■有馬2等陸曹300m流されるも18人救助 自衛隊員 | peruの気まぐれ日記帳

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■陸自第119教育大隊(宮城)有馬勝彦2等陸曹(41) 津波の中18人救助「訓練生きた」
2012.9.23 22:59

東日本大震災の大津波に遭遇したのは午後4時ごろ。
宮城・多賀城駐屯地に到着する直前だった。
目の前の高さ1メートルほどのフェンスに上ったが、押し寄せた大津波の濁流にのみ込まれ、体の自由を奪われた。
「身を委ねるだけ。ダメかな」と死の予感もよぎった。
直後に、溺れていた年配の女性の襟をつかみ上げた。
大津波の圧倒的な力に女性が覚悟を決めたように言った。
「私はもう駄目だわ」。
気が付くと、「諦めるな」と懸命に励ましていた。
 
もう一方の腕では、射撃訓練帰りの重装備でほとんど沈みかけた、同じ駐屯地の自衛隊員をつかみ上げた。
2人と一緒に流されること約300メートル。
奇跡的に民家1階の屋根に救われた。
 
周囲からは助けを求める漂流者の声。
偶然流れ着いた木材の束をいかだ代わりにして、翌朝までに18人を救助した。
 
「助けてという女性の悲鳴に何とかしなくてはの思いだけ。不思議と寒さも感じなかった」。
使命感に突き動かされた活動の詳細は、救助された人々のメモや記憶で、後になって分かった。
 
「いつ何が起きても動けるよう訓練してきた。これが生きた」と笑う。
青森県浪岡町(現青森市)の農家の出身。
家族は妻と娘2人。
銃剣道のため筋トレを欠かさないというたくましい両腕が、日頃の訓練の証拠だった。(石田征広)

9分40秒あたりから有馬勝彦2等陸曹と助けられた方々登場






陸上自衛隊多賀城駐屯地、第22普通科連隊の皆さんの活躍が放送されました。
まさに「郷土部隊」、彼らがいなければ多賀城市の犠牲者はさらに増していたと思います。
隊員自身が自宅や自家用車が流されたりした被災者であり、
しかも家族の安否確認よりも先に救助活動を開始されていたと。

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