日月神示の原文において「神」を表す記号として、Θ(マルの中にチョン)と表記されることが多く見受けられます。

それでは何故「Θ」が「神」であるのか?、そもそもこの「Θ」の初見は、日月神示より遥か以前にさかのぼります。

先のブログでも紹介しました、江戸時代の言霊学者である山口志道の『水穂伝(みずほのつたえ)』という書物の冒頭にある「火の巻」の一の項に「布斗麻邇ノ御魂(ふとまにのみたま)」の図があり、そこに「Θ」のシルシが見られます。

次の二の項「稲荷古伝」には、水と火の基本的な形を示した図とともに「この古伝の形は『布斗麻邇ノ御魂』から割き分かれた水火(イキ)の形であります。これをもって天地の気(イキ)を知る『御伝』であります」との解説が付けられています。

岡本天明は、日月神示が降りる以前の昭和十七年に『水穂伝』の復刻を試み、山口志道の研究を引き継ぐ形で抄訳本を出しています。

山口志道は「Θ」のことを荷田(かだ)家から知り、その秘伝を授かっています。

荷田家は、江戸中期の国学者で復古神道の唱道者である荷田春満(かだのあずまろ)を出した家柄で、春満は、伏見稲荷大社の祠官(しかん)でした。

その出自は秦(はた)氏という説(ハタからカダに転化したという)があり、渡来系民族である秦氏が稲荷を初めて祀ったことは常識とされていて、京都の伏見稲荷大社は、八世紀(和銅四年、七一一年)に秦氏によって創建されたものであります。

また秦氏は、秦の始皇帝を祖とする説もあり、古代ユダヤ民族とのつながりも指摘され、そのルーツについては多くの謎に包まれています。

尚、秦氏は景教(けいきょう)、(学説によればキリスト教ネストリウス派)だったとも言われており、このことから一神教を信じていた民族であったことは、ほぼ間違いないと思われています。

稲荷と言えば狐のイメージがありますが、本来狐とは何の関係もなく、眷族として仕えていた狐霊を、誰かが霊視してそのようなイメージが定着したのかもしれませんが、イナリはもともと唯一神的性格を持った神であった可能性が高いのです。

日本の神社の半数以上がこの稲荷神社であり、お狐様として慕われていますが、その実は、Θに相当する究極の一神であるのかもしれないのです。

人間は誰しも神の分け御魂を持つのだから、身体(○)の中に神のキ(ゝ)が入っているのが本来のあるべき姿で、魂である神のキ(ゝ)が曇って光を失うと、(○)だけになります。

太陽系で言えば、太陽が中心の(ゝ)にあたり、その周囲を廻る惑星が(○)になり、原子で言えば、原子核が(ゝ)、電子が(○)になります。

マクロの世界からミクロの世界まで、この世はどこを切り取っても、中心があり周りがあり、これが完全なる弥栄の形であり、神の形だと言えるのです。