この雑記11は、主に子どもなどの教育についておもったことをまとめてみたくて書きました。
情操教育について。
英才教育について。
この記事では、このふたつのことを中心に書き残します。

教育について詳しい方などや、また、話題ネタ的な意味も含む情操教育についてなどで、指摘や意見、また、批判などもあれば、よろしければメッセージやコメントをお願いします。



・情操教育ってなに?



【星見鳥 知己】HPブログ-image0128.jpg



情操教育とは、『古明地さとりの情操教育』という黄昏ってる同人サークルのアクションパズルゲーム…という、さとりサンゲームのネタの元になった言葉ですね。

…で、ゲームの話はさておき、お題について。
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情操教育(じょうそうきょういく)とは、感情や情緒を育み、創造的で、個性的な心の働きを豊かにするための教育、および道徳的な意識や価値観を養うことを目的とした教育の総称。
※ウィキペ引用
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直接的な触れ合いなどで、感じて覚える感覚や、感じて情けになる感情や、感じて想ったりする感想について、また、それらの個性や性格などについて、などでしょうか?
知己(自分)の雑記文などは、主に、この情操的な要素をメインに意識して、まとめたりしたい目的で書いてることがほとんどです。
言うならば、知己(自分)が個人的に感じてることを書き記した感覚文であって感情文であって感想文であるような感じですね。

以上のような理由から、いろんなひとの価値観やそれら感覚や感情や感想について教えてもらえたりこれらの向上について説いてくれるのは、とても助かるとおもいますし、特に理に叶うような理科学的な証拠や根拠など具体的に教えてくれるのは、うれしいです。



・英才教育ってなに?



【星見鳥 知己】HPブログ-image0130.jpg



貼ってある画像は、あまり気にしないでください。

英才教育(えいさいきょういく)ってウィキペで観てみた感じだと、いくつかの種類があるみたいですね。
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早期教育 - 年齢にとらわれず、就学前教育・早期就学・飛び級・早期終了など、先取り学習で学力を身に付けること。

エリート教育 - 一流といわれる大学・大学院卒業をゴールとした教育指針。またはトップ・アスリートになるための訓練。目標達成(特定の大会で優勝する、特定の職業に就く、特定のライフスタイルを獲得するなど)のためにその道の専門家について集中的に教育・訓練を受けること。幼小の頃から訓練を受けることが多いため「早期英才教育」と呼ばれることもある。

ギフテッド教育 - ギフテッドと診断された子どもの教育に用いられる教育手法、理論、特別手段。欧米では、障害などのために生活・学習上の特別な支援を必要とする者に対する教育である特別支援教育と同じ、特殊教育の範疇に置かれることが多い。
※ウィキペ引用
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これら英才教育で、よく習い事をしたり、また、技術力を磨いたり、また、成績評価を上げるためとか、いろいろと頑張ってる方もいくらかいらっしゃいましたね。
「天才・秀才)」や「頭脳明晰・好成績」なんてエリート表記されたあの方なども、いましたことでしょう。

ただ、知己(自分)にとっては、これらのものについて、かなり懸念がありますね。

これらの英才教育に、はたして、ひとの真の心といった真心や気持ちの気の持ちようとか、特に、ひととしての感じや情けは、含まれていますか?

喜怒哀楽といった喜びや怒りや哀しみや楽しみといった、ひととしての感情は、含まれています?
暖かい動物的な自然なものか?
冷たい機械的な不自然なもの?
なんの目的?

正義に遣われるため?
悪行の使われるため?

