河除静香(かわよけしずか)さん

 

 


――河除さんの症状について教えてもらえますか?
 
河除 「私の顔の症状は動静脈奇形という病気で、生まれつき鼻と口に血管の塊(かたまり)があって、変形しています。

※動静脈奇形……動脈と静脈が、通常とは異なる交わり方をして血管の集合を作ってしまう症状。生まれつきの症状で、治療はおもに切除手術を行うが根治は困難だとされている。

 

 

この写真は5歳ごろのもので、「あひるのガーコ」というあだ名がつけられていました。そのあだ名はとても嫌でしたね」

 

――当時、顔の症状でつらい思いをすることはありましたか?

 

河除 「やはり、いじめがつらかったですね。特に男子からのいじめがひどかったです。触るとバイ菌がうつると言われたり、フォークダンスで手をつないでもらえなかったり……中学三年のとき、社会の公民の授業で「基本的人権の尊重」を習ったとき、授業が終わってから男子の生徒から「お前には基本的人権はない」と言われたこともありました。
 (涙ぐんで)すみません、この話は講演会のような場所でも話させていただくことがあるのですが、今だに当時の感情が思い出されてしまって……。
 ただ、成人式で、当時私をいじめていた男の子と会ったのですが
 「中学のとき、いじめてごめんな」
 と謝ってくれたんですね。そのとき彼に対する恨みがすっとなくなるのを感じました。それで「もう気にしてないよ」と返したのですが、彼は私ほど心が軽くなったようには見えなかったんです。それで、いじめた側の心にも「人をいじめてしまった」という苦しい気持があることに気づいて……いじめっていうのはいじめられた本人はもちろんですが、いじめる側も苦しめる行為なので、本当に良くないことだと感じました」

 

――ちなみに、当時はいじめにどういう対処をしていたのでしょうか?

 

河除 「基本は笑っていましたね。傷ついたところを見せたくなかったので、笑ってごまかす感じです。あとは、どんな状況でも明るくいたいという気持ちがありました。母親の教育がそうだったので」

 

――お母さんはどういう風に河除さんを育てられたのですか?

 

河除 「私を特別扱いするようなことはせず、色々な場所に連れ歩いてくれました。人のいる場所に行くとみんなが私の顔を見てきますが、そういう視線は全部無視していたみたいです。そういえば、私が保育所に通っているとき、顔の症状が原因で鼻血をよく出していたので「面倒を見切れない」と言われたのですが、母親が町役場に掛け合ってくれて保育所に通い続けることができました。
 ただ、母親は、保育所も小学校も絶対に休ませてくれませんでしたね。学校でどれだけ嫌なことがあっても学校に行かされました。教育方針は家庭によって色々あると思いますが、私はそういう母親の教育のおかげで、どんなことがあっても最後までやり切ろうと考えられるようになった気がします」

 

――河除さんはすでにご結婚されて二人のお子さんもいるわけですが、恋愛には積極的な方でしたか?

 

河除 「いえいえ(笑)。高校や短大のときは、顔の症状があることで「異性の恋愛対象にならない」ことに悩んでいました。友達に誘われて合コンに行っても、男性から声をかけられることもありませんし、「なんでいるの?」と言われているような気がしてしまって……。もちろん好きな人ができても(こんな顔では絶対に無理だろうな)と思って告白なんてできませんでした」

 

――そういった考え方が変わるきっかけのようなものはありましたか?

 

河除 「短大の卒業旅行で友達と温泉に行く機会があったのですが……みんなでお風呂に入りながら恋愛の話をしているときに私がふとつぶやいたんです。
 「私みたいな顔をしてたら、好きな人がいてもどうにもならないよね」って。
 するとそのとき、その場にいた友達の一人が、
 「なんでそういうこと言うの⁉」
 と突然怒って泣き出したんです。
彼女は、私にも恋愛をして幸せになってほしいからそうやって言ってくれたんですが……それ以来、「好きな人ができたら、その人に向かっていってみよう」と思えるようになった気がします」

 

――それからは、恋愛に対してどのような変化がありましたか?

 

河除 「短大を卒業して葬儀会社に就職したのですが、母親にお見合いがしたいと言いました。母親も「待ってました」という感じで(笑)。それで、五回ほどお見合いをして、中には私の症状を知った上で良いと言ってくれた人もいたのですが……私がその人と一緒になる勇気がなくてお断りしました。ただ、お断りしたとき仲人さんから「あなたにあるのは若さだけなんだから早く決めなさい」というようなことを言われて」

 

――かなりキツイ言葉ですね。

 

河除 「そうですね。私もすごく傷ついて、仲人さんを代えてもらうことになったのですが、結局お見合いではうまくいかなかったですね。
 ただ、お見合いをしているときに職場を移ることになったのですが、そのときは男性がたくさんいる職場を選ぶことにしました」

 

――そのときご結婚のことは考えていましたか?

