の郷里茨城の太平洋に浮かぶ、
真っ赤な小屋。

その中には  ただ海が広がっています。



それが岡倉天心の六角堂です。






岡倉天心著「茶の本」より


<茶人の美学>


茶人たちは真の美術鑑賞は

芸術を暮らしの中に生かす人たちにのみ

可能だと考えている。


だから、茶人たちは茶室の中で

手に入れたような高い水準まで、

自分たちの日常生活をも洗練

させようと努めている。


どんな状況でも、

心は静かに保たなければならず、

そして会話は、周囲との調和を乱すことが

ないように、交わされなければならない。

 

衣服の形や色、身体の姿勢、

歩き方にいたるまでの

すべてが、芸術的人格の表現となりうるものなのである。


自分自身が美しくなるまでは、

美しいものに近づく資格はない


のだから、これらのことは、決して軽視

されてよいことではない。


だから茶人たちは、

芸術家以上の何ものか、

すなわち


芸術そのものになろうと


努力しているのである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


つまり私が思う


「自分自身が美しくなる」ということは、


1、肉体的及び技術的な「表層的な美しさ」


2、心及び精神・知性など「内面的な美しさ」


この二つの両輪が伴って、

初めて人間が美しくなるという事です。


しかしこの二つも、

いずれも元を辿れば美しく健康的な


「素直な慈しみある心」


という、ただの一点からのみ

派生できるものなのです。

 

さらに言えば、それを昇華するには必ず

「信仰」がいるのです。


信仰とは宗教ももちろんですが、

自分の先祖や先達への畏敬の念と、

いま自分がこうして生を得ている

という事への

「感謝の念」や「祈りを捧げる」ことだと

私は思います。


率直に言えば信仰心の強い

日本国民の代替の中に

「茶道」も貢献しているのだと思います。

 

しかし現実には、それを阻害する要因として

三大欲求や、様々な欲望が生まれ、


他人との比較の中から

妬みや僻み見栄が生まれ、

成長する心を阻みます。

 


しかし時には、それらを「陽のベクトル」に

向かわせる事ができたならば、

驚くほどの屈強なバネになり、

よりよい方向へと拍車をかける、

ものにもなるのであります。 



然るに、我々茶の湯者として必要な事は

それらをいかにして「陽のベクトル」に向かわせることができるのかという事が重要です。

 

それを解く鍵は、

わび茶の祖と言われる珠光が

弟子の古市播磨法師に宛てた

「心の文」にヒントはあります。


第二章完結へと続く


沼尻真一