感覚や感情や感想がないこれらのものには、なんの意味があるのいうのか、知己(自分)には、わかりません。
ただ、英才教育っていうと、早期教育やエリート教育ばかりが一般認知されてるような印象だとおもいますが、英才教育とは無縁かとおもわれてた知己(自分)も、実は、子どもの頃に、ギフテッド教育という英才教育を受けてきてた節がありますです。

元々、物事の認識や理解の感じ方や覚え方が一般定型とひとと異なるなど、そういった個性とはいえ、社会コミュニケーション上で「障害」と呼ばれそうな部分を、先天性として持っている知己(自分)です。
当時、アスペルガー症候群などの医学界のまとめ等もなく、また、今では、発達障がいといわれるものでさえも、精神医学的にも詳しくよくわからないまま「自閉症」と扱われるような時代でした。

知己(自分)の場合、自閉症どころか、自を閉ざすより開けまくる症状で、限度わきまえないくらいはしゃぎまくったりケンカなどの嵐で、そちらのほうで大変な印象ですけどね。

その異なることによって、文字通りのコミュニケーション障害となってしまう危険な部分を、とことん、情操教育のお題の文に書いたような『直接的な触れ合いなどで、感じて覚える感覚や、感じて情けになる感情や、感じて想ったりする感想について、また、それらの個性や性格などについて』、生徒同士の会話や遊びやケンカなど含むたくさん出来事を情操教育として深く刻み込むように、ギフテッド教育によって【無意識に遊ばされていた】と、当時の、学生時代の担任してくれた先生から、聴かされました。

このギフテッド教育は、いわゆる医療や治療などに遣われる『療』の文字を含む療育とも同等のようなものだとおもいます。



・情操と英才のバランス-情操教育すぎる欠点



情操教育としての物覚えは、やはり、直接、五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)などで感覚や感情や感想として個性的に認識していくことが、知己(自分)の感覚としては、そう感じます。
特に、【産まれたばかりで、なにもかも無く知らない無知のような赤ちゃんや幼子などが、よくこういう物覚えをするのが印象的】ですね。

ただ、その物覚えがクセになりすぎると、大きな欠点であるのが、有害なるものに感心を向けてそちらに走ってしまうことだとおもいますし、【良い人生経験になるものなら良い】んですが、【一生モノの後遺症を背負うものや、命を失ったりする、後悔の人生の先がないもの】になる危険があることで、ホントに●にぞこないみたいな状態になります。

高いところから落ちてコンクリートの地面に頭打撲して気絶し重態入院。
菌の毒など危険性のある物をうっかり食べてしまい腹痛。
度の過ぎた怒りが有頂天のケンカのあまり、ひとを刺しそうになる。
魔性や暴力が渦巻く闇社会に引き摺り込まれる。
自動機械に腕など巻き込まれそうになる。

いくら身で感覚や感情や感想を知るっていったって、こんな経験しようがありませんよね。
こういうことは、こういう事例で亡くなった方などの話などよく聴き認識したうえで、絶対にやめてくださいね。



・情操と英才のバランス-英才教育すぎる欠点



この内容は、よく極めて深刻な社会の大問題となってる印象を、知己(自分)としては、受けます。

ひとの真心や気持ちとして、ひととしての感覚や、ひととしての感情や、ひととしての感想さえも無視、もしくは、脅迫的、または、権力的にやらせただけのものとして、大きなひととして欠落した早期学生やエリート学生や、また、ギフテッド学生など生み出してしまうひととしての大問題。

あまりにも自然が害されたみたいに不自然すぎるんですよね。五感などで例をあげてみると。

視覚→観て感じる感覚や感情や感想がない
聴覚→聴いて感じる感覚や感情や感想がない
触覚→触れて感じる感覚や感情や感想がない
味覚→味で感じる感覚や感情や感想がない
嗅覚→臭いや香りで感じる感覚や感情や感想がない

それら、ひととしての感覚や感情や感想がまるでない。

あまりにも机や教科書に縛りづけにされた生活、もしくは、インターネットなど電子的交流に縛りづけにされた生活などで、これらの本来の自然にあるべき、なにかの感心そのものが欠落してしまうような症状は、実によくあってしまってることだとおもう印象です。

