殉職官吏故端山豊蔵之碑 ( 川崎南税務署内 )

この碑は、戦後1947年6月23日に、川崎区池上新町の朝鮮人集住地区を酒税法違反で捜査していた税務署員故端山豊蔵氏が、その捜査後に税務署からの帰宅途中を報復目的の朝鮮人兇漢数名に待ち伏せされ、税務署員かと誰何され、そうだと答えると殴打暴行を受け、その三日後に死亡したことに由来する追悼の碑です。

建立 : 1950年10月
場所 : 川崎南税務署敷地内
碑名 : 殉職官吏故端山豊蔵之碑
碑表 : 故池田勇人元大蔵大臣
碑誌 : 故阪田泰二元東京国税局長
備考 : 加害者は傷害致死で懲役7年

東京国税局長阪田泰二氏(当時)による碑の建立趣旨文には、「和22年6月23日第三国人酒税密造の報に接し卒先課員を統卆してこれが取締に當たりたる處不幸、凶漢の不逞の報復に遭い遂に前途有為の身を犠牲に供しその職に殉ずるにいたり」とあります。

詳しくはこちらの「税務職員の殉難小史(PDF)」をご覧下さい。
http://www.ntc.nta.go.jp/kenkyu/ronsou/12/107/ronsou.pdf


朝鮮人は反省しているかと思えば


川崎の項目で以下の文がある、
1950年10月に、川崎南税務署敷地内に「殉職官吏故端山豊蔵之碑」が建立されました。
当時の東京国税局長阪田泰二氏によるこの碑の建立趣旨文には「 第 三 国 人 」「 不 逞 の 報 復 」など、差別的な表現が見うけられます。
http://blog.livedoor.jp/kanagawagaikiren/archives/cat_6675.html

朝鮮人が如何に、どうしようもない存在なのかと言うことが、如実にわかると思う、人を殺しておいて、何が差別的表現だ!


正論 2005年 11月号

引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐
(一部抜粋)
「満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、虐殺されている光景であった。
         (中略)
「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対するソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取り上げられた。靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。城津での惨状は言語に絶した。(中略)朝鮮人の男女が数十人の団体でおしかけ、干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、あげくは婦人の“提供”を要求されたという
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/korea/1200380093/


昭和三十四年五月
満洲・北鮮・樺太・千島における日本人の日ソ開戦以後の概況
厚生省引揚援護局 未帰還調査部

第四章 南樺太、千島における抑留及び残留状況
第一節 終戦直後から昭和二十四年までの状況

一、全般の状況
 ソ連は昭和二十年十月豊原に民生局を設け各市町村に民警及び憲兵を配置して占領政策の遂行にあたった。この占領政策の強行特に作業大隊編成のための多数人員の収容、戦犯その他の犯罪容疑者の逮捕と、朝鮮人ソ連兵の日本人に対する掠奪暴行とは日本人の生活に極度の不安を与えた。これがためソ連側の禁令を犯して北海道に密航を企てる者、食糧の不足、医療衛生施設の不備等により死亡する者が続出したのである。これらの混乱状態は昭和二十一年末頃まで続いた。
http://cccpcamera.photo-web.cc/HoppouRyoudo/BOOK/BOOK/KOUSEISHOUHIKIAGEENGO/Nissosenn.htm


(クリックすると拡大 必見)

http://ameblo.jp/public/image/displayimage.do?imagePath=/user_images/6c/07/10040669594.jpg

金完燮『親日派のための弁明』の未翻訳部分
http://chosonnews.txt-nifty.com/han/2004/06/post_49.html


朝鮮・韓国人による日本人虐殺事件-『和夫一家殺害事件』


「日帝時代、慶尚道地域の日本人地主であった『和夫一家』は、日本政府の朝鮮移住政策によって、望みもしない朝鮮生活を始める事になった。普段から人情に厚かった和夫さんは、小作料を収穫全体の10分の1しかとらず、村人達を家族のように考え、朝鮮総督府の法令で規定された小作料の中から最低限しかとらなかった。

