角岡伸彦 五十の手習い

記事一覧

 

歌手とプロモーター ③

  80年代半ば以降、たかじんは、大阪を拠点にして、ラジオ・テレビのタレント・司会者として売れっ子になっていく。元来、芸達者な上に研究熱心であった。自宅にビデオを何台も置いて他番組を録画し、視聴者は何を求めているかをリサーチし続けた。関西でブレークした勢いで、90年代初頭に東京に進出するが、システム化された番組づくりが合わず、2年余りで大阪に戻る。「東京にいるときは、全然元気がなかったですね」と当時のマネージャーが振り返る。

 大阪に帰ったたかじんは、水を得た魚のごとく、関西の電波界を自由に泳ぎまわる。92年には、酒場のバーテン役を務めるたかじんが、多彩なゲストと本音トークを繰り広げる「たかじんnoばぁー」(よみうりテレビ)が始まる。深夜スタートにもかかわらず、最高視聴率が25%を超える伝説的番組になった。この番組には、3月3日の偲ぶ会の発起人に名を連ねた、ビートたけしも2度出演している。歌手としては93年に「東京」が発売され、60万枚を売り上げた。知名度が高くなるにつれ、コンサートのチケットは、発売即完売が続いた。

 世紀が変わった2002年には、政治・経済・文化・社会問題を各界のゲストとともに縦横無尽に語る「たかじんのそこまで言って委員会」(よみうりテレビ)が始まる。この番組のレギュラーであった弁護士・橋下徹が、たかじんに「やるなら今や」と背中を押され、大阪府知事、さらに大阪市長となり、政治家の道を歩むことになる。安倍現首相とは、自民党幹事長時代に同番組に出演して以来の付き合いである。かくしてたかじんは、関西のみならず中央の政治家ともつながる存在になっていった。

 とはいえ、自分が歌手であることをひとときも忘れることはなかった。たかじんは2008年、よみうりテレビ開局50周年の記念コンサートで松山千春と共演している。たかじんとは40年来の付き合いを続けていた人物が証言する。

「コンサートの客の6割は千春のファンやった。千春が出てくると声援がものすごかった。たかじんも気負ってねぇ。すごい気合が入っとったんです。そんでたかじんの曲をデュエットしたんやけど、千春は病み上がりもあって、うまく歌えんかった。コンサートが終わって、たかじんは夜の街に消えた。一人で飲んでた。泣いてるねん・・・。たぶん千春がうまく歌えんかったのは、自分の曲を覚えてくれてへんかったと思ったんやろうなぁ。あいつ、一番そういうのに傷つくからな」

 たかじんは竹中の勧めでキングレコードを離れていたが、それでも個人的な付き合いは続けていた。2人の関係は、暴れん坊で寂しがりやの弟を気遣う兄であった。竹中はたかじんより9歳上である。

「『いっぺんしゃべろうか』とか『飲みに行こうか』とか、ときどき僕が声をかけて、あいつの家に行ってました。京都におるときは狭いところにいたんですが、売れてからは、大阪の大きいマンションに住んでました。大きい部屋にテレビがあるのに、四畳半にどてらを着て、こたつに入ってちっちゃいテレビを見てるんですよ。『どないしてん?』と聞いたら、『敵がおる』と。『敵? 敵もおるけど、味方もおるやろ?』と言うたら『敵が二万五千人もおるわ』『そら、お前、倒れるわ』と言うたことがあります。家に行ったら折れてるときが多かったですね。まあ凧揚げみたいなもんで、世間の波に乗ってたかじんという凧が揚がったら、糸は要らんのですわ。ただ、何かあったときに降りるところはつくっておいてあげなあかんとは思っていました」

 たかじんにとって竹中は、数少ない、降りていける場所だった。冠番組をいくつも持ち、コンサートチケットは完売する人気者であっても、常に孤独を抱えて生きていたのかもしれないーー竹中は今もそう思う。

 死後、キングレコードから復刻された初期のアルバムは、関西を中心に売れている。「やっと今やで、お前・・・」。

 40年近くの付き合いを経て、竹中の胸に去来するものは「ようやく歌手として認められたかな」という感慨だった。

 たかじんの死後、関西の民放各局は、追悼番組を放送し、いずれも高視聴率を記録した。中には2度も特番を組んだ局まであった。追悼番組では、タレント・司会者として活躍するたかじんの画像が流れた。竹中はそのことに違和感がある。

「亡くなってからも、これだけ特集を組まれたりする人っていうのは、本当に珍しいと思います。でもそこに映ってるのは、僕が目標とした、やしきたかじんではないんですよね。生前に自分の番組で、俺は歌手だって何度も言って、笑いをとってた。確かにあいつは歌手なんですよ。死んであいつは何をしてるかいうたら、しゃべってないと思います。たぶん、思いっきり歌ってると思う」

 3月3日の招待客が集まった偲ぶ会は、たかじんの歌う姿が、大スクリーンに映し出された。竹中がかかわった初期の曲もあったし、他社に移籍したあと、大ヒットを飛ばした曲もあった。

「会場では『やっぱり、たかじんは歌手やったんや』という声も聞こえてきました。ほんとにみんながあのとき、彼が歌手であることを納得してくれた。それはうれしかったですね」

 無名・有名時代を支え続けた竹中には、この日、確かに歌手・やしきたかじんが近付いてくる来る足音が聞こえていた。

(『週刊ポスト』4月4・11日号「やっぱ好きやねん やしきたかじんの情と愛」に大幅に加筆。文中敬称略)