【ミャンマー人】来日1年全員逃亡 茨城の実習先~読売新聞2015年2月7日 | パキスタン人旦那と共に歩む人生

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続いて、ミャンマー人関連の偽装難民の記事を引用。

来日1年全員逃亡 茨城の実習先
「東京で稼ぐ」難民申請 ミャンマー実習生 当初から計画か

 茨城県の水産加工会社などで働いていたミャンマー人の外国人技能実習生33人が実習先から逃げ出し、難民申請していたことが明らかになった。
全員が来日から1年以内に姿を消しており、実習制度が来日の「手段」として利用された可能性がある。
労働力不足に悩み、長年、実習生を受け入れてきた団体や企業にとって衝撃は大きい。

 「東京に行けば、楽にお金が稼げる」「難民申請すればいい」。
ミャンマー人実習生の一人は、逃亡前から周囲にこう話していた。
 
 33人に実習先をあっせんした茨城県神栖市の監理団体・浜崎国際交流協同組合が、中国人実習生の受け入れを始めたのは約20年前。
地元の水産加工会社はどこも深刻な人手不足で、同組合の幹部(68)は「実習生がいないと地域の産業は成り立たない」と話す。

 幹部が初めてミャンマーのヤンゴン市を訪れたのは、2013年夏。
中国内の賃金上昇に伴い、来日する実習生がへっていることから、初めてミャンマーからの受け入れを決めた。
実習生たちは熱心に日本語を勉強しており、「これは即戦力だ」と期待した。

 ヤンゴン市の送り出しを企業を通じて同年12月から受け入れを始め、14年5月までに計35人が来日した。時給は700円。家賃などを除くと1か月の手取りは10万円程度だった。
魚をさばいたり、商品の箱詰めをしたりと、最初は真面目に働いていた。

 逃亡が始まったのは14年6月。パターンは決まっていた。
給料日の2,3日前から、準備のためか「おなかが痛い」などと仕事を休み、給料日翌日になると、宿舎の荷物がなくなっていた。
多くは高速バスなどで東京に向かったとみられ、病気などで帰国した2人を除き、同年12月までに全員がいなくなった。

 同組合では受け入れにあたって、渡航費用として1人につき7万円程度を支出していた。
来日後は、日本語や生活ルールについて1か月程度の講習も行った。
実習生には講習期間中、実習先から約4万円の「生活費」が出ていたが、講習を終えると、すぐにいなくなった実習生もいた。

 ヤンゴン市の送り出し企業の社長に苦情を言うと、その後、一切連絡が取れなくなった。
幹部は「実習先に迷惑をかけてしまった。全員がいなくなるなんて、来日前から示し合わせていたとしか思えない」と憤る。
 
 男性2人、女性1人の実習生が働いていた神栖市の水産加工会社社長(55)は来日直後、支度金として5万円ずつ渡していた。
「日本に来たばかりで寂しいだろう」との思いから、東京ディズニーランドにも連れて行った。
だが、3人とも1年以内に姿を消した。

 会社では今も中国人実習生が働くが、逃亡は今回が初めて。
社長は「みんなで一緒にやっていこうと思っていたところでいなくなった。実習制度が来日のためだけに利用されたのなら残念だ」と肩を落とす。

 「ごめんなさい」。逃亡後、女性からは社員にメールが届いたが、男性2人からは何の連絡もない。
 
 日本の難民認定制度では、申請から6か月を超えると、実習生でも別の場所で就労できる。同組合には、実習生の一部は群馬県内の飲食店や機械部品工場で働いているとの情報が寄せられているという。