ニュースサイトのコメント欄では、事実関係をろくに把握せずに「怒りのコメント」を残す人が目立つ。なぜそこまで怒るのか。精神科医の片田珠美氏は「他人の怒りに便乗して怒る人は、誰でもいからボコボコにたたいて鬱憤を晴らししたい欲望が強い」という。匿名の安全地帯から人を血祭りに上げる「歪んだ心理」のメカニズムとは――。
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■他人の怒りコメントに乗じて怒る“便乗怒り”の心理

政治家や芸能人などの発言、あるいはネット上に掲載された記事がたびたび炎上する。その内容の是非はともかく、一部分だけを取り上げたり、ちょっとした言葉遣いをあげつらったりして、血祭りに上げる人が少なくない。

なかには、他の人が残した怒りのコメントを少し読んだだけで、輪をかけて激しい怒りのコメントを残す人もいるように見受けられる。さらに、発言や記事の元の文脈を無視しているとしか思えない人もいて、きちんと読んでいないのではないかと疑いたくなる。

こういう人は、いわば他人の怒りに便乗して怒るわけで、“便乗怒り”といえる。この“便乗怒り”の心理は一体どうなっているのだろうか。

分析すると、次の3つの心理が浮かび上がる。

(1)怒りの正当化
(2)鬱憤晴らし
(3)優越感

(1)怒りの正当化

まず、「他の人も怒っているのだから、自分も怒っていい」と考え、自分自身の怒りを正当化する。これは、怒りを激化させる重要な要因である。なぜならば、「怒ってはいけない」というしつけや教育を幼い頃から受けてきて、怒ることに恥ずかしさと後ろめたさを感じている人が多いが、「他の人も怒っているのだから……」と思えば、そういう気持ちを払拭できるからだ。

いわば「赤信号みんなで渡れば怖くない」という心理が働き、他人の怒りを口実にして心理的な抵抗なしに怒ることができる。当然、怒りのコメントを残している人が他にも大勢いるほど、そして他のコメントが手厳しいほど、抵抗は小さくなる。

心理的な抵抗が小さくなると、怒りの対象だったはずの発言や記事の元々の内容も文脈もそれほど重要ではなくなる。なかには、そんなものはどうでもいいとさえ思う人もいるようだ。こういう人は、しばしば「誰でもいいからたたきたい」という欲望に駆り立てられている。だから、大衆のバッシングを受けている有名人は格好の対象であり、便乗してボコボコにたたくのである。

■匿名の「安全地帯」からフルボッコする神経

(2)鬱憤晴らし

「誰でもいいからたたきたい」という欲望を抱くのは、日頃から鬱憤がたまっていて、そのはけ口を探さずにはいられないからだろう。つまり、怒りたくても怒れず、欲求不満にさいなまれている。だから、誰でもいいから怒りをぶつけて、スカッとしたい。

このように鬱憤晴らしのために「誰でもいいからたたきたい」と思っていると、ネット上で他の誰かが残した怒りのコメントを見つけたら、これ幸いとばかりに自分も激しい怒りをぶつける。

こういう人は、そもそも鬱憤がたまる原因を作った相手に対しては、怖くて怒れない場合が多い。たとえば、本当に腹が立っているのは、理不尽な指示に部下を無理矢理従わせようとするくせに、責任はすべて部下に押しつける上司だったり、ろくに家事をしないくせに、文句ばかり言う妻だったりするのだが、そういう相手には怖くて何も言えない。

それでも、怒りが消えてなくなるわけではない。怒りは、澱のようにたまっていくので、何らかの形で吐き出さずにはいられない。だから、その矛先の向きを変えて、しっぺ返しの恐れがなさそうな弱い相手に怒りをぶつける。

■「ネットに実名入りで悪評を書くぞ」と脅す

このような方向転換を精神分析では「置き換え」と呼ぶ。怒りの「置き換え」の最たるものが、最近問題になっている「カスタマーハラスメント」、いわゆる「カスハラ」である。

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「カスハラ」とは、サービス業の現場あるいはお客様相談センターで客が行う理不尽な要求や悪質なクレームなどの迷惑行為であり、最近深刻化している。たとえば、店員に「お前は頭が悪い。だからこんな仕事しかできないんだ!」と暴言を吐いたり、態度が気に入らないという理由で土下座を要求したりする。あるいは、返金や賠償金を要求し、それが受け入れられないと、「ネットに実名入りで悪評を書く」「殺されたいのか」などと脅す。

