海獣の子供(2019 日本)
監督:渡辺歩
原作:五十嵐大介
製作:田中栄子
キャラクターデザイン/総作画監督/演出:小西賢一
美術監督:木村真二
CGI監督:秋本賢一郎
色彩設計:伊東美由樹
音響監督:笠松広司
音楽:久石譲
主題歌:米津玄師「海の幽霊」
出演:芦田愛菜、石橋陽彩、浦上晟周、森崎ウィン、稲垣吾郎、蒼井優、渡辺徹、田中泯、富司純子
①まずは、海の美しさ
14歳の琉花の夏休み。離れて暮らす父親が務める水族館で、琉花は海という少年に出会います。海はもう一人の少年・空とともに、ジュゴンによって海の中で育てられた少年でした…。
五十嵐大介の漫画作品のアニメ映画化です。アニメ制作は「鉄コン筋クリート」のSTUDIO 4°C、監督は映画ドラえもんを何本か手がけた渡辺歩。
本作の良い点は、原作の再現度の高さ。
あの緻密な絵が色鮮やかに、躍動感を持ってグリグリと動きます。
海の美しさ。青の質感と量感。
鯨や、海洋生物たちの生き生きとした生命感。
そして、その中を泳ぎ潜り飛び跳ねて駆け抜ける子供たちの疾走感。
海の、様々な表情が次々と登場してきます。
水族館の透明感のある青。射す光の美しさ。
漁港の、生活感あふれる海の賑やかな雰囲気。
船に乗って海上を走る、顔に受ける潮風の心地良さ。
外海でエントリーする時の、足下にどこまでも続く深さを感じる、海の怖さ。その蠱惑的な魅力。
波に揺られる海面の不自由さと、そこから海中に入った時の浮遊感。中層での自由と解放感。
いろんな側面から、海を描き出してくれます。その一つ一つが美しくて、臨場感に満ちている。
波のしぶきを感じるような。潮の匂いも嗅げるような、濃厚な海の臨場感。
本当、海に行きたくなります。
海と、そして空。真っ赤な夕焼けが海と空を染めて、雲の果てに降るような星空が開ける。
海から見上げる星空の、その濃密さ。海と空がひとつながりに続いているような錯覚。
僕たちも時に旅行で離島に行ったりすると、取り囲む自然の中に宇宙を感じる瞬間があったりします。そんな言葉になりにくい感動を、映像体験として再現している。
そしてこの感覚、海と空と宇宙を一体のもののように感じる感覚が、物語のテーマにつながっていくわけですが。
まずはその気持ち良さ、自然の中に身を置く感動。それが存分に味わえる映画になっています。
②琉花の視点で描く夏休みの物語
原作そのままのストーリーはさすがに入り切らないので、大きくアレンジはされています。
でも、そのまとめ方も上手かったですね。原作読んでて、冗長なところ、回りくどく感じるところを、物語のエッセンスは損なうことなく簡潔にまとめていたと思います。(少なくとも前半は! 後半については後述。)
複数の人々の「証言」や、過去の話がなくなって、原作の特徴の一つだった、時間軸を行き来する複雑な構成は捨てられています。
その代わりに視点は現在の琉花に絞られていて、琉花の一夏の物語として一貫しています。
いろいろとはしょられたシーンは多いんだけど、ここぞというところがきちんと入っているのは原作への思い入れを感じました。
個人的に、落ち込んでる琉花の肩にカミキリムシがとまる一コマがちゃんと再現されてるのが嬉しかったです。琉花の人となりがスッと伝わる秀逸な一コマだと思うんですよね。かわいいし。
原作にあった、未来の琉花の視点がなくなっている。
だから、壮大な叙事詩としての側面は弱まってるんだけど、その代わりにハンドボールのエピソードをラストにも持ってきて、中学生である琉花の等身大の世界に寄せています。
この構成で、ぐんとジュヴナイルになっているんですね。少女の成長物語になっています。
③海と空の弾ける魅力
そして、琉花から見た視点で、海と空が描写されていきます。
原作ではジムやアングラードの視点が入ることで、海や空がジュゴンに育てられ、現地の村人たちに不吉な魔物として恐れられた過去が描かれるので、海と空はより人間離れして見えています。不気味なところが、強調されている。
