LGBTにコメントすることは、今では地雷を踏むようなものとなっている。当然賛成することは許されるが、批判的に述べることは公的には絶対に許されない。日本特有の空気の支配が蔓延している。

日本では杉田水脈氏がターゲットにされ、新潮社が自爆して「新潮45+」を自ら廃刊という処罰を施した。それがきっかけとなり、LGBT問題はタブーとなった。

 

女性に性転換した元・男性選手が米国女子陸上大会で大差をつけ圧勝! 」という最近起きた記事はネットでは見ることができるが、新聞やテレビでは全く報道されない。(私の知る限りでは、もしかすると報道されたかもしれない)

 それは、タブーに触れたくないという危惧がそうさせているのではないだろうか。ネットから引用する。

 

女性に性転換した元・男性選手が女子陸上大会で大差をつけ圧勝! これ本当にフェアなの?
「先月25日に米テキサス州で行われた全米大学選手権「NCAA 2019」にて、シーシー・テルファー選手が400mハードル走で優勝。

彼女は、以前は男性として活躍する陸上競技選手だった。性転換した男性が女性向け競技に出るのはフェアか、と物議を醸している。
 男性として生まれたテルファー選手は、去年までは男性選手として陸上競技に参加。しかし記録は振るわず、アスリート上位200圏外。20181月にバーモント州で行われた陸上大会(男子400m走)では、9人中8位という結果だった。しかしその後にテルファー選手は性別適合手術を受け、女性アスリートとして大会に参加するようになり,NCAAでは優勝を果たす。

彼女のタイムは57.53秒。59.21秒でゴールした2位の女性選手には1秒以上もの大差をつけ勝利したことになる。(後略)」

 

写真で見る限り、このテルファー選手の胸も少々あるので、性別適合手術をして女性になっているようではあるが、何ともごっつい体型で他の女性選手を圧倒している。

このテルファー選手、性別適合手術には、LGBTの悪用という意識はなかったのだろうか。大学の大会程度に勝ったからといって大きな利益を得られることも考えにくい。男の選手としては負けてばかりいて、プライドが傷つけられたことを、女になることで取り戻したのだろうか。そこまでいってしまうと、テルファー選手に失礼になるだろう。

 

 それにしても、これはLGBT問題に一石を投じている。女性選手たちは本音ではどう思っているのだろうか。LGBT推進派はこれもあり、というのだろうか。今後、スポーツ競争のあり方に議論が巻き起こるだろう。

 

ネットの声。

・こういうことはいずれ起きると思っていた

・「やってらんねぇ」って感じで辞める女性選手が出てくる予感

・私が女性としてこの大会に出てたらブチギレるわ。女性選手は訴えてもいいと思うの
・こんなのが増えてくれば女性が優勝することがなくなりそう・・
・そもそも男女にわけて競技するのやめたら?

・男部門/女部門/男から女になった人部門/女から男になった人部門、くらいしないとフェアじゃないよね?めんどくさ

・トランスジェンダー部門を作ればいいのに男女の2つだけじゃ足りない時代だよ・フェミニストの皆様はこれにはダンマリなの?

・だって男女平等なんでしょ

・これをフェアじゃないと思う奴は差別主義者で確定

・女性はいつも男女平等を求めるのに、なぜこの件に関しては怒ってる女性多いの?わがままなの?

 

よく考えると、スポーツに男女別があるのがおかしいかもしれない。なんで今まで男女平等を主張するフェミニスト達は、男女別に文句を言ってこなかったのか。この元男・女はそういう問題を気が付かせてくれたのかもしれない。

といっても、私は男女の区別を廃止せよと言っているのではない。自然に考えて、元男・女が女子大会に出てくることはおかしいのだ。つまり、LGBTの考え方を重視しすぎて、それが整理されていないということだろう。LGBTを推し進めれば元男・女のスポーツ大会への出場を拒否できなくなり、女子大会は崩壊する。LGBTという理くつのために現実を破壊してもいいのだろうか。

 

私の知るある会社では、今年からLGBTといえば男でも女子トイレや女子更衣室に入っても許されることにしたとのこと。私からすれば、先進を気取ったバカな会社というしかないが。女性社員はどう受け止めているのか。問題にならないのか。悪用をどのように排除するのか。

そのうち、先進的な銭湯では、LGBTといえば男でも女風呂に入れることにするかもしれない。

 

文句を言われれば、LGBT差別だといえば許されるだろう。当然悪用するのは男である。LGBTでもなんでもない男が女に成り済ますのである。しかし、「嘘だろう」と指摘をしたとき、差別だ、と主張されたら、返す言葉を社会の側は持っているのだろうか。