貧しい朝鮮の小作人が食べ物が無いと哀訴すると、喜んで食べ物を分け与えてあげ、村で誰かが亡くなると、家族全員が駆けつけて食事の用意はもちろん、自ら慟哭までして悲しみを分け合った。

和夫さんはとても人間への暖かい愛情を持った人であった。また、和夫さんの家族は、周囲に孤児がいると連れて帰って面倒を見ていたが、一人、二人と増えていき、1945年にはいつの間にか施設孤児院の規模にまで増えてしまっていた。

しかも、和夫夫婦はこの孤児達を家族のように愛し、自ら喜んでその子達の父母と名乗った。和夫一家は日頃から朝鮮人を愛し、日本の軍国主義を批判していた。だが、天皇の降伏宣言後、自ら育てた『朝鮮人孤児達によって、むごたらしく虐殺された』

和夫の孤児キム・ソンス君の報告

和夫さんが実の子のように育て、東京帝国大学まで留学させていた朝鮮人Aを中心に、和夫さんの家で教育を受け、成人するまで育ててもらった朝鮮人青年達が、カマとツルハシ、シャベルをもって、和夫さんのもとに押しかけた。当時、現場にいたキム・ソンス君は、この時の状況をこう語っている。

和夫:(優しい目で)何故こんなことを、お前たち。

朝鮮人A:チョッパリ!日本へ失せろ!失せろってんだ!!

和夫:(わざと怒り声で)「私が何かお前たちに間違った事をしたかい?お前たちは、みな私の子供達だし、私はこの家の家長でありお前たちの父親だ。お前たちの祖国が独立する事は、私も日頃から強く望んできた事だ。踊りたくなるような嬉しい日に、なんだって凶器を持って私のところに摘めかけてきたんだい?私はお前たちをこんな風に教育した覚えはない。(涙を流して)本当に悲しいよ、朝鮮の子供達。私は愛情を注いで育ててきたが、結局、日本人と朝鮮人は交じり合う事は出来無いということなのかい?お前たちが望むんなら、帰ってやろう」

朝鮮人A:意味深長な目配せをBに送る。(財産を全部処分して帰ったら、俺達はどうやって食ってくんだ?)

朝鮮人B:死ね!チョッパリ!!(日本人への蔑称)この糞野郎!!!

次々にツルハシが和夫さんの後頭部に振り下ろされ、それと同時にたくさんのシャベルとカマが体をズタズタに引き裂き始めた。和夫さんの妻は耐えられずに飛び出してきた。それまでじっとしていた朝鮮人Cは、和夫さんの妻を見ると、彼女の髪をつかんで庭の片隅まで引きずっていった。

そして、なんとその和夫の孤児達13人は、一週間前まで「お母さん」と呼んでいた“彼女を強姦し始めた”。彼女はひどい集団強姦の途中で虐殺された。朝鮮人Dは、普段、お母さんと呼んでいた彼女の“全身をめった刺し”にし、それでも足りずに“内臓をかき出して”撒き散らした。

和夫さんには「ひみこ」という娘が一人いた、普段から模範的で良い子だった「ひみこ」は、学校が終わって家に戻り、両親に起きた“惨状を”見ると、気が触れてしまった。当時、「ひみこ」の慟哭が何日も続き、近所の住民は眠れなかったという。その後、孤児となった「ひみこ」は、食べ物乞いに村を回ったが、誰一人見向きもせず、知らないふりをした。結局、「ひみこ」は9日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。「ひみこ」は小学六年生だった。和夫の財産は、和夫が精魂込めて大切に育てた朝鮮人孤児達(この恩知らずの鬼畜ども)の手に丸ごと渡り、この事件は、『村人達の沈黙の中で徐々に忘れ去られていった』

