久々の夫ネタ、というのも、個人的には、楽園効果なのか、夫とは最近うまくいっているような気がしていたからかもしれません。
でも、そのうまくいっているような気がしていた理由がわかりました。
家にいなかったから
そういえば、Thanks Giving以降は出張だらけでした。
顔を合わせていないのだから、喧嘩をする時間もないし、
一応出張で忙しく飛び回っている男にはそれなりには優しくできていた私であったと思います。
ですが、昨日ありえない事件が勃発し、機嫌よく過ごしていた私は、
ため息しか出ないモードになりました。
ありえない事件の内容は省きますが、
根本は、夫が
「できない」がわからないことにあります。
夫は他人が「できない」ことがわかりません。
夫の辞書に「やらない」はあっても「できない」はないのです。
家事、育児は「やりません」。
勉強、仕事、運転、海外での諸々サバイバル。
やればできるのに、なんでやらないの?
「できない」意味がわからない。
いつも思い出すのは、駐在での渡米翌日、
「お前の車を取りにいくぞ、お前は新しい車で俺の後ろからついてこい」
ということで、渡米翌日、いきなり高速道路デビューさせられた私。
もちろん息子ちゃんは何かあったら大変だから、と夫の車に。
私には何かあってもいいのか
渡米翌日、息子ちゃんの時差ボケにもつき合わされ、ほとんど寝れていない私は
自宅の場所も全然把握していないのに、泣く泣く夫について高速を運転させられたのでした。
日本で一応高速に乗る練習をしましたが、東京ではペーパードライバーだった私の運転歴は渡米前の実家での2か月半だけでした。
私の恐怖は考慮されることはなかったのでした。
おかげで、「あの時高速に乗れたのだから」とその後も必要な際は高速に乗れるようになりましたが(短距離専門)、
スパルタすぎるこの翌日の行動は未だに恨みに思っています。
ほろ苦駐妻デビューも根は一緒です。
別に知り合いぐらい、自分で作れるでしょ、と放置。
その他、病院だの、里帰り出産だの、初の子連れ○〇だの、車の整備だの、税金等各種手続きだの、
「別にやればできるでしょ。できない意味がわからない」
行き場を失った恐怖が積もり積もった恨みがたくさんあります。
確かに、誰にでも、なんにでも初めてはある。
やってみればできることはたくさんある。
夫はそうやって数多くのことを乗り越えてきたのだとは思うのですが、
初めては怖い
ということに寄り添う気持ち、はとても大切だと思います。
(特に子育てにおいては。ま、これは彼は「やらない」部類のものですが)
そこに寄り添えないと、
スパルタのおかげでできることは増えるわけではありますが、
恨みも同じくらい増えるわけです。
なかなか、厳しい貴方のおかげで成長できましたわ
とは言えません。
言わせるためには、寄り添う気持ちが必要だと思います。
これを書いていてようやく気付きました。
今度から私も、
「やりません」って言おう。