武本さん | 山本寛オフィシャルブログ Powered by Ameba


    『フルメタルパニック?ふもっふ』は、京都アニメが本格的に制作元請を行った最初の作品となった。
    監督には武本さんが抜擢された。
    「とにかく最上のものを作れ!できないものは去れ!」
    とまで言ったかどうかは忘れたが、社長の厳しい檄が飛んだ。
    僕らは興奮で震え上がった。

    そんな中、武本さんはクリエイティブの最高責任者として、怪気炎をあげる程の大活躍を見せた。
    僕は武本さんがプロデューサーに向かって、「クオリティコントロールの責任は監督にあるんだ!どうして邪魔をするんだ!」と怒鳴りつけている場を目撃している。
    これだけ言ってくれているんだ、やらねばならぬ!
    武本監督以下、残ったスタッフには感謝しかない。
     
    僕の退任が決まり、武本さんが後任の監督に決まった時、
    「ヤマモッチャン、ちょっと店行こうや」
    監督やれ!と言われたのと同じ店だった。
     
    彼は慰めてくれるのかと思いきや、いきなりノートを開いて、
    「『らき☆すた』で考えた君のコンセプトやプラン、アイディアは俺が全部受け継ぐから、全部言ってくれ」
     
    飲み屋で僕が延々と作品に込めた内容を語り、武本さんはそれを必死にメモした。
     
    非常にいい人だったのだ。
    厳しい人だったけど、義理に篤い人だった。
    その時「お前の『らき☆すた』を俺は受け継ぐ」と言ってくれた男気。
    本当感謝しかない。
     
    ・・・と、美談で締めたいところだが、後になって各話スタッフからじゃんじゃん電話がかかってきて、
    「山本さん!コンテ描いたんで見てください!」
    へ?
    「武本さん、コンテまったくチェックせずぶっ通しなんです!」
    あらー。
     
    誰とは言わないが、初コンテのスタッフ二人までそんな状態だったから、話数も明かさないでおくが、何話かは僕がこっそりチェックした。
    ひとりは家まで来てもらったかな。
    もうひとりは家が遠いものだから、スタジオからほどほどの距離の駅の前で、チェックした。
    確か店に入ったけど閉店で追い出されて、噴水的なものの前のベンチで残りをしたんじゃないかな?
     
    僕も立場上、余りあれこれ直すつもりはなかった。
    むしろ、演出技法を教える感じで、最低限のことを言っただけ。
     
    こうして『らき☆すた』は、みんなの力で護られた。
    今だから言えるが、立派な作品になったと思う。
     
    そこでかの名高き「新章」だが、あの疫病g・・・いや「大天才」は何一つ、僕に訊くことはなかった。
    伝え聞きだが、「ボクが『WUG』のことを一番解ってるんだよ!」と言ってたんだとか。
     
    その結果が、あれだ。
    作品の出来は、やはり作る姿勢から違うものだ。
     
     
    武本さんは、その人柄の良さと男気の強さが、ちょっと監督という職業には向いてなかったのかも知れない。
    『ハルヒ』『らき☆すた』『Free!』と、彼の仕事は何かと「中継ぎ」のイメージが強い。
    一方、自身の監督作は、どうも『ふもっふ』の時のようなギラギラした勢いがなかったように思う。
    どうしてだろう?
     
    でも、いい人だった。
    僕は彼の一言があって、今まで監督をしてこれた。
     
    感謝しかない。
    僕は師匠と武本さんによって、監督になれた。