日本の敗戦後、南朝鮮地域では9月初めに第24軍団が進駐するまでの約1ヶ月、無政府状態の時期があった。その時、朝鮮に住むに日本人は米軍政府の命令に従って、日本に強制引き上げさせられた、その中には虐殺された日本人も多くいた。」
http://bbs.jpcanada.com/log/6/2950.html


朝鮮人こわい_戦後の土地強奪暴虐無頼
http://www.youtube.com/watch?v=qSitA2qPIPo

戦後の日本における在日朝鮮人の横暴
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6963178

<`Д´>在日=レイプ魔
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6976541?length=0&from=0

朝鮮学校の生徒による日本人学生への蛮行
http://www.youtube.com/watch?v=gvr3UvLEtsw

朝鮮学校の生徒による暴行 1
http://www.youtube.com/watch?v=Qb2W7cYekQg

朝鮮学校の生徒による暴行 2
http://www.youtube.com/watch?v=QvRHq7ibeos


拉致被害者と支援者へ暴力,脅迫,中傷を繰り返す陰湿な朝鮮人たち
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news2/1198358317/l50


「朝鮮人とは関わりを持つな」 旧ソビエト政府高官が証言
http://youtube.com/watch?v=3J9zvpbcq0Q

なぜ朝鮮人は嘘ばかりつくのか?【1】
http://www.youtube.com/watch?v=84N-5RC_yhA
なぜ朝鮮人は嘘ばかりつくのか?【2】
http://www.youtube.com/watch?v=qgTSdP_fUmc&feature=related
なぜ朝鮮人は嘘ばかりつくのか?【3】
http://www.youtube.com/watch?v=7SDbvLsZTSU&feature=related


韓国人、朝鮮人は事あるごとに過去の話を持ち出し、何度謝罪してもいくら賠償しても、絶対に日本を許さず、さらなる要求を突きつけてきます。

強制連行なるものや従軍慰安婦はでっち上げであり、本来であれば謝罪・賠償を要求するのは日本人の方なのです。

日本人のみなさん、在日コリアンが過去の話を持ち出してきたら、全部嘘だと思って間違いありません。

逆に、戦前から日本人に対して行ってきた残虐非道な行為の行為の数々を突きつけてあげてください。

そして、今まで在日に使ってきたお金の返還と国外退去を要求すればいいのです。


日本人ならお世話になった人物を裏切ることはしません。

しかし、韓国人、朝鮮人は違います。

どれほど恩を受けても満足しません、それどころか親切を逆様に恨み、報復しとうとするのがこの民族の特徴です。信じられませんが、これがずっと抑圧されてきた歴史を持つ民族の恐ろしい性なのです。

日本人の感覚であれば、日本人を虐殺した朝鮮人はよほど酷いことをされたのだろうとできるだけ好意的に解釈しようとしますが。

それは大間違いです。

繰り返しますが、関係ありません。

弱った相手がいれば、残虐性を発揮するのが朝鮮半島の民族なのです。

日本人とは精神性において根本的に違うのです。


くれぐれも、日本人と同じ感覚を持った、話をすれば分かりあえるような人たちだと思わないでください。

どんなに笑顔が素晴らしくても、腹の中は全く違います。目の前のいる人間の値踏みをしているのです。

金を持っているか、利用できるか、怖いか、敵に回しても構わないか、などなど、表から受ける印象とは違うことを考えています。

平気で嘘をつき、相手が怖くなければ平気で殴ってきます。

何の罪の意識もなく、酷いことができる民族です。

悪いことをしているという意識はありません。だから、絶対に非を認めません。


世にも恐ろしい民族、それが韓国人であり、朝鮮人なのです。

付き合ってみたらわかります。

まだ、被害にあってないとしたら、よほど運がいいのでしょう。


中にはごく一部まっとうな者もいるでしょうが。あくまでも一部ということです。