日本人の大好きなパスタといえば、ミートソース。またの名を「ボロネーゼ」。このソースの本場といわれるのが、北イタリアにあるエミリア=ロマーニャ州。では、州都ボローニャが名の由来? いやいや、実はボローニャに「ボロネーゼ」と呼ばれるパスタはない。現地では肉のソースをラグーといい、合わせるパスタは平打ち麺のタリアテッレがお約束。その名は「タリアテッレ・アル・ラグー」。つくる土地、人によってレシピが違うという、味噌汁のようなソウルフード。その正体を探る旅に出た。

ボロネーゼの、本当の発音はボロニェーゼだそうだ。“ボローニャの”という意味だから。考えてみれば、なんと大雑把な名前だろう。きりたんぽ鍋を“秋田の”と呼ぶようなもの。そして日本人の大半が、“ボローニャの”でミートソース・スパゲッティを思い浮かべるのである。

なのに! ボローニャに、ボロネーゼなるパスタはない。肉のソースのパスタはあるが、スパゲッティじゃない。現地で修業したシェフに、そう教わったことがある。

「それはタリアテッレ・アル・ラグーですね。卵入りの平打ちパスタに肉の煮込みが基本形。でもレシピはつくる人一人ひとりで違う、そう、日本の味噌汁のようなもの」

赤味噌派・白味噌派よろしく、煮込むワインは赤だ白だと論争になる。誰もが「うちが一番」と信じている。そんなパスタが、ボローニャに限らずエミリア=ロマーニャ州全域に散らばっているという噂。確かめねば。小さな使命感を胸に、ボロネーゼ、いやボロニェーゼ、いやいやタリアテッレ・アル・ラグーを巡る旅に出た。

エミリア=ロマーニャ州は、世界に名だたる食材の宝庫。イタリアはどこだっておいしいものだらけだが、そのイタリア人が美食の地と呼ぶ州である。パスタといえばリッチな卵入り、そして手打ち文化圏。

「けれど今、手打ちできる人は高齢化し、お母さんは時間がないし、娘はつくり方を知らない。伝統的なタリアテッレ・アル・ラグーをつくれる人は少ないよ」

現地に着くや、そんな嘆き節が聞こえてきた。ならばまずは数少ないという、手打ち名人を探し出そうじゃないか。

見つけたのはパルマ近郊に住む、リーナおばあちゃん。10歳からマンマのお手伝いをしながら料理を覚え、1957年にお嫁入り。半世紀以上、大家族のラグーをつくり続けてきたという。

「昔はね、ラグーをつくれなきゃお嫁に行けなかったのよ」

可愛いエプロンをキュッと締め、リーナは柔らかな手で卵色の生地に触れる。タリアテッレは原則、小麦粉100gに卵1個の割合、太さ8mm、包丁で手切り。ラグーは香味野菜とトマトソース、3種類の肉で煮込むのが決まり事だそうだ。

「最初に野菜」。そう言うと、おもむろににんじんをゴロッと1本、セロリはバキッと折って鍋に放り込んだ。なんと豪快な! と思いきや、2時間煮込んで柔らかくなったら、野菜を取り出して裏漉しするのだという。ひと手間かかるけど、食べたとき、野菜の繊維が口に残らない。食べる人への、実にこまやかな思いやりだった。

「ラグーは煮込むだけのシンプルな料理。コツ? そんなのないわよ(笑)。ああ、でもバターとチーズは大切ね」

分量を聞くと、「たっぷり」と返ってきた。おばあちゃんの味は体にしみ込んだ経験の味。当然のことながら目分量である。

それにしても彼女は、「味が重くなる」とワインは白も赤も一滴も加えない。パスタ生地には塩も加えない。なのに、バターとチーズは絶対にたっぷりなのだ。なぜ? 再び尋ねると、今度は「ラグーっていうのは、そういうもの」が答えだった。

家族の食卓で、タリアテッレ・アル・ラグーを一緒にいただいた。ゆでたパスタにミートソースをのせるのでなく、ラグーはパスタに和えている。噛むと小気味よい歯ごたえの生地から、卵の風味が立ってきた。野菜の形はどこにもないが、その旨味はしっかりと肉にしみ込んでいる。それにしても、なんという優しい味! バターやチーズはまろやかになじみ、後味が意外なほどさっぱりしているから、ペロリといける。

実はバターもパルミジャーノも、飼っている牛の乳を搾り、近所のチーズ屋さんでつくってもらっているのだという。卵も20羽の鶏が毎朝産んでくれるし、トマトソースは旬の夏に1年分仕込み、瓶詰めに。

「材料がいいの。うちは決してお金持ちじゃないけど、何でもあるのよ」

それは、トマトの収穫から始まる料理。台所の匂い、煮込む音、食卓の笑い声。リーナおばあちゃんのタリアテッレ・アル・ラグーは、いつも家族の真ん中にある。

■リーナおばあちゃんのタリアテッレ・アル・ラグー

----------

【材料(つくりやすい分量)】
手打ちタリアテッレ……適宜、E.V.オリーブオイル……たっぷり、バター……たっぷり、海塩(粗粒)……適量、トマトソース……250g、トマトペースト……大さじ2、パルミジャーノ・レッジャーノ(24カ月熟成)……たっぷり
A<仔牛肉(粗挽き)……100g、豚肉(粗挽き)……100g、牛肉(粗挽き)……100g、スカニョーロ(小玉ねぎ)……2個、にんにく……1片、玉ねぎ(半分に切る)……1個、セロリ(半分に折る)……1本、にんじん……1本>

----------

【つくり方】

(1)ラグーをつくる。鍋にAの材料を丸ごと入れ、たっぷりのオリーブオイルとバター、海塩少々を加えて火にかける(写真a)。

(2)トマトソース、トマトペースト、水750mlを加える。沸騰したら弱火に落とし、2時間煮込む(写真b、c)。

(3)(2)から野菜だけを取り出し、野菜を裏漉しして鍋に戻す。さらにごく弱火で5〜6時間煮込んだら、ラグーの完成。

(4)深鍋にたっぷりの水を張り、海塩ひとつまみを加えてから火にかける。沸いたらタリアテッレを入れるが、このとき湯はボコボコ沸かしすぎないこと。

(5)別容器に人数分のラグー(写真d)とゆで上がった(4)を移し、すりおろしたパルミジャーノ・レッジャーノを入れて和える。

(6)皿に盛り、仕上げにもパルミジャーノ・レッジャーノをかける。

(文・井川直子 撮影・木村金太)