「ビッテル神父と靖国神社」という話は危険な感染症です! | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

昨日から、心をリラックスさせて、土佐清水の「ドロちゃん」――つまり現土佐清水市長・泥谷光信(ひじやみつのぶ)さん――の、あの「有言実行」の情熱を支えているものは何かというお話の続きを書き、いよいよ、彼の骨髄提供というボランティア実践を陰で支えた故・和泉省作さんの遺作の童話のところまでたどり着き、さあ、名作『峠の椿』をご紹介しようとしていたのですが……。

緊急事態が起こってしまいました。

ネット検索をしていて、ただならぬ事態が目下起こっていることに気がついたのです。

試みに「ビッテル神父、靖国神社」というキーワードで検索してみてください。あるわ、あるわ、おびただしい数の、「ビッテル神父伝説」を鵜呑みにした、「靖国神社賛美」論、「キリスト者も参拝せよ」論、「カトリック教徒は故ビッテル神父のご恩を忘れてはならぬ」論、「キリスト者も首相の靖国参拝を応援すべし」論、……のブログ記事が、悪性感染症のように、ネット空間を占拠しているのです!

私はこれまで、靖国神社の戦後改革の過程については、つねに冷静に事実を見つめ、学術的基本文献を調べ、それと整合せぬようないい加減な情報に対しては「無視」の態度を基本としてきたのですが、ネット空間上に、史実とあまりにもかけ離れた「ビッテル神父伝説」が、悪性感染症のように、つぎからつぎへとコピペされて広まっている現状を見て、とうとう我慢がならなくなりました。

早急に対策を講じねばなりません。

まず、戦後の靖国神社がどのようにして生き残ったかについての情報源としては、三土修平著『靖国問題の原点[増訂版]』(日本評論社、2013年)の巻末(282~306ページ)の詳しい年表を、みなさんきちんと参照してください。そこに、昭和20年から占領の終わる昭和27年にかけての、靖国神社の存亡をめぐる細かい事件の生起年月日、および情報の典拠が逐一示してあります。あれが基本情報です。それと整合しないいい加減な伝説を信じてはなりません。

 

 

巷に流布している「ビッテル神父伝説」は、「昭和20年の秋に、マッカーサーが靖国神社を焼却する作戦について、キリスト教界の意見を求めたところ、上智大学にいたイエズス会のビッテル神父という偉い神父様が、それには反対であるとおっしゃり、『自国の戦死者をとむらうことは、戦勝国だろうと敗戦国だろうと、平等に、あらゆる国民に認められた権利でもあり義務でもあるから、靖国神社は残すべきだ』とお答えになり、マッカーサーが、『よし、それなら残そう』と決断したため、靖国神社はちゃんと残ったのである。みなさん、ビッテル神父様に感謝いたしましょう。ビッテル神父様は、その当時、バチカンから公式に認められた駐日使節としての地位をきちんと持ってらっしゃいましたから、靖国神社参拝を日本国民に奨励することは、当然、バチカンの、教皇様ご自身の権威に由来する、正しい教えであります」という内容の「伝説」です。

靖国神社の存廃問題は、こんな簡単な経緯で決着がついたものではなく、占領下の長い年月をかけた攻防の結果として、昭和26年の秋に、サンフランシスコ平和条約の調印と前後するころに最終決着がついたものであることは、学界では常識なのです。

その常識を支える基本文献を挙げておきましょう。

 

ウィリアム・P・ウッダード著/阿部美哉訳『天皇と神道――GHQの宗教政策』(サイマル出版会)、

 

井門富二夫編『占領と日本宗教』(未来社)、

 

中野毅著『戦後日本の宗教と政治』(大明堂)、

 

大原康男著『神道指令の研究』(原書房)、

 

中村直文・NHK取材班『靖国――知られざる占領下の攻防』(NHK出版)、

 

伊藤智永著『奇をてらわず――陸軍省高級副官美山要蔵の昭和』(講談社、後に『靖国と千鳥ヶ淵』と改題して講談社+α文庫で再刊)、

 

 

毎日新聞「靖国」取材班『靖国戦後秘史――A級戦犯を合祀した男』(毎日新聞社、後に角川ソフィア文庫で再刊)、

 

 

以上七点は必読です。

特に大原康男という人は、ご自身のイデオロギーは靖国神社万々歳の典型的な右翼ですが、その大原さんでさえ、歴史学者として業績を認められるためには、「ビッテル神父伝説」などを受け売りにすることはできず、事実関係に関する限りは、GHQの一次史料に依拠して、伝説よりもずっと正確な情報を正直に書かざるをえなかったのです。

ウッダードの本を訳した故・阿部美哉という人も、国学院の学長も務めたことがあって、神社神道を擁護するイデオローグであり、生前、ご自分自身はつねに「GHQの心ない政策によって神社神道は被害を受けた」と言いたがっていた人でしたが、それでも、ウッダード(GHQの宗教政策に直接関与した人物)の本を訳すにあたり、皇室に関する語を、原文では敬語ではないのに、わざわざ敬語に訳すという程度の手加減を加えただけで、意図的なごまかしなどはしていません。

