ちょっと今日は自分が好きな言葉から紹介したいのですが、内田樹(たつる)さんの

 

 

僕は誰と会っても、できるだけ「その場で思いついた話」をするようにしています。「その場で思いついた話」には、間違いなく相手の存在が関与しています。ですから、その話はいわば二人の共同制作作品なわけです。僕一人では作ることのできなかったものが、そこに出来上がった。そうじゃないと、わざわざ出かけて行って人と会う甲斐がないじゃないと僕は思います。でも、そういうふうに考える人は少数派です。

 

 

内田樹『内田樹による内田樹』 株式会社140B、2013年、p.187

 

という言葉なのです。

 

内田樹さんの言葉に対する考察って本当に多岐にわたっていて、たとえばまだ内田先生が大学で教鞭を取っていらっしゃった時に「講義で話す内容を決めている」と、学生は居眠りし出すそうなのです。でも、その場で思いついた話に対してはキラキラと目を輝かしながら聞く光景が広がる。自分でも「あれ、なんでこんな話をし出したんだろう? 」という、着地点がよくわからないスリリングな話って、それは「その場でなければ出てこなかった0からの創造物」という面があるそう。

 

「なるべくその場で思いついた話をする重要性」って、僕が敬愛する名越康文先生も言っていて、その教えってすごく大切にしています。

 

だから、ちょっと言い方に毒が入るかも知れませんが、僕自身は「ものすごく頭が良くて、分析も良くできていて、結論もそれとなく正しいんだろうな」と思われるような正論も、なんか「この人ってこの言い方言いなれているよな」って話はどうしても耳に入ってこないのです。その人の声が、「自分じゃなくても良くて、誰に対しても同じようなことを言っているような、よくまとまった美辞麗句」ってやっぱり眠くなっちゃうことがある。

 

それで、2017年の下半期のしいたけ占いを書き上げました。今月はでもまだ他の原稿があるので切り替えます。

 

ただ、いつもそうだけど、この上半期と下半期に関しても、その場で思いついた話しかしてません(笑) 自分の目の前に〇〇座のあの人がいる。なんか知らないけどこの人には今こういうことを伝えなければいけない。だから、書いてて本当に自分でもどこに着地するかわからない。

 

「何か知らないけどそうしなければいけないような気がした」

 

ってすごくそれは人生において大事なことだとも思ってきています。理屈で強化し過ぎると、やっぱりどうしてもその「音」とか「温度」って陳腐なものになっていってしまう。「自らの頭の良さ」ではなくて、「目の前にある生もの」を取り扱おうとする人ってどうしても「なんとなく」を大事にせざるを得ない。だから、この原稿が終わったら私はまた森に戻ります(笑)

 

目の前に「誰か」がいないかのごとく、自分が正しいと思うことだけをただ自動的に喋り続けるとどうなるか。その声はいずこにも届かなくなる。

 

だから、労力はかかったとしても自分の考えなんてまとめないでおきたい。その場で思いつくことを大切にしたい。

 

まだ発表の時期とかはわからないのですが、時期が決まったらまたアナウンスさせてください。