 

河除 「考えていました。葬儀会社で仲の良かった人がいたのですが、彼女が「あなたの武器は性格だよ」と言ってくれたんです。「あなたの明るさや面白さが伝わればきっと好きになってくれる男の人が現れる」と。それで自分のことをできるだけ知ってもらうために、男の人と一緒に働けるような職場がいいと思って探しました」

 

――その職場に勤めることで何か変化はありましたか? 

 

河除 「まず、何よりも女性として扱ってもらえたのがうれしかったですね。その職場で野球部のマネージャーになったりしたのですが、みんなでお酒を飲むときも「女の子がいた方が楽しいから来て」と誘われたり、見た目で嫌な思いをすることは一度もありませんでした。
 それで、あるときから社内で部署を移った男性と、私のいる部署の人たちのグループでよく遊びに行くようになったんですが……部署を移った男性からデートに誘われるようになって、その人とお付き合いすることになりました」

 

――その男性とはずっと一緒に働いていたんですね。

 

河除 「はい。4年間一緒の部署にいて私がどういう性格なのかも全部知ってくれているので話しやすかったですね」

 

――男性との交際に、顔の症状が影響することはありましたか?

 

河除 「付き合い始めて一か月ほど経ったころ、彼が急に怒り始めたんです。最初は、どうして彼が怒っているのか理由が分からなくて、昔、バレンタインデーに同じ職場の男性にチョコをあげたことがあったので、そのことで怒ってるのかな? と思ったんですけど……
 彼がそのとき言ったのは
 「俺は君と真剣に付き合っていきたいのに、どうして顔の病気のことを話してくれないんだ」
 ということでした。彼は、私がずっと顔の症状のことを話さないので自分が信頼されていないと感じていたみたいです。
 それで、私は顔の症状のせいでよく鼻血が出ることや、街を歩いていると人からじろじろ見られることが嫌だということを正直に言いました。すると彼は
 「人から見られるのが嫌なら、俺が着ぐるみを着て君の隣を歩いてやる」
 と言ってくれたんです。そのときは涙が出るくらい感動しました。
そして、その男性と付き合いはじめて一年後に結婚して、その一年後に子どもが生まれました」

 

――お子さんが生まれたときの心境はどうでしたか?

 

河除 「もう、この世のものとは思えないくらい可愛くて、過去の自分に「将来、こんな幸せが待っているんだよ」と教えてあげたいと思いました。
 ただ、出産したときに顔の症状が悪化してしまったんです」

 

――そのときの心境はどうでしたか?

 

河除 「顔の患部からの出血がずっと止まらなくて、このまま死んでしまうかもしれないと怯えていました。手術をして出血はなんとか治まったのですが、顔の皮膚が赤く盛り上がったままになってしまって……もちろん、子どもを産んだことは全く後悔していませんが、それ以降は外を出歩くときにマスクをするようになりました。

 マスクをしてみて気づいたのは、マスクをしていれば人前でも不安にならないということです。ただ、同時に、(マスクの下の顔を人に見られたらどうしよう……)という恐怖も生まれました。今は学校の図書館司書をしているのですが、マスクの下の顔は一部の人にしか見せていないので、食事をしているときに突然誰かが部屋に入ってきて、顔を見られたらどうしようという不安をいつも抱えています」

 

 

 

――ただ、先日、新宿で河除さんの「一人芝居」を観させていただいたのですが、あの一人

芝居ではマスクの存在が大きなポイントになっていましたよね。河除さんが一人芝居を始められたきっかけを教えてください。


河除 「私は今、富山県に住んでいるのですが、「見た目問題」の当事者の人たちとの交流会を開いていたんです。そのとき、会の参加者の人から『こわれ者の祭典』の話を聞きました。
  ※『こわれ者の祭典』……過去に様々な病気を体験した人たちがその体験を語ったり、パフォーマンスをするイベント。
 それで調べてみたら「出演者募集」とあったので興味を持ちまして」

 

――そこで一人芝居をしてみようと思ったわけですね。

 

