三菱電機社員の男性の遺体が、2005年4月28日、山梨県上九一色村(現富士河口湖町)の青木ケ原樹海で発見された。

 この男性は1996年に三菱電機に入社し、主に配電機器製品の技術営業を担当していた。2003年10月(当時33歳)に東芝三菱電機産業システム(東京都港区)に出向し、設計も担当するようになった。以後、深夜までの勤務や休日出勤が常態化し、徹夜勤務も繰り返していた。

 2003年2日に失踪し、発見されたときには既に1年半が経っていた。失踪後すぐに首つり自殺したとみられる。


 失踪前1ヶ月間の時間外労働は、会社側の勤務表では月25時間となっていた。しかし、両親らが上司や同僚からの証言を得、携帯電話のメールなどを調べた結果、失跡前の3カ月間に毎月110時間を超える残業をしていたことが判明した。

 また、友人との携帯メールなどから勤務時間を推定し、本人が心身ともにかなり疲労していたこともつかんだ。そして、過労による失跡、自殺として、2007年1月、東京・三田労働基準監督署に労災申請した。


 これらの訴えを踏まえ、同労基署側は同年9月、出向による心理的負荷や長時間残業といった過重労働が原因で、「気分障害」(精神障害の一種)を発症していたとして労災認定した。

 男性の父親(71)は、

「会社の責任と認めさせるために頑張った。保険金は、樹海で捜索活動等をしている団体に寄付したい」

と話している。


 さて、この事件で腑に落ちないのは、会社(三菱電機)の対処である。

 会社のパソコンのデータが消えていたため、男性の勤務時間の立証は困難だった。遺族代理人の川人博弁護士(過労死弁護団全国連絡会議幹事長)は、これについて次のように指摘した。

「上司の証言やメール送信記録などを集めた。会社は自殺の可能性を考え、記録保存などの責任を果たすべきだ」

 この言葉の奥には、もっと強い示唆が仄見える。

 社員が突然、失踪したのだ。会社としても大いに心配するのが普通だ。自殺かもしれず、事故や犯罪に巻き込まれたのかもしれない。何なりと手がかりをつかんで無事保護することを第一に考えるのが、健全なあり方(企業としても人間としても)ではないか。


 しかるにこの会社は、

「勤務時間を特定する際、業務用パソコンの使用時間や会社への入退場記録などを参考にするが、こうしたデータは一定期間が過ぎると消去される」

という通常の仕組みに対して何の手も打たなかった。

 一定期間で自働的に消去されるとわかっているのだから、しかるべき対処をし、保存しておけばいいものを、あえてしなかったのだ。どんな状況にしろ、一人の人間(しかも自社の社員)の死活がかかっているというのに、その解決に協力しようとしなかったのだ。記録を故意に消した、つまり会社側に何ら後ろ暗いところがあったゆえの、隠蔽工作と見られてもしかたがない。本人を酷使した事実が明るみに出ることを恐れ、社内記録を消したとしか思えないのだ。当の会社側は、失踪した男性の周囲にいた従業員達の言動などから、「自殺」の見通しは立てていたに違いない。


 この解釈が誤解であったとしても、社員の失踪に対し、その身柄を案ずる気持ちも行動もまったく示していないことに変わりない。

 ちなみに三菱電機は、失跡を理由に、この男性をあたかも懲戒処分のように一方的に解雇(退職ではない)している。しかも、遺体が発見される前、自殺と判明する前にだ。解雇ならば、退職金さえ出していないだろうが、それについてはここでは措く。少なくとも、社内の記録が一切「消されている」ことの正当化としての、解雇とさえ見える。

「退職した者の記録は消して当たり前」

というわけだ。

 単なる勘繰りではない。この場合の記録消去は、それほどまでに不自然だということだ。人として、企業としての道義を疑われてもしかたがない。