目下のネット空間に広まっている悪性感染症の「ビッテル神父伝説」の感染源として私が突き止めた本は、上記の諸文献と比較するとまったく問題にもならないほどお粗末な本、朝日ソノラマ編集部編『マッカーサーの涙――ブルノー・ビッテル神父にきく』(朝日ソノラマ、1973年8月刊行)ですが、

 

私が最近国立国会図書館に通い詰めて、この稀覯本を閲覧請求し、少しずつコピー請求も出して、ついに全文写し取って、しっかり読んでみた結果、これは、当時国会に上程されていた「靖国神社法案」への賛成者を増やそうという意図で、政治的意図のもとに編集されたキワモノであると、断言できる自信を得ました。

そのキワモノは、「あとがき」の中で、この本は、当時75歳で存命だった「ビッテル神父」に、古い日誌風のメモをもとに、ドイツ語、英語、日本語をまじえて回想を語ってもらって、録音テープに取り、それをテープ起こしして、それにもとづいて編者が日本語でまとめたのだと言い張ってはいるものの、確かにそうであるという証拠がどこにも示されていません。

「あとがき」の筆者である藤村昌男なる人物が「ある」と書いている「ビッテル神父のメモ」も、「録音テープ」も、2015年の今日に至るまで、どこからも見つかっていないのです。

かりにそれらが過去に実在したと認めるとしても、本文を読み進んでゆくと、外国から来たカトリック神父にとって、そんな問題はどっちでもいいはずの、「GHQの宗教政策担当者たちと日本文部省の官僚たちと、どっちの考えが正しかったか」というような問題に、異常にこだわった記述がいたるところに見られます。また、「当時の正式なバチカンの駐日使節の役目は、後に枢機卿となったマレッラ司教という人が務めていたではないか」という予想される反論に対する予防線を張るような、「マレッラさんは病気がちで、箱根で療養していたために……」といった弁解じみた記述が異常に多く出てきます。

要するに、この本の言いたいことは、「GHQの宗教政策担当者は無能で左翼がかっていて、せっかく日本の戦前の荒木貞夫文部大臣(皇道派、陸軍大将、A級戦犯!)がつくった宗教統制の秩序をぶちこわしやがった」という恨み節です。その恨み節を述べるにあたって「ビッテル神父」をいわばダシにして、「ビッテル神父もおれたちの側に立って、つねにGHQをたしなめる役を果たしてくださったんだぞ」と主張しているわけです。となると、この本の「編集者」がどういう種類の人間かは、だいたい見当がつきます。

GHQによって、信教の自由と政教分離の政策が推し進められていたころに、抵抗勢力となっていた日本の頭の古い官僚・文部省宗務課長福田繁(公職追放にならなかったのがむしろ不思議)という人がいましたが、「編集者」はその衣鉢を継ぐ人物、というふうに候補が絞られてきます。

要するに、現在ネット社会で「感染症」として、「悪疫」として蔓延している「ビッテル神父伝説」は、この程度の「いい加減な本」が情報源になっていて、ブログなどにそれを写している人たちはみな、感染源のキワモノ本の全体像は知らないまま、「靖国神社存置に関するマッカーサーへの進言」の部分だけを、三浦朱門や渡部昇一などの本から孫引きしたり、さらにそうして作られた孫引きブログをコピペで孫々引きしたりして、「感染拡大」に奉仕しているのです。

みなさん、ネット社会のいい加減なコピペ情報に毒されてはなりません。

靖国問題を論じ、憲法の政教分離規定と日本の保守勢力の動向との関係について、真面目な議論をしたいのなら、靖国神社の歴史について、上記の基本文献をしっかり読んだうえでものを言ってください。

なお、「ビッテル神父、靖国神社」で検索したときに出てくる情報のうち、ほとんど唯一といっていいぐらいの「希少かつまともな情報」は、以前にもご紹介したかと思いますが、マーク・R・マリンズという人の英文論文を日本の大学院生の方々が訳した「いかにして靖国神社は占領期を生き延びたのか――通俗的主張の批判的検討――」という文章です。その英文論文の原文は上智大学の図書館で閲覧できます。

 

 


当ブログの以下の過去記事もよくお読みください。

 

 

 


さらに、靖国神社問題の包括的リンク集としては、以下のブログを新たに書きましたので、ご利用いただければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

「ビッテル神父伝説」のいい加減さについては、当ブログでは引き続き検証作業を続けていますので、今後ともご期待ください。(この伝説のもうひとつのネタ本である志村辰弥著『教会秘話』のことも、ご紹介しています。)↓

 

 

 

 

 

最後に「おまけ」ですが、「ビッテル神父伝説」を信じる人の中には、同時に「マッカーサー証言」もしくは「マッカーサーの告白」と称する「米議会の議事録の中の片言隻語をとってきて、勝手な解釈を付け加えてこしらえられた伝説」をも信じる人が多いので、それについての以下のリンクも、参照していただけると幸いです。(じつは両者は、小堀桂一郎や渡部昇一らの同一グループが広めた意図的な歪曲情報なのです。)