河除 「いえ、最初は一人芝居をやるつもりはなかったんです。『こわれ者の祭典』では出演者が主に詩の朗読をしていたので、私も詩を書いてみようと思ったのですがなかなかうまくいかなくて……。ただ、私は仕事でよく子どもたちに読み聞かせをしているので、物語を書いてそれを読んだらいいんじゃないかとひらめきました。そして実際にお話を作って読み上げていたら、今度はそれを演じてみようという風に思いついて、それが一人芝居という形になっていきました」

 


(河除さんの一人芝居の内容)

 

 女優になりたいという夢を持っていた主人公は、今、好きな男性がいるが、自分の顔に大きなアザがあるのを気にして、女優になる夢も、男性への思いもあきらめている。そんな彼女の趣味は演劇を見ることだが、ある日「顔にアザのある女優の劇」の存在を知り、見に行くことにした。最初、主人公は、その劇の女優のアザはメイクだと思っていたのだが、そのアザが実際のものであることを知り、女優と楽屋裏で対話をすることになる(河除さんは主人公と女優の一人二役を演じる)。この一人芝居では、河除さんがマスクをした状態で登場し、「好きな男性も、女優になる夢もあきらめてきました。この顔のせいで」という台詞と同時にマスクを取るという演出がある。



――この一人芝居の内容は、どういった経緯で考えられたのですか?

 

河除 「これは、富山の「見た目問題」交流会に来ていた女性がいたのですが、一生懸命に生きながらも傷ついている彼女に対して「あなたのことを応援してるよ」ということを伝えたくて作りました。ただ作ってみて思ったのは、自分の中には、「主人公」のような弱気な女性と、そんな自分を叱咤激励する「女優」の自分がいて、自分自身を描いていたんだなと気づかされました」

 

――先日、この芝居を新宿で拝見したとき、会場のほうぼうから観客の泣く声が聞こえてきて多くの人が感動しているのが分かりました。こういった一人芝居を作ることで顔の症状に対する考え方は変わりましたか? 

 

河除 「顔の症状がなければ作れなかった芝居なので、この芝居が人を元気づけたり励ますことができていたとしたら、それは本当にうれしいことです。それは、自分自身に対する励ましや癒しにもなります」

 

――顔の症状に対する悩みは消えましたか?

 

河除 「いえ、今もプライベートではマスクをしていますし、症状があることで不自由なこともあるので、悩みが消えたわけではありません」

 

――河除さんは新宿で公演した一人芝居以外にも、いくつか一人芝居を作られているわけですが、その中の一つに興味深いテーマがありました。それは主人公が、顔に症状がある人生と顔に症状がない人生を選べるとしたら、どちらを選ぶかというものです。河除さん自身はどちらを選びたいと思いますか?

 

河除 「そうですね……(長考して)。もし、今の状態が保証されるなら――子どもがいて、主人がいて、顔の症状があったからこそ出会えた人たちとの関係が保証されるなら――顔の症状はないほうが良いです。ただ、今の自分になるために、この顔の症状が必要とされるなら……それはあってよかったと思います」

 

――それでは最後の質問になりますが、顔に症状がなくても外見に自信がなくて積極的に生きられない人が世の中にはいるわけですが、その人たちにアドバイスをするとしたらどんな内容になりますか?

 

河除 「こういうときはよく「勇気を持って一歩を踏み出しましょう」というアドバイスになると思うのですが……私の人生を振り返ってみても、勇気を持つということは本当に難しかったです。私もいまだにマスクの下の顔を見られるのは怖いですし、何か行動を起こす時には勇気がいります。それに、行動を起こしたからといって必ずしも報われるわけではありません。
 ただ、今の私に言えることは、私は、これまでの人生で、悩んだり不安になったりしながら、それでも勇気を持って一歩を踏み出してみたら、良いことがありました。私はただ、運が良かっただけなのかもしれません。でも、その一歩がなかったら、経験できなかったことであるのは確かです。
 私の子どもは、私の顔を見て「可愛い」って言うんです。それはお世辞とか同情じゃくて、子どもから見ると、私の顔は生まれた時から慣れ親しんだ母親の顔で、本当に「可愛い」って思えるみたいなんです。でも私は自分の人生で、誰かから「可愛い」って言ってもらえるなんて思ってもみませんでした。だから子どもに「可愛い」って言われたことは本当にうれしくて……(涙ぐんで)。
 何か行動を起こした先に、そういう素晴らしい経験ができる可能性があるのなら、私は、これからも新しいことに挑戦したり、何かにぶつかっていきたいと思います。そして他の誰かが勇気を持って行動する手助けができたら、それは本当にうれしいことだと思います」

 

 

 

(了)

 

※この記事は「顔ニモマケズ」からの抜粋です



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