インスパイアされるって事は、誰でもあると思うんだけど。

あ、カタカナと英語に弱いから念の為に調べたら。インスパイアって、ラテン語の「in-(中へ)」と「spirare(息、息吹)」から、(思想や生命などを)吹き込んだり、感化、啓発、鼓舞、または奮い立たせたり、ひらめき、とか触発って言い方も出来るとある。

こういうカタカナは、平気で勘違いして覚えてることが多いからね。

最近江戸物から離れてるのは、時代チャンネルや江戸本を読んでないからだなぁ。不思議なんだけど、時代物や江戸の本や、旧い江戸地図眺めたりしてると突然話が浮かんだりするんだよね。パクってないよ。別のストーリーが浮かぶんだからね。

勿論ブログでもツイッターでも、一言の呟きにインスパイアされることはある。怪しいサイトも同じで、それは手がかりや入り口として導かれる。

例えば、星座からギリシャ神話にいったり、宗教画から旧約聖書に近寄ったり、古代史から宇宙人にいったりもするんだよね。想像と創造と妄想は兄弟のようなもんだと思う。さてナスカだ。

   桃林の桃源郷

ナスカの地上絵がある場所は、ペルー南海岸地方の、丘陵と東方のアンデス山脈の麓との間にあるパンパコロラダ、パンパインヘニオと呼ばれる細長い盆地なの。

世界遺産にもなっているナスカの地上絵は、今は観光名所になっていて、「ナスカの地上絵完全マップ」なんてガイドブックまであるようなの。飛行ツアーが多い。

ほとんど雨の降らない地域で、草も生えない場所で人は住んでいない。時々ロバを連れたインディオたちがこの平原を横切ったものの、長い間溝のことを気に止める者はいなかったの。

1900年代に入って飛行機が発明されると、リマから南のアレキーパまでの民間航空路も開設されたけど。パイロットたちは地上絵の上空を何度も飛んだが、まだそれが「絵」だとは感じていなかった。

初めて、それが「絵」だと気づいたのは、1938年ペルー人のアレッサンドロ・ロメロというパイロットだった。彼がこのあたりで金脈を探すためにナスカ上空を旋回していた時、上空1800メートルの地点から「鳥の絵」に気づいた。

  桃林の桃源郷

かなり巨大な絵で、直線部分も正確に描かれていて、注意してあたりを見渡すと他にも様々な絵が描かれていることに気づいた。

驚いたたロメロはすぐにリマに飛び帰り、このことを警察や新聞社に知らせ。騒ぎとなって、多くの報道機関や学者たちが現地に殺到。

車で行った者はただ地面に掘られた溝を見ただけで意味が分からない。飛行機で上空を飛んだ者だけが、3000メートルのあたりまで上昇して、この数
々の地上絵の全貌を見ることが出来たの。

4本指の手や道路か滑走路のような直線図形など、膨大な数の絵が発見された。でも、この時期は間もなく第二次世界大戦が始まる時代で、調査はいったん打ち切られて「地上最大の謎の絵を発見」というニュースだけが報道されたのね。

  桃林の桃源郷 
   シッポぐるぐるのサル

1940年代には本格的な調査が開始されて。描かれた絵は、人間やシャチ、コンドル、犬、木の動植物の絵が約70種類、幾何学模様が700以上で、直線は長さが数kmと長いものが多く、中には丘や谷を超えて進んでいっている。

絵はどれも、誰かが上空から見て指示を出さないと出来そうもないように見える。

1973年に、国際探検協会のジム・ウッドマンが、当時の技術だけで気球を製作してみたところ、空に浮かぶ気球は製作可能で上空130mまで上昇する実験もしたの。

可能性としては地上絵を描くのに気球を使って、上空から指示を出すこともできるけど。ナスカの謎は「絵」しか発見されていず、それを描くための道具、技術の痕跡がほとんどない。