映画ではそれがない。不気味さは後退し、海に跳ねる少年の躍動感、そこへの憧れがぐっと前に出ています。
海と空が琉花の手を引いて、海へ飛び込んでいく。普通の人間にはできない魚のスピードで、珊瑚礁の海を、イルカやエイやジンベエザメの群れの間を、流星のように滑り抜けていく。その爽快感。
きらきらと輝く、笑い転げるような海中での海と空の生命力。それを観ているだけで気持ちいいです。
空が琉花に隕石を預けて、そして自分は光になって消えてしまう。
ここまでは本当にワクワクする展開で、謎をめぐるミステリも程よい牽引力になってるんですが。
ここから先、物語は一気に謎の方に傾いてしまって、一切の親切さを失ってしまうんですよね。
海と空の過去を描いていないのも、一長一短で。後半、彼らの扱いが一気に「人間離れ」しちゃうのが、あまりにも唐突に見えてしまって。
分かりにくさに拍車がかかってしまってます。
④わからないところも原作通り
本作の悪い点。それもまた、原作の再現度の高さだったりします。
原作の、後半部分のわからなさ。あまりにも観念的なイメージの世界に突入して、読者が置いていかれてしまう突き放し感。
それもまた、忠実に再現されてしまっています。だからこの映画、鑑賞後の後味は大体の人が「わからん」になると思います。
いやあ…明かりがついた後の、映画館の雰囲気が面白かったです。
なんかみんな、苦笑いしてる感じ。
「わからん」とか「難しい」とかいう声もいっぱい聴こえてきました。「これ本当に意味あんの?」とかね。
まあ、原作通りなんでね。無理はない。映画だけの問題というわけでもない。
ただ、正直、残念だなあと思うのは。
全体の構成をシンプルにして、物語を琉花の視点に絞るなら。この後半部分の展開も、もっとわかりやすくアレンジする道もあったんじゃないかと思うんです。
今回の映画化で僕が期待したのは、難解だった原作がわかりやすくなっているんじゃないか、ということだったんですよ。
前半部分は、実際にわかりやすくなっていた。複雑な時間軸が整理され、また絵の点でも、情報量過多の線画の世界に色がついて動くことで、格段に見やすくなっていた。
だから後半も…と期待したんですけどね。
残念ながら、映画が選んだのは、原作の難解なイメージを難解なまま放り出すことでした。
イメージ映像的な抽象的な画面を延々と、時間をかけて見せられるので、原作よりもむしろ伝わりにくさは増してるような気さえしました。
抽象的な表現であっても、そこに隠れた意味を比喩的にでも伝えよう…という意思があるといいんですが。
そういうものも、あまり感じなかったんですよね。
これ、映画の作り手も、一つ一つの絵の意味を100%理解してないんじゃないの? わからないまま、なんとなくで描いてしまってるんじゃないの?とさえ思ってしまいました。
漫画本であれば、そこまで抽象的に、考えることを読者に任せた表現もアリかとは思うんですが。
映画であれば、やはり観客の気持ちよさを考慮して、せめてもう少しわかりやすく。
様々なダブルミーニングはともかく、根底の部分で何が起こっているのかくらいは、万人に伝わるようにアレンジしても良かったんじゃないでしょうか。
絶対その方が、完成度は上がったと思うんだけけどなあ…。
前半の楽しさ、気持ち良さが、後半の意味不明さで相殺されてしまって、感想がことごとく「よくわからなかった」になってしまう。なんてもったいない…と思ってしまいます。
⑤一応、謎の解読
この物語における「意味」は決して、そこまで複雑なことではないと思うんですよ。
「星の、星々の。海は、産み親。」というのが、ほぼすべてであって。
まさにこの言葉通り、海が星を産むってことですよね。隕石によって生命の材料が海にもたらされ、周期的に海が星々を産む。
海から産まれた星々は、プランクトンのように散らばり、大部分は鯨などに食べられるけど、残りは空に昇っていって、宇宙になる…。
生み出される星々や銀河は、宇宙に出て長い歳月をかけて、我々の知る天体のサイズまで成長するのでしょうか。
