杉田水脈氏と民意の絶望的な関係

  • 小田嶋 隆
  • 2018年07月27日

 前回は体調を崩してお休みをいただきました。

 当欄の更新を楽しみにしてくださっていた読者のみなさまには、あらためてこの場をお借りしてお詫びを申し上げます。
 また、ざまあみろこのままくたばって連載休止に追い込まれやがれと思っていた読者には、ざまあみろ復帰したぞということをお伝えしてごあいさつに代える所存です。

 今週から通常運転です。
 体力、気力ふくめていまだにやや不足気味ですが、なんとかがんばりたいと思っています。

 今回は、自民党の杉田水脈衆議院議員が「新潮45」に寄稿した文章と、その記事がもたらした波紋について書くつもりでいる。

 体調を崩して寝たり起きたりしている間、ツイッターを眺めながらあれこれ考えていた内容を、なるべく考えていた道筋通りに書き起こすことができればよろしかろうと考えている。

 というのも、当件に関する私の見解は、必ずしも一本道の結論に沿ったクリアな言説ではなくて、いまもって揺れ動いている現在進行系のカオスだからで、私としては、自分のアタマの中にある混乱した言葉は、できる限り混乱をとどめた形のままでお伝えした方が正直な原稿になると愚考している次第なのだ。

 最初に、ツイッター上でやりとりされている論争をひと通り眺めて、例によって議論が空回りしている印象を持った。

 なので、手元にある「新潮45」の当該記事をあらためて読んでみた。
 原典にあたってみないと話が始まらないと考えたからだ。
 読了してはじめに抱いた感触は
「なるほどね」
 という感じの、シラけた気分だった。

 人権感覚を欠いた内容に驚愕した……と書いても良いのだが、正直なところを申し上げるに、私は驚かなかった。

 なぜというに、「新潮45」8月号に掲載されていた杉田水脈議員の小論は、あまりにもカタにハマった差別意識と偏見の寄せ集めで、この種のご意見は、少なくとも2ちゃんねる(いまは5ちゃんねると言うらしいですね)の周辺をウロウロしてきた人間にとっては、20年来さんざん見せつけられ続けてきた定番の文言以上のものではないからだ。

 私がむしろ当惑を感じたのは、議員の文章に対してよりも、雑誌の編集姿勢についてだった。
 具体的に申し上げるなら、当該の発売号をパラパラとめくりつつ
 「おいおい、『新潮45』は、ついにこのテの言論吐瀉物をノーチェックで載せる媒体になっちまったのか」
 と、少しく動揺せずにはおれなかったのである。

 というのも、「新潮45」は、私自身が、2012年以来なんだかんだで7年にわたって連載陣に名を連ねている媒体で、言ってみれば慣れ親しんだ自分のホームグラウンドでもあるからだ。

 自分が寄稿している雑誌にこういう記事が掲載されているという事実のもたらす居心地の悪さを、どうやってお伝えすれば良いものなのか、考え込んでしまうのだが、あるいは養鶏場に迷い込んだ白鳥なら私の気持ちを理解してくれるかもしれない。いずれにせよ、白鳥はあまり長生きできないだろう。その前に養鶏場が滅びるかもしれないけど。

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