(「チャレンジ精神あふれる男子大学受験生諸君、ぜひ自称オカマになってお茶の水女子大を目指そう2018.8.18に同じ趣旨の記事を書いた。)

 

今、男女という性別による社会秩序の崩壊が目の前にある。

LGBTを推進すれば、社会にどんなことが起きるかの議論や準備もせずに、単に流行に乗って「ポリティカル・コレクトネス」を受け入れてしまったツケを今払わされている。そのほとんどのツケは女性が払うことになるというのも皮肉ではないのか。

女たちよ、LGBTを否定することなく、現実の性的社会秩序の維持のために、声を発する必要があるのではないか。

そうしなければ、性的犯罪は爆発的に拡大し、あなたも被害者となる。男が声を発すると、古いとか封建的とか保守的とか誤解されてなかなか意見が通りそうにない。ぜひ女性が本音で発言してほしいものだ。

 

評論家の小浜逸郎氏が小説を書いたそうだ。LGBT問題について書かれたところを少し引用してみる。

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(前略)

それから私たちは、お茶を飲みながらLGBTやセクハラについて話した。
LGBTが騒がれるのって、権力を倒したいサヨク勢力が、マイノリティをそのための道具として利用している面もあるって前に言ったよね。世界中で、こんなに、サベツ、人権って騒がれるのって、それを受け入れるマジョリティの側の心理にも原因があると思うんだ」


「ポリコレってやつね」

 

「そう、これこそが政治的に正しい原則だって固執して、あらゆるところにサベツやセクハラの兆候を嗅ぎだしては、レッテル貼りをする傾向」


「わたしも、男の人が女の人に何か言うと、いちいちセクハラ、セクハラって騒ぎ立てるのって、男の人が委縮しちゃって、よくないんじゃないかしらって思ってたの。出会いの機会を奪ってるでしょう」


「流行現象みたいになっちゃってるね。もちろん中には、ほんとにそういうこと言ったりしたりする連中がいることはたしかだけど、一度そういうのがニュースになったりすると、言葉が独り歩きして、どんどん拡散するよね。それで、ポリコレがこんなにブームになるのも、現代人のほとんどが生きるよりどころをなくしているせいじゃないかと思うんだよ」


「生きるよりどころ?」


「うん。たぶん宗教的な権威が衰えたんで、どこかに『正しさ』の絶対的な基準を立てておかないと、生きていくのに不安で仕方がないんじゃないかな。そうしないと、自分の存在の確かさが確認できない。そういう下地があるんで、一部の政治勢力が、ポリコレに少しでも引っかかる言動に対して「差別主義」とか「排外主義」のレッテルを貼って、魔女裁判みたいに糾弾する」


「ああ、なるほど。そのことで、自分は『正しい人だ』って確信が得られるわけね」


「うん、そう。すごく脆弱な確信だけどね。でもそれは裏を返すと、自分たちがリア充の実感を持てないからじゃないか。つまり相手の否定によって、自分がアイデンティティを確保しているかのような気になれる」
(中略)

「ポリコレブームを作り出したのは欧米人だよね。その深層意識には、自分の存在の基盤が失われていて、『関係の空虚』を生きてるっていう実態があるような気がする。だから、これはポリコレ・コードに引っかかるんじゃないか、こんなことを言ったら『差別主義者』とか『排外主義者』とか『セクハラ』呼ばわりされるんじゃないか、と絶えず恐れていなくちゃならない。しかも、そのことが自覚できないようにさせられているということでもあると思う」


「そこに反権力的な政治団体がつけ込むわけね」


「うん。ただ、ヨーロッパの場合、古くから、宗教対立や他民族の混交の問題があったでしょう。ナチスみたいなこともあったしね。だから、きっとアイデンティティ不安とか、緊張感とかがすごく強い。それで、反権力団体だけじゃなくて、むしろ中枢権力が、そういう正義の建前を率先して掲げてきたんだと思うのね。でもいま、イスラム系移民なんかがどっと押し寄せて、かえってその建前が仇になってるんじゃないかな」


「そうね。日本の場合は、そういう緊張感ってないわね。LGBTと普通の人たちって適当に棲み分けてるし」
「イスラム教じゃ、同性愛は死罪だからね。そういう宗教対立がない日本じゃ、LGBT問題なんてそんなに切実じゃないはずなんだけど、なんか、アチラから<問題>として輸入されると、すぐマネするんだよね」

(引用終り)