量子場師&心屋カウンセラーの向江(むかえ)ですお遍路
 

 

かれこれ1年かけて^^;

前者後者についていっぱい色々書いてきましたが

概要記事をここに一度まとめます。

 

 

誰かにご紹介頂くことなどあればこの記事をお使いくださいな(^^)

 

 

 

 

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「なんであの人は、ああなんだろう」

「なんで自分はいつもこうなってしまうんだろう」

 

 

毎回それぞれ理由はあるけれど、

”どうして” 私は/あの人は、いつも「そう」なるのか。

 

 

 

日々まさに困っている、
あるいは普段は考えないけど

 

どこかでずっと謎に思ってきた。

 

 

そんな風に思っている方は少なくないんじゃないでしょうかぴよ

 

 


「人はそれぞれ違う」確かにそうだけど、

そういうことではない気がする。

性格分析や心理の本も数多く読んだし、
もしかして障害や病気なのか?と調べてもみた。

 

 

でも自分がずっと感じている違和感

ぴたりと言い当ててくれる「何か」が見つからない。

 

 

 

 

花

 

 

人間は、実は

2つのタイプにはっきりと分かれています。

 

 

 

体(ハード)における男・女のように

脳(ソフト)のOSの違い、といっていいものです。

 

 

傾向や程度の話ではなく、

「具体的に」そもそもの成り立ちや仕組みが異なりますので、

 

両方ということも、状況で変わることも、

後から変わることもありません。

(もちろん男女のように、”らしさ””ぽい””役割”的なものは状況や環境や性格で個人差がありますが)

 

 


2種類ですから、

あなたも、あのひとも、あの子も、


どっちかであればどっちかではないし、

どっちかでなければもう片側です。

 

必ずどちらかに当てはまります。

 

 

 

この2つでは仕組みが全然違うので

 

 

片側にとって「当然」のことが、

もう片側には全然ピンとこなかったり

 

どちらかにとっては

息をするくらい何の苦もないことが、
 

そうではない方には何倍もの努力を要したり、

そもそもできないことだったりします。

 

 

 

それに気づかない、わかっていないために

意味もなく相手や自分を責めたり

愛情や優しさが伝わらない、理解できずに傷ついたり

 

本当に要らない

誤解やすれ違いや罪悪感が、

 

親子や夫婦、仕事の場面でも数多く起こっているのです。

 

 

 

 

この話の最初の提唱者は

心理カウンセラーの心屋仁之助氏です。

 

⇒『■【永久保存版】大人になりたくてなれなかったひと、大人になりたくてなれてしまったひと

⇒『■【永久保存版・全体概要】前者後者は世界を救う?!前者後者ってなんだ?

 

 

通称「前者・後者論」と呼ばれ

 

成り行きでついた名前なのですが

タイプAを「前者」前、タイプBを「後者」後と言います。
(それぞれの特徴を仁さんが「前者は・・・」「後者は・・・」と説明していたらそう呼ばれるようになった)

 

 


そして仁之助さんの発信を受けて、

「じゃあそもそも何故そんな違いが生まれるのか?」

「具体的にどういう仕組みなのか?」

 

 

という話を、私が発信し続けていますお遍路

ちなみに仁さんは「前者」で、私は「後者」です。

 

 


これは性格分析でも、統計でも、思想でも心理でもなく
そうなっている、という「事実」の話です。

 

 

 

これを知ることで

世の中の不要なすれ違いや誤解が減ってほしいですし

意味のない罪悪感や劣等感を手放し、

 

 

自分や相手本来の特性を理解することで

それぞれの魅力や個性や力が

世の中に素直に活かされて行くことを望みます。

 

 


+++++++++++++;

 

 


この世には2種類の人間がいて、

 

 

「典型的」には例えば

下記のような特徴が挙げられることが多いです。

 

 

■タイプA(前者)
マルチタイプ、空気読める、察するのが得意、そつがない、変化球、罪悪感たっぷり、悪意がある、ダメだしする方、怒る人、フォローする側、深読みし過ぎ・・・

 

■タイプB(後者)
得意分野偏りタイプ、空気読めない、察しない、むらがある、ストレート、罪悪感が薄い、悪意がない、ダメだしされる方、怒られる人、フォローされる側、真に受ける、・・・

 

 

 

前者も後者も(特に後者)、

これにまさに当てはまる典型的なヒトっていらっしゃいますよね。

 

 

「あー、あのひとだ」みたいな。

あるいは「あ、私そうだ!」て思った方もいらっしゃるかもです。

 

 

 

 

では、例えばあなたにはこんなことがないでしょうか?

 

 

・相手の言っている日本語はわかる(難しいことは言われてない)のに、 相手が何を言ってるかわからないことがある


・わかってないことはわかるが「わからないところがわからない」ので質問もできない


・細心の注意を払っても何故かミスをする


・ミスの原因を聞かれても、自分でも理由がわからない・・・というか、人智を越えた力でも働いたんじゃないかとしか思えないことがよくある。


・そのため、自分がダメなことはわかるが、 反省ポイントがなくて途方にくれる。
 (不可抗力過ぎて)

 

・自分の関心のあることに注意が向くと、他の色んな事が一瞬にして頭からすっとぶことがある。 
(飛ぶかどうかは、事の大小や自分の有利不利とは関係がない)


・改めて振り返ると「なんでそれくらいのことがわからなかったんだろう」と自分でも思うことを、見落してたり気づかなかったりする。


・それで失敗したり人を怒らせたり傷つけてしまうことがある。

 

・でもどうすればいいかわからないし、それを伝えることができない

 

・だから自分を見張っている

 

 

 

いかがでしょうか?

