動機なき殺人 | トラヴィスJr. 死に向かうだけの人生

トラヴィスJr. 死に向かうだけの人生

自己表現。日常的に考えたことを言葉にする。やがて終わる人生まで何も表現しないでいたなら空気と同様の存在になる。不定期更新。















 トルーマン・カポーティ原作によるノンフィクションノベルをリチャード・ブルックスが監督(製作、脚本を兼ねた)した『冷血』(67年)を久々に観た。1959年11月15日、カンザス州ホルカムで4人の家族が射殺された。カポーティは早速、現地に赴き、取材。執筆から完成まで、実に5年をかけた。理由はカポーティ自身が犯罪者の1人、ペリー・スミスに過度に感情移入したせいもある。主犯はディック・ヒコック。実行犯がペリー・スミス。2人の死刑は確定したが、上訴し続けたため、死刑が何度も延期された。カポーティにとって、スミスの死刑を見たくない想いと死刑にならなければ小説の結末を書けない葛藤があった。65年4月14日、2人は絞首刑に処された。心労からカポーティはその後、1冊の本も書けずに84年8月25日に息を引き取った。リチャード・ブルックスの映画は600ページに及ぶ長大な原作から犯罪者2人の逃避行と殺害、死刑に焦点を絞った。













 ペリー・スミス(ロバート・ブレイク)は駅でディック・ヒコック(スコット・ウィルソン)と落ち合い、車でカンザス州ホルカムにある農家クラター一家の屋敷前にやって来た。深夜2時頃。ヒコックの目的は屋敷内にあると言われる金庫に保管された1万ドル。複数の前科を持つヒコックとスミス。ヒコックは刑務所仲間からクラター家に金庫があると聞いていた。「証人は残さない」その場に居る全員を殺害する計画だった。場面が変わり、カンザス州警察署。捜査班は現場に残ったわずかな証拠(段ボールの血の付いた靴跡)などを追った。生前のクラターと親しかったアルヴィン・デューイ(ジョン・フォーサイス)が指揮を執っていた。同時進行でヒコックとスミスの逃避行が描かれる。2人はメキシコを目指すが、スミスの姉に会うため、カンザス州に戻る。乗っていた車が盗難車であったことから2人は逮捕される。ヒコック、スミス。それぞれへの尋問が始まり、犯罪場面を回想形式で描写。死刑囚専用の監房。死刑になる日々を待つヒコックとスミス。同房の殺人犯が絞首台に登った。約5年後、ヒコック、スミスは絞首刑となった。













 
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 ヒコックが共犯に選んだスミス。なぜか。理由をスミスに告げる。「生まれついての殺し屋」いざという場面で何の躊躇もなく、人を殺せる。スミスはバイク事故で脚を引きづっている。映画冒頭でのシーン。大量のアスピリンをルートビアで流し込むシーンは原作にもある。ヒコックも過去に事故に遭い、顔面が全体に歪んでいる。本作の特徴は2人の対照的な性格描写にもある。リチャード・ユージン・ヒコックは自らを「オールアメリカンボーイ」と言う。社交的なナイスガイを演じられるが、自惚れ屋で嘘つきのソシオパス。頭の回転は速く、現実主義的な男。アメリカの死刑制度についてこう言う。「金持ちは死刑にならない。貧乏人は首を吊るされる」典型的なプアホワイト。ペリー・エドワード・スミスは夢想家。内気で神経質。メキシコの海底に宝物が眠っていると信じ込んでいる。子供時代にチェロキー族の血を引く母が居たが、他の男と浮気。その現場を夫が発見し、子供のスミスの前で妻を追い払った。母に捨てられ、父と2人きりになるが、その父に銃を向けらる過去があった。スミスは父を憎んでもいるが、愛してもいる。倒錯した感情の持ち主。自分の容姿にコンプレックスがあり、性的に自分を抑制できない人間を嫌う。ヒコックを嫌いながらも同行する理由は確信を持って行動できる男でそれは自分にはないものだった。終始、怯えたような表情を見せるスミス。だが、この男がクラター一家(10代後半の兄と16歳の妹、うつ病の母、主のハーバート)の男2人の首をかき切り、全員をショットガンで射殺した。













 
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原作ではクラター一家について詳細に語られている。平穏で事件などどは無縁な家族。周囲からも「素晴らしい人達」と言われていた。ホルカムという町も同様。殺人事件とは縁がなかった。映画ではその部分に少ししか触れてない。ヒコックは同房の男から聞いた話を鵜呑みにしていた。男はかつて、クラター家で下働きをしていて、金庫があり、そこに大金があると言った。犯罪場面は映画の後半で明らかになる。クラター家に侵入したヒコックとスミス。眠っていた一家を起こすが、主は家に金庫などないと言う。クラターは現金を使わない。小切手を使っていた。家にあったものはわずか40ドル。ラジオ。1ドル硬貨。ここで引く彼らではなかった。ロープでクラターらを縛りつけてある。突如としてスミスは4人を次々とショットガンで射殺。そこにどんな動機があったのだろう。引き返すこともできたはずだ。映画は説明しない。原作にほぼ忠実に殺人劇を描写する。モノクロの画面ながら殺害シーンはカットの畳み掛けもあり、生々しい。













 
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 コーナー(隅っこ)と呼ばれる場所が絞首台。死刑当日は雨。全身を拘束されたヒコックが先に死刑になる。カンザス州警察の捜査班も見守る。ナレーションが入る。事件を追っていた記者で原作には登場しない映画だけのキャラクター。処刑に至る過程を細部まで説明する。ヒコックは死刑前こう言う。「死刑には賛成だ。復讐はされて当然だろ」 スミスは死刑前に小便がしたくなる。拘束衣を解いてくれと懇願。受け入れられる。雨水が反射。スミスの頬に当たり、涙を流しているように見える。母や父の思い出を語るスミス。絞首台を前にする。ガムを噛むスミス。心臓の鼓動が聞こえる。ロープを首にかけられると同時に身体ごと落ちる。ブラブラと身体が揺れる。鼓動の音が消える。映画は突然のように終わる。













 
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 原作は俺の愛読書。何回読んだかわからない。読むたびに細部にまで渡る描写に感銘した。映画版は昔、日曜洋画劇場で観た記憶がある。ラストの死刑場面に衝撃を受け、眠れなくなった。映画はハッピーエンドで終わるものとの認識があった。本作の主人公である2人に冤罪はない。その意味で死刑は当然の帰結とも言えるが、そこまで描写した映画はそれまでなかった。ペリー・スミスはなぜ、4人を殺したのか。映画は答えを提示しない。今もって、殺害動機が見えない。タイトルにある意味は理解できる。平和そのものな家族の殺害。貧困階級の男2人。非合法に人を殺した犯罪者を合法的に殺す死刑。犯罪は割に合うのだろうか。