やっぱりもうひとりの恩人、武本さんについても語っておこう。
木上さんと武本さん、この二人に(半ば強引に)背中を押され、僕は監督になった。
今となっては恨み事を言いたい気持ちも多少あるが、しかし感謝の気持ちが遥かに勝るのは言うまでもない。
後半部はLINEブログ( 2018/11/14 21:22 エントリー)で書いたものを補筆・再掲する。
だから若干文章が過激かも(笑)。
『フルメタルパニック?ふもっふ』は、京都アニメが本格的に制作元請を行った最初の作品となった。
監督には武本さんが抜擢された。
「とにかく最上のものを作れ!できないものは去れ!」
とまで言ったかどうかは忘れたが、社長の厳しい檄が飛んだ。
僕らは興奮で震え上がった。
そんな中、武本さんはクリエイティブの最高責任者として、怪気炎をあげる程の大活躍を見せた。
僕は武本さんがプロデューサーに向かって、「クオリティコントロールの責任は監督にあるんだ!どうして邪魔をするんだ!」と怒鳴りつけている場を目撃している。
これだけ言ってくれているんだ、やらねばならぬ!
しかし僕の場合は更に過激だ。#9『女神の来日(温泉編)』は、監督自らのコンテにもかかわらず、
「これは使えん!」
と、大幅に変えた。
クライマックスのシーンは師匠に原画をやってもらうことになり、コンテの脇に自分で描き直したラフコンテを見せて、
「えーこのコンテは使えないので、こっちでやってください」
と、言い切った。
師匠はニヤリと笑った。
しかし当然のことながら、それが武本さんにバレるや否や、深夜呼び出された。
「なんで勝手なことするんや!」
僕はもはや「ほぼ、イキかけました」状態なので、映像文法的にいかにあなたのコンテが間違っているか!と、作画フロアーに響き渡る声で喚き散らした。
「ヤマモッチャン、ちょっと止めてくれるかな、30分休みたい」
しばらく経つと、武本さんはそう言って、ソファに横になった。
激務が祟ってもう疲労の限界なのだ。うーん、さすがにこれ以上言うのは酷だ。
戻ろうかな……?と思っていたら、やおら起き上がって、
「もう大丈夫、続きを聞くわ」
しょうがないから僕は残りの話をし切った。
ここが武本さんの凄いところ、ていうかもう諦めたのかも知れないが、
「解った。君のを採用しよう」
と、僕の改訂を100%認めてくれた。
数日後、また武本さんに呼び出しを食らった。
場所はスタジオ近くの居酒屋だ。
また喧嘩になるのかなぁ、と思って身構えて行ったが、武本さんは盃を傾けながら、非常に穏やかな声で、
「ヤマモッチャンさぁ、やっぱ卑怯じゃない?」
ほぅ。
「俺には安全圏から石投げてるようにしか見えんのよ」
うーん。
「そこまで自分の主張があるのなら、各話演出のままで責任逃れせずに、監督やんなよ」
これには話の背景があって、僕は会社からの監督要請を何度か断っていたのだ。
監督には何の魅力も感じていなかった。1カット1カットを直に触っている方がずっと楽しかったのだ。
説得は必ず師匠から来るのだが、
「命令ならばやります、が、基本やりたくありません」
と繰り返し答えていた。
その時のタイトルはほとんど忘れてしまったが、なんとかジャぱんはあったように思う。
ここからは勘繰りになるのだが、僕が固辞して代わりに武本さんが「矢面」に立ち、それを僕が背後から攻撃しているような構図が生まれていたのかも知れない。
「そうですね、それは理屈です」
僕はこう答えた。
「解りました。これからは監督やります」
武本さんが僕の背中を(無理矢理)押してくれた瞬間だった。
しかし、そこからがまぁー大変だった。
それはまた、別のお話。
ついでだから『らき☆すた』の話も。