この平原で発見された木の杭や布の年代測定から、この絵はナスカ文明が残したものだとされた。

ナスカ文明ってのは、紀元前100年ごろから紀元後800年まで、ペルーの中南部のナスカの砂漠地帯で繁栄した文明。だとすると、この地上絵は2000年もの時を経てもまだ残っていたということになるのよね。

絵の線の作り方は単純で、地面を削って溝を掘っただけ。ナスカ平原は鉄酸化物を含んだ黒い石と乾いた土が表面を覆っていて、この表面の土を5cmー10cm掘ると、その下から白い石灰質の多い大地が現れ。掘った溝の部分だけ白い線となって残る。

2000年も時が経つのに線が残っているのは、この地方の気候が、年間降水量が十数ミリのカラカラに乾いた土地で、雨が極端に少ないために線がほとんど崩れることがなかったから。

海岸から吹く湿気を含んだ風も、石灰質の表面や周りの土に湿気を与え、乾燥した時にはそれぞれをしっかりと固める役割を果たし。
年間平均気温も17~18度という低温で、朝の冷え込みによる冷気が大地や線を更に固める。その結果この時代まで残り続けてきたんだと思われてる。

でも、何の為にこんな図形を描いたんだろう。それが一番の謎だよね。

1927年にこの地を調査したペルーの考古学者メヒーア・ヘスペは「地上絵は道路の跡だ」と発表。当時この地に住んでいたナスカ人たちが、祭祀行事や軍隊のパレードで、隊列を組んで歩くために目印にしていたという説。

1937年にナスカを調査し始めたアメリカの歴史学者ポール・コソックは、「直線は、太陽や星の動きを示したもので、動物の絵は星座を描いたものだ。」との結論づけた。

ナスカに描かれた線の中で、冬至と夏至の日に太陽の沈む方向に一致する線も発見されて、暦の要素を持っていると数人の学者が示した。

冬至や夏至は、雨季と乾季の境目で農業を営むにおいては重要だけど、でも絵も線も多過ぎて、暦の役割を果たすものや星の運行を表すものは全体からすればわずか。現在この説を支持する学者は少ないらしい。

さぁ、きました宇宙人説。
ナスカの地上絵は異星人が描いたもの。

様々な学者が絵の目的について説を唱えたんだけど。異色の説を掲げたのが、このエーリッヒ・フォン・デニケン。

彼が1968年に発行した「神々の戦車」という著書でナスカの地上絵について地上絵は異星人が描いたものだと述べている。お懐かしやデニケン先生。ずいぶん読み漁ったもんですの。

この時代には、ナスカを含めて、異星人たちが地球上に頻繁に飛来していて、一部の異星人たちは地上に住み着いていた。

当時稚拙な文明しか持たなかった地球人は、空を飛び、様々な奇跡を見せる彼らを神とあがめた。デニケンの説は、この地球上には人類が文明を持つ以前に、大くの異星人が住んでいて当時の地球人たちと共存していたってもの。

  桃林の桃源郷
  丘に描かれた人か宇宙人かぁ。

ナスカに描かれた線の中で、道路状に直線のものは、その異星人たちの飛行物体の滑走路である。

当然デニケン説に反論が殺到する。仮に異星人たちが飛来していたとしても、星の単位で移動するほどの文明を持った生物が乗るようなものであれば、垂直離着陸をしていて、滑走路が必要な飛行機タイプのものなどを使うわけがない。

けれど現在の人類が、車・新幹線・飛行機・船・ロケットと様々なものを利用しているように、当時住んでいた異星人たちだって。

星間を移動するのには、垂直離着陸の出来る宇宙船。地球上を移動するのは滑走路が必要な飛行機型と、使い分けていても不思議ではない。って逆反論もある。

仮に高等生物が大量に住んでいたとすれば、そこに経済みたいな物も発生する。
乗り物の種類によって維持経費が違ってくるから、星を移動するほど高度な文明を持っていても、宇宙船だけではなく飛行機や車に近いタイプのものを使っていたとしても不思議はないだろう。

