初めての方は注意事項に目を通してからお読みください。
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『誰が』今を変えたいのか① アスペルガーの望む世界、定型の望む世界

僕も今の状況から抜け出す為に、自分に言い聞かせようと思います。




アスペルガー(発達障害)には2種類います。

自分が発達障害だと自覚し、努力することが出来る人と、努力出来ない人です。


不器用、純粋、愛情表現が下手、感性が独特。

このように解釈して定型(アスペルガーではない人)が許容できるアスペルガーは、前者だけです。

後者は、周辺者の許容範囲をゆうに超えます。

アスペルガーと定型が共存して行くためには、アスペルガー本人が努力出来る人にならなくてはいけません。

アスペルガーがそのスタートラインに立って初めて、定型とアスペルガーが理解しあえる基盤が出来るのです。




努力出来るアスペルガーと付き合っている人と、努力出来ないアスペルガーと付き合っている人を、同じ土俵で考えてはいけません。

今、努力しているアスペルガーは、人と関わることに困難があると自覚しています。

それが、アスペルガー自身が取り組むべき問題であることを知っています。

だから、自分もいくらか努力して、人と関われるようになりたいという気持ちがあります。


それならば、定型も助けられることがあります。

定型側も、アスペルガーにもわかりやすいコミュニケーション方法にしようと努めるでしょう。




努力していないアスペルガーは違います。

彼らに困っていることはありません。

人と上手く付き合えていないとも、上手く付き合いたいとも思っていないからです。


人と適切に関わりたいという気持ちさえない場合、他人が出来ることは何もありません。

そして、努力しないアスペルガーと近距離で関わると、定型の心は確実に死んで行きます。




人の心を滅ぼすアスペルガーは、努力出来る人ではありません。

反省できる人ではありません。

人を傷つけたことにも気づきません。

自分に原因があるかもしれないと考えることもありません。


定型が必死にコミュニケーションを取ろうと働きかけても、努力しないアスペルガーはそれを必要としません。

何と言っても、困っていないのですから。




それでも、努力出来ないアスペルガーは、何も教えられなかったり誰も助けてくれなかった訳ではありません。

最初に異変に気づくのは、医者ではありません。

家族です。親しい人間です。

他でもない彼をよく知る家族が、恋人が、友人が、障害に一緒に向き合おうとしています。

それなのに、当の本人が他人事では救いようがありません。




突然、アスペルガーの周辺者が怒り出したことは、一度や二度ではないはずです。

それも、日常の些細なことでです。

変わってる、話が通じない、気味が悪い、付き合いづらい、何を考えているかわからないなどと言われたことも、アスペルガーには相当数あるはずです。

今なら、障害の可能性を指摘されたり、専門機関の受診を勧められたりしたこともあると思います。


それらの指摘を受け入れるかどうかはアスペルガー本人の自由ですが、その結果に対する責任はアスペルガー自身にあります。

診療も受けず、他の対処もせず疎外されたとしても、自業自得です。

誰のせいでもありません。


障害があることはアスペルガーの責任ではありませんが、障害にどう対応するかは本人の問題です。




アスペルガーは、定型に「やめてほしい」と言われたことをしつこく繰り返します。

何度「やめて」と伝えても聞く耳を持たず、理由を説明しても理解せず、された側の怒りも悲しみも虚しさも、感じ取りません。

定型は、ついに堪忍袋の緒が切れて、口汚く罵ったり思わず手が出ることになります。


するとアスペルガーは、最後に自分が吐かれた暴言や、受けた暴行だけを被害として訴えます。

暴力に至った経緯を理解できないアスペルガーは、本気で自分が被害者だと思っています。

自分は何も悪いことをしていないのに、「突然、怒鳴られた」「急に殴られた」と訴えます。


こんな人を許せる訳がありません。

許す必要もありません。

許してもアスペルガーにはわからないですし、ますます被害者意識を強めて行くだけだからです。


アスペルガーに無言のメッセージは伝わりません。

明確にアスペルガーの問題点を指摘し、もうキッパリと関わらないことです。

それでも、自分の間違いに気づけるのは一部のアスペルガーだけです。




当たり前ですが、周囲の人は、アスペルガーの世話をするために生まれてきたわけではありません。

そう覚悟を決めて面倒を見られる人だけ、そうしたらいいのです。


どんな人も、自分を守る義務があります。

自分の人生を楽しく生きる権利があります。

そのために、付き合う人間を選ぶ責任があります。


だから、定型がアスペルガーと別れる決断をすることは、何も特別なことではありません。

全力で逃げなければいけない人間関係もあるのです。




偶然、アスペルガーと関わることになった周辺者に対し、助けるべきだとプレッシャーをかけることは偽善です。

障害者だからといって、定型が助ける義務などありません。

本人が求めていないものは、アスペルガー自身にも迷惑なだけです。

「頼んでない」「勝手にやった」と、寧ろ、定型のわがままに付き合ってやったと言われるのがオチです。


アスペルガーにサポートが必要なら、支援してくれる人と過ごせばいいのです。

支援できない定型がそばにいることで、アスペルガーが別の人から支援してもらう機会も奪っています。




アスペルガーが愛情と思っているものは、定型には愛情ではありません。


定型は感情の共有を求めますが、アスペルガーにはその理由も感覚もわかりません。

アスペルガーが愛情と信じているものは、定型の世界で言う理屈と正論です。

理屈や正論で、定型の心は癒されません。

しかし、アスペルガーには感情の共有という癒しより、正答や正論の方がはるかに重要なのです。


努力しないアスペルガーに、定型の癒しなどわかろうはずもありません。

このアスペルガーに、喜怒哀楽を共感してもらえることはありません。

つまり、一生愛されないということです。




あなたの大事な人は、そのアスペルガー一人ですか?

他にもっと大事な人はいませんか?

そのアスペルガーに振り回されて、もっと大事な人を疎かにしていませんか?


一番大事な人を、一番大事にしたらいいのです。

それで十分です。


あなたを愛してくれる人だけを愛しましょう。

それも大変なら、今はただ、愛してくれる人の愛に甘えたらいいのです。

疲れているあなたは、それだけで十分です。


理屈だけの優しさに、人の心は満たされません。

愛されなくても愛すことが出来るのは、心に余裕のある人だけです。

アスペルガーと接して疲れ果てたなら、離れて疲れを取ればいいのです。


あなたの心に、愛が満たされるその日まで。


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※注意※
2019/02/25 このブログ記事が盗用されました(パクられた)。川口佑氏には使用を許可していませんので、ご注意ください。