方が見てくださって、そこから何かを感じてくださればうれしいです」


2016年3月1日に公開された「福島県楢葉町をストリートビューする。」。町民の方が自らストリートビュー用の撮影機材トレッカーを背負い、撮影したストリートビューを含む、福島県楢葉町の現在­を伝えるストリートビュー紹介動画


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