また、保護者で、子どもの感覚や感情や感想を無視した「親の言うことが聴けないのか!」「歳上や先輩の言うことが聴けないのか!」などと、脅迫的や権力的なことで、パワーハラスメント(暴力による心理的ないじめや虐待行為)が日常的に平然とやってるひと…じゃなかった、いじめや虐待などすさまじい傷害行為をやってるんだから、【ひと】じゃなく、度合いによっては、【犯罪人】みたいですね…。

心理的な傷って証拠解明が非常に困難な分、ホントに深刻に厄介な汚く卑怯すぎな魔性の【ひとでなし】(×ひと)だとおもいますですよ。
実際、それらの弊害から、インターネット逃避、家出の学生、家庭崩壊、逆襲犯行、恨み・憎しみ・嫉妬といった心からの戦争の火種となるものなど、いろんな懸念が出てきてたりしてますよね。
あと、それらにより、ひとに対しての感じ方、覚え、情け、想い、それらの感覚や感情や感想が欠落して暴走、もしくは、感覚や感情や感想を求めて、インターネット上でも誰かに泣きついて助けを求めるひとなど、キリがありませんね。

知己(自分)は、このことから、英才教育を比重に評価するのは、断固として、まったく推定したくないから否定したいです。



・感じれる程度の能力



【星見鳥 知己】HPブログ-image0131.jpg



いや…むしろ、イヤでも感じすぎてしまう程度の能力。
知己(自分)が、最も苦手としていて、また、最も情操教育で身につけたいもの…それが、特に、人間に対しての【怨霊をも恐れ怯む少女】の【心を読む程度の能力】であるのかな…と、知己(自分)としては、そういう感じになるのかとおもいます。

ちなみに、古明地の妖怪姉妹には、さとりサン(姉)とこいしサン(妹)と、心を観透かす第三の眼を持つふたりいて、また、こいしサンのような【第三の眼を全て閉ざして無意識になった存在】っていうひとも、いるんですよね。

元々、人間不信に陥った、ひとに騙され陥れられた経緯からくる心理学への感心からの感覚や感情や感想は、感じそのもので身に知れば知るほど、ホントに意識を無意識にしたくなるくらい気持ち悪くて苦しくもたくさんあります。

なにせ、【動物界じゃなく人間界の世界なんて、実際は、建前やお世辞などの騙し言葉や気変わりの不信だらけの世界】であり、【その中で真となって心となって真心となり信じれるものなんて、どこにあるんだろうか?】…と、そうおもいますし、また、一般のひとは、その建前やお世辞をカッコつけを崩されることをすさまじく嫌悪するようですから…。

また、知己(自分)がおともだちとして信じれて、また、信じてもくれるひとは、ほぼ、心理的ないじめや虐待などの被害者であったり、また、建前やお世辞だらけの関係に真心をぶっ潰されたようなひとです。

また、ホントに清楚で綺麗な聖人がいるというのなら、「心を完全に読まれても潔白なくらいの清楚で綺麗な真心の聖人であってほしいもの」だから、知己(自分)自身、自分が清楚で綺麗であるとも言いませんし、清楚な綺麗事を書くつもりもありませんし、それが建前やお世辞でもない本音であれば、汚い言葉も遣います。
これが、知己(自分)にとっての、情操教育で真実に知りたい真心なのだから…。

『琴浦さん』は、古明地さとりと同等の能力がありますから、何気に東方にパロられるネタにされるという…。
気になったら検索してみるとよろしいかと…。



・あとがき



情操教育の名称について知ったきっかけが、何気に『古明地さとりの情操教育』の同人ゲームゆえ、ちょっと【歩いてる前にいるさとりサンを踏みつけて前に進むこいしサン】くらい一部フリーダムな画像付きの雑記文になりましたとさ。
こんな【砕け散った跡が永久に治らないで心のカケラをいつも捜してるみたいなメンヘラの雑記】をお読みいただき、ありがとうございます。

そういうわけだからさ、さとりサンみたいな幻想おにゃのこのようになりたいです。

2013/8/25