こうした「カスハラ」が増えている背景には、顧客獲得のために“過剰”ともいえるサービスが当たり前になったことや、SNSの普及によって誰でも悪評を容易に発信できるようになり、しかもそれがすぐに拡散することがあるだろう。

だが、問題の核心は、店員を怒鳴りつけたり脅したりすることによって日頃の鬱憤を晴らそうとする客が少なくないことだと私は思う。この手の客は、日頃怒りたくても怒れないので、怒りの「置き換え」によって、その矛先を言い返せない弱い立場の店員に向けるわけである。

同様のメカニズムが“便乗怒り”にも働いているように見える。本当に怒りたいのは職場や家庭の身近な相手なのだが、怖くて怒れない。そのため、ネット上で他人の怒りのコメントを見つけると、それに便乗して怒りをぶつける。

この“便乗怒り”は、鬱憤晴らしの手段として最適である。というのも、匿名で怒りのコメントを書き込めば、仕返しされる心配はないからだ。自分は「安全地帯」にいながら、どんな激しい怒りでもぶつけられる。だからこそ、後を絶たないのである。

■ゲス不倫の芸能人を責める人は正義感の衣をかぶせる

(3)優越感

そのうえ、怒ることによって優越感も味わえる。怒りのコメントが多いのは、たいてい不祥事や失言などがあったときなので、そういう“失点”を厳しく責め、そんな“失点”は自分にはないと強調すれば、自分のほうが優位に立てる。

この手の優越感は、相手が大物であるほど味わえる。当然、政治家や芸能人は絶好のターゲットであり、有名人の不倫スキャンダルが相次いで報じられた頃、ネット上は“便乗怒り”であふれていた。

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有名人へのバッシングに同調した“便乗怒り”を目にするたびに、イタリアの思想家、マキアヴェッリの「人は、心中に巣くう嫉妬心によって、賞(ほ)めるよりもけなすほうを好むものである」という言葉を思い出す。

“便乗怒り”で怒りのコメントを残す人には、自分が嫉妬心を抱いているという認識はないかもしれない。これは当然だ。というのも、嫉妬心は恥ずべき陰湿な感情なので、そんな感情が自分の胸中に潜んでいることを誰だって認めたくないからだ。

厄介なことに、嫉妬心を抱いている自覚がない人ほど、正義感の衣をかぶせる。たとえば、「不倫するなんて人倫にもとる」「あんな暴言を吐くなんて政治家として失格」といった“正論”を吐く。

たしかに、不倫も暴言も“悪”であり、許されないことだが、それを厳しく責め、怒りのコメントを残す人の心の中に“悪”への欲望がみじんもないかといえば、はなはだ疑問である。実は、「自分も不倫したいが、妻が怖くてできない」「自分も会社で思い切り暴言を吐きたいが、そんなことをすればクビになりかねないので我慢している」という人が多いのではないか。

自分がしたくてもできないとか、我慢しているとかいうことを他人が易々とやってのけると、誰でも悔しい。だが、その悔しさを認めたくないので、正義感の衣をかぶせて、たたく。とくに相手が有名人であれば、嫉妬心もあいまって、バッシングが激しくなる。そして、それがさらに“便乗怒り”を誘発する。

■弱い相手を怒ると、怒られた側もさらに弱い相手を怒る

“便乗怒り”が現在の日本社会に蔓延しているのは、それだけ鬱屈した思いを抱えている人が多いからだろう。そういう人は、怒りを向けるべき本来の相手が怖くて、怒れない。だから、「置き換え」によって、たたきやすい相手に怒りの矛先を向ける。

このように怒りの矛先がずれているのは危険だと私は思う。誰かがあまり関係のない弱い相手を怒ると、怒られた側もさらに弱い相手を怒る。こうして、怒りの“とばっちり”がどんどん連鎖していくと、そもそも何について、誰に対して怒っていたのかが次第にあいまいになる。

ですから、みなさん、自分が本当に怒りを覚えているのは誰なのか、その相手に怒れないのはなぜなのかを分析して、きちんと怒りましょう。

(精神科医 片田 珠美 写真=iStock.com)