彼らの乗り物の一タイプのための滑走路が、ナスカに書かれた直線部分ではないかというのね。

ほむ、宇宙人の経済ってどんなもんやろ。金じゃあらへんやろ。その乗り物の動力はどんなもんやろ。とか婆ぁさんは考えてしまうが。宇宙人説は面白いからまぁいいや。

ただ、これらが本当に滑走路として使用されていたならそこには飛行機の離着陸があった痕跡が残っているはずで。

金属片とか地上のへこみであったり、燃料の跡とか機械類特有の痕跡ね。地面に掘られた溝が現代まで残っていたくらいだから、それらの痕跡も残っていてもいいはずなんだけど何も発見されていない。それで、この直線もまた謎のままなの。

デニケンは、絵の中で綺麗に描かれているものは異星人が描いたもので、グシャグシャになっているものは地球人が描いたものであると言っている。

ある目的を持ってこの星を訪れた異星人は、何かの目的で地上絵を描き、しばらくの間地球人と共存していたが。

ある時期、何かの理由で地球を去って行ったのだ。彼らの起こす奇跡を見て「神」とあがめていた地球人たちは、なぜ彼らがいなくなったのか分からなかった。

そこで彼らの再来を願って「神」たちが描いていた地上絵を更に増やした。「神たち」が再びこの地に飛んで来てもすぐに場所が分かるようにと願いを込めてひたすら溝を掘った。

けれど当時の地球人たちは、神が掘った溝が、上空から見ると絵になっていると全く知らず。ただ真似て溝を掘っただけで、結果的には意味不明のグシャグシャな線を作る結果となったんだと。

ナスカに刻まれた線は異星人が掘ったものと、地球人が掘ったものと二種類があるというのがデニケンの説なの。もうデニケン先生ッタラァ、愉しすぎますぅ。

でも、こういう不思議話に全財産をつぎ込んだスイス人の情熱ってすごいよね。しつこくこんな話を追っかけるあたしもヘン人だわ。

人が面白くも無いと思う話でも、自分が面白がる事が出来ればいいんで。江戸物だって自分が愉しいから書いたりする。でも長い記事になっちゃうなぁ。

ナスカ絵に関して、最大の功績者と呼ばれるのはマリア・ライヘって女性ですの。

地上絵は今は多くの写真が撮られ、世界中で見ることが出来るけど。絵を綺麗に整備したのは、ドイツ人研究者のマリア・ライヘという女性。

マリア・ライヘは元々数学者で、地上絵に興味を持ちこの地を訪れた。

彼女は、前述の「ナスカの絵は、太陽や星の動きを示し、動物の絵は星座を描いたもの」と述べた、アメリカの歴史学者ポール・コソックとリマで知り合って、博士の影響を受けてナスカに住み着いて徹底した調査をしたの。

彼女が残した最大の功績は、砂が積もって線が不明瞭になっている部分を一つ一つ丁寧にホウキで掃き、線を浮かび上がらせて、絵をくっきりと表示出来るようにしたことなの。

2000年の時が経っているんだから、ところによっては線が埋もれたり消えたりしている。それらの線をホウキで掃いて綺麗に掃除した。そしてその後、それぞれの絵を図面化していった。

憂歌団の歌じゃないが、お掃除おばさんは最強だね。
毎日掃除してるのに誰も褒めても、認めてもくれぬ婆ぁさんは悲しい。

今なら古代文明の調査とか補助金も出るかもしれないけど、当時はなかったからマリアは通訳や家庭教師のアルバイトをしながら生活し、自費でナスカの絵を復元していったのね。砂漠にテントを張って何日も寝泊りして。時には寝袋だけで寝ることもあったらしい。

ホウキが駄目になると街へ行ってまたホウキを買う。ホウキばかり買いに来る彼女を見て、地元の人たちは「変わった人」と噂しあったという。ふむ変人と言うのは常に凡人には理解されぬものよのぉ。

