百貨店のチラシに「和紙のルーツは韓紙」との説明が載り、インターネット上で「本当か」と疑いの声が上がった。後に百貨店側は「根拠がないまま掲載してしまった」と謝罪した。

紙や製紙技術は確かに、中国大陸から朝鮮半島を通って日本に伝わったとされている。とはいえ和紙は国内で独自の進化を遂げており、現在の和紙が韓紙の影響を受けたわけではなさそうだ。

展示会業者からの文案チェックせず

東急百貨店たまプラーザ店で2012年3月29日から開催されている「コリアンハンドメイド展」の宣伝チラシで、ちょっとした騒ぎが起きた。韓国の工芸家16人が創作した人形やタペストリーといった作品を展示する催し物だが、展示品のひとつである「韓紙」の説明に「日本の和紙のルーツ」と入れていた。

ところが3月29日になって、たまプラーザ店のウェブサイト上には「チラシ内容についてのお詫び」が出された。「日本の和紙のルーツである韓紙」という記述が、文献などによる根拠がないまま誤って掲載したと謝罪するものだ。東急百貨店広報に掲載の経緯を確認すると、チラシの文案となる資料は展示会を手がける業者から提供されたものだという。本来であれば、東急側の窓口を務める担当者が確認すべきところだが、見過ごしてしまいそのまま使われたというのが真相のようだ。東急百貨店側では顧客からの指摘を受けて訂正を行い、現在はウェブサイト上で閲覧できるチラシの文面から問題となった個所は削除されている。

実際に和紙と韓紙の「関係」はどのようなものなのか。日本への製紙技法の伝来は、「日本書紀」にその記述があるという。高句麗の僧、曇徴(どんちょう)が伝えたというのが、記録として残っているものとして最も古い。紙が日本に入って来たのは、さらに時代をさかのぼる。紙も製紙技術も中国が「源流」だが、日本に伝えたのは朝鮮半島からの渡来人が貢献していると、「越前和紙」の産地として知られる福井県和紙工業協同組合では説明する。仏教伝来のルートと同じだ。実際に「韓紙」の起源は、高句麗、新羅、百済の「三国時代」だった1〜7世紀の間とされており、時代としては和紙の発明よりも早そうだ。

とは言え、日本で和紙が発展する過程で韓紙の影響を受けたとは思えないと、福井県和紙工業協同組合の担当者は話す。越前和紙と韓紙を比較すると、紙の素材としての精度や質感、使い方などで違いが大きいためだ。

韓国から越前和紙の研修に来たことも

例えば越前和紙の場合、何世代にもわたって職人が技を磨き、高い品質を保ってきた。江戸時代には日本最初の紙幣に使われ、現在でも国宝や文化財の修復といった細やかな作業でも素材として用いられる。その用途はふすまや壁紙、書画用紙、名刺と幅広く、紙の素材そのものを生かす使い方も多い。

一方で韓紙の場合、近年では「韓紙工芸」での人気が高く、紙を使った小物入れや人形、うちわなどに用いられる。紙の質も和紙と比べると厚手なため、使い道は和紙と異なっているようにみえる。和紙は日本で、韓紙は朝鮮半島で、別々に進化し続けてきたようだ。

紙をすく技術も違っていた。だがある研究によると、韓国が日本の統治下にあった時代に、当時の日本政府が紙の生産量を増大させるために、効率の悪い伝統的な韓紙の抄紙技術から日本式に切り換えさせたのだという。一方、韓紙の製法や抄紙技術が和紙に影響を与えたかといえば、「製紙技術そのものが日本に伝わってきた遠い昔は分かりませんが、少なくとも近年では特にありません」(福井県和紙工業協同組合)。むしろ一時期は、韓国から技術者が福井を訪れて、越前和紙の製法を学ぼうと研修を受けたこともあったという。