それとも、星々や銀河がプランクトンのサイズであるということは、その極小の星々の中の海のある星で、またさらに小さな星々が産み出されているということでしょうか。そんな無限な連なりがあって、我々の存在するこの宇宙もどこかの海で産み出されたプランクトンであって、鯨に呑み込まれるかどうかは運次第なのかもしれない…。
そんな、「火の鳥未来編」的なマクロとミクロが連続する世界観。
何十年かに一度の周期で海で起こるその出来事は、海の民の間で語り継がれていて、誕生祭と呼ばれている。
空や海のような、海から来る子供は、その儀式のために自然が作り出す特別な生命。時期が来れば何人も生み出され、そのうち隕石と合わさった者だけが受精して星を産み、それ以外の者は分解して海洋生物の餌になり、食物連鎖の中に還る。
そう考えると、隕石が卵子、海から来る子供たちが精子であるようです。だから子供たちは男の子なのかな。
「宇宙を生命に例えれば、海のある星は子宮。」というのもありました。
地球以外の海のある惑星でも、このような営みが周期的に繰り返されているのかもしれません。
劇中で起こっていた、SF的な出来事を取り出すなら、上記のような形になると思うのです。
更に、そこに様々な象徴が重ねられている。二重三重の意味が重ねられ、いろんな受け取り方ができるように、わざと曖昧に描かれている。
たとえば、星々の誕生は人間やそれ以外のあらゆる生命の誕生とも重ねられています。なぜなら、星も我々も材料は同じだから。
宇宙がどのようにして生まれどのように死ぬかを考えることは、我々がどこから来てどこへ行くのかを考えることと同じ。
そんな多くの意味を含ませるために、絵は抽象度を増していき、全体として非常にわかりにくい、難解な印象になってしまうんですね。
原作も決して理詰めでつじつまを合わせるタイプの作品ではなくて、イメージの方が優先されています。
物語の着想の元は、上記したような「海で感じる、海と空、宇宙の一体感」であったり、「サンゴの産卵が星々を産み出しているように見えること」だったりするのでしょう。
それでも、原作を注意深く読んでいれば、上記のようなことは伝わってくるんだけど、海と空の過去を省き、彼らの説明が足りないことで、映画の方がわかりにくくなっちゃってますね。
⑥もうちょっとで傑作になった!のに…
単行本5巻分の内容を2時間に、上手くまとめてあるとは思うんですけどね。それでもやっぱり、足りていない。
あまりにも説明不足のところが多くって。結局のところ、終盤になるほど説明が追いつかず、原作よりも分かりにくいものになっちゃっています。
誕生祭のところ以外でも、デデは何者なんだとか。あの扱いじゃ、そもそも誰なんだかもよくわからない。
また、琉花の成長に話を絞ってあるという点では、お母さんとの和解も重要な要素だと思うんだけど、映画ではほとんど語られていなかったですね。
原作ではお母さんの過去が語られたり、琉花を探しに行くのもお母さんだけで、ラスト部分の重要なファクターなんですが。琉花に焦点を絞っておきながら、お母さんの扱いがおざなりだったのは、片手落ちであるように感じました。
ポストクレジットの出産シーンも唐突で。原作では、妊娠を指摘されるシーンがあったんですけどね。
いろいろ文句書きましたが、個人的には好きな作品です。作画のクオリティは素晴らしいし、物語のテーマもとても興味深いし。
あ、海辺でごはん食べるシーンはとても良かったです。ディップみたいなのが何なのかはよくわからなかったけど、それでも実に美味そうでした。
それだけに…誰にでも勧められる作品とは言い難いものに終わっちゃったのが、残念でした。
やっぱり、人に勧めるのは躊躇しますからね。かなりの確率でわからんかった!って言われそうです。
あともう一歩、観客に歩み寄る親切さがあれば、原作を離れた1本の映画として傑作になったと思うんですが。惜しい!です。
考察記事を書きました。「考察その1 謎の解釈」はこちらへ