しかし彼女の努力の結果、様々な絵がその全貌を明らかにしていき。巨大な絵たちは独特のタッチで一筆書きのような描き方がされていたと判る。

この一筆書きのような絵の描き方が、軍隊の行進のための道筋だったという説の根拠にもなっているんだが。彼女の考えは、ポール・コソック博士と同じで、この地上絵たちは星の運行と星座を表していると思っていたらしい。

サルは大熊座、クモはオリオン座、トカゲ(シャチも見える絵)はさそり座。どれもが完全に星座に当てはまるわけではないが、天体の図を示した可能性は高いと結論した。

以前ペルー政府は、この地に灌漑施設を作って、あたり一帯を大農場にしようと計画を立てたことがあるんだけど。その時に先頭を切って、いかに地上絵が人類にとって大切なものであるかを主張して、地上絵を守ったのも彼女である。行動する女は強いのだ。

それで、どうやって描いたのか具体例が示されているのね。巨大な地上絵は、中心点を決めてそこからロープを使って距離を測る「拡大法」によって描かれたと推測されていて。数学の相似形の描き方に当たる方法ね。

最初に地上に原画となる絵を描く。絵の大きさは、人間が自分の目で見て認識出来る程度の小さい絵。内部の適当な所に中心点を定め、ここに木の杭を打ち込んで。この杭が絵を拡大していくための中心となるというもの。

日本でのナスカ研究もあって。
九州産業大学の諫見泰彦准教授(建築教育学)はこれをを参考に、小学校の算数学習として、子供達に画鋲2個と糸1本のみを使って、ナスカの地上絵の再現(実物大再現を含む)をグラウンドや体育館で20回以上したの。

子供達15名から160名で、開始後150分以内で再現に成功。ナスカの地上絵を題材に、算数の単元「比例」と測量技術とのつながりを、体験的に学ぶこの学習プログラムは。

地域科学の技術理解増進活動に採択されて、全国各地の小学校や科学館等で実施され、基礎科学教育分野の優れたものとして賞も受けたの。

山形大学の坂井正人教授(文化人類学・アンデス考古学)は2008年夏、ナスカ台地の南西部を訪れ、最近二人の女性が30分位で絵を再現して描いた事を知って。

この話を参考に、2009年この方法で地上絵が描けるか山形県の天童市立天童小学校で実験をした。6年生児童と保護者が約20メートル四方の将棋の駒やサクランボなどを描き、更に山形大の学生の応援を得て、ハチドリの地上絵(全長約100m)もほぼ原寸大で校庭に再現したらしいのね。

ふうむ、子供の数学には面白そうだけど、でも何かつまらないよなぁ。

理論上可能でも、例えば数kmに及ぶような綺麗な直線を、本当に人力とロープで描けたかどうかはかなり難しいんじゃね。

それに、NASA(アメリカ航空宇宙局)の地球観測衛星ランドサットが、ナスカ付近を地球上空900kmから撮影した写真の中に、全長50kmに及ぶ超巨大な矢印型の図形を発見したんだよね。全長50kmの矢印の発見!

この直線は山や谷、川などを乗り越えて進んで、数百メートル程度の上空からではそれを認識出来ない。宇宙空間からしか分からないような直線なの。

人力と地上だけでの作業で、この線を描くことは不可能であって、異星人が関与していたという可能性も高く、前述のデニケンの説もあながち空想の中の世界とはいえないって解釈もあるの。

それにこの図形を描いた土木と測量技術は、間違いなく現代の最先端技術と同等かそれ以上のものだと考えられる。

そういった意味で、この図形も又巨大な「オーパーツ」の一つと言えるんじゃないかしらねぇ。

また怪しい話の続き書いてもいいかなぁ。いいともだぜっ!と一人突っ込みの夕暮れ。

   桃林の桃源郷
  ナスカ土産の小銭入れ、ほしいなぁ



   桃林の桃源郷