 


「ナニコレ、私のこと知ってるの!?」「うわけっこう当てはまる・・」

となった方、あなたは後者です。

 

 


前者には全然理解できないし、バカにしてるわけじゃなく、

本気で「は( °д°)???」て感じですよね。

 

 

逆にこんな人を見たら、


どうしようもなくいい加減な人か、

いっそ悪意があるんじゃないか・・・

と思ってしまったり

 


あるいは身近な後者の方のこういう性質に、

同じように「なぜなんだろう」

 

と思ってるかもしれません。

 

 

 

 

でもそもそも、これは特別な少数派の話なのでしょうか?

 

 

 


違うのです。

 

これは世の中の半分の人間の話なのです。
 

 

 

 

え、そんなにいる?という話ですが

 

 

 

それは多くの後者が

 

「前者的な振るまい」「価値観」を教育され、

そのことにかなりの努力(無理)をしているからです。

 

そしてそのことに苦しんでいる、か人を苦しめている。

 

 

 

現在の日本は、

前者的(マルチタイプ・気が利く)な価値観が

優位ですし、有利なことが多い社会で、

 

多くの場合、それにみんなが合わせよう、

人を合わさせようとしています。

 

 

しかもこんな”気遣い”の物理的な制限がなくなってしまってる状態で

「もっと」「もっと」と誰も幸福にしない無理を重ねて

 

ぎりぎり何とか回っている人もいれば

(必死の形相してると思いますが)


ついていけない自分を責めて鬱になったり、

自分や他人をどんどん追いこんでしまってる。

 

 

 

でも、「後者」が何倍ものエネルギーを使って達成することを

「前者」は何の努力もなしに”普通”にできたりするんですよ真顔

 

 

 

そしてそれを

「努力」「要領」の差だと勘違いしている。

 

 

 

前者と後者では

脳の処理システムも、意識構造も、全てが全く違います。
 

 

どちらかが「ふつう」にやってることを

そうでない側が「ふつう」にやろうなんて、そもそも無理な話なのですぴよ

 

そもそも「できない」ことも沢山あります。

 

 

 


自分の世界が疑いようもないくらい当然過ぎて、
お互い「そうじゃない」人がこの世にいる可能性を考えたこともないのですが、

 

 

 

事実として、親、子供、兄弟、友人、上司、同僚、部下・・・
すぐ身近にいる“あのひと”

 

実は全然違う世界の中に生きていたりするのです。

 

 

 

 

 

じゃあ、何がどう違うのでしょうか。

 

 

これはどちらが良いも悪いもない、

違う軸を担っている2つの人種と世界の話です。

 

 


これを読んで信じられなかった方は、
ぜひ実際に周りに確認してみて(絶対どちらもいるので)

 

驚きの異文化交流をして頂けたら思います。

 

 

 

 

■視点の違い

 

 

上述した前者後者の特徴差、

更には後者の「あるある」は何故起きるのか・・・。

 

 

その最大の理由がこの、それぞれの“心理的視界の違い”です。

 

 

 

〇前者の視界


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〇後者の視界


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社会的な場面で起きるあれこれは

この違いがほぼほぼ原因と言ってもいいと思います。

 

 


見ての通りですが、

 

前者の視界は

他視点、複数視線で全方位>です。

 

簡単に言えばカメラ(アンテナ)がいっぱい。防犯カメラ防犯カメラ防犯カメラ
 

視点が散っていて、

周囲の関係性が線のように自動的に見えています。

死角が少なく、ただし情報はそこまで深く見ていません。

 

 

 

後者の視界は

自分を中心とした、一方向視線>です。

 

顔面にでかいサーチライトがついているようなイメージが近くサーチライトトーチ

 

全体モードにする機能はあるのですが、

すぐにビームやゾーンになったり

何かに集中しやすい傾向を持ってます。

 

 

 

衝撃ではありませんか?

 

 

 

自分ではない方の視点のあり方を

想像してみたこともありませんよね。

 

でも世の中はこの2つの人間で半々に分かれています。

(予想では日本は後者6~7割な気がしますが)


 

これが双方にとって

何の労力も要らないベース状態です。

 


これはあくまで初期状態なので
ここから矢印を動かせないわけではありませんが

 

初期状態から移動させると

前者も後者もエネルギーをかなり消費します。(´Д`;)

※負荷の度合いは人による

 

 

 

 

後者が人生できっとずっと問いかけてきた

”あるある”の原因はたった1点で、

 

 

われわれ後者には、自然体では

「他人の視点に立つ」という発想や習慣がないからなのです。

 

 

 

誤解しないように注意して頂きたいのですが

(だからこそ今まで誰も気づかなかったのですが)

 

「相手の気持ちがわかる」かどうかではない

客観視とも違います。
 

※客観視ができない・発想がない後者も沢山いる

 

 


後者がやっている客観視は

背景がない鏡のようなものです。

 

 

でも”他人の視点”というのは

 

自分とは違う人生を生きている、

人格と背景をもった相手の文脈と立場で自分を見る視点です。

 


自分が野球のキャッチャーなら

「ピッチャーから自分がどう見えてるか」。
 

ピッチャーの調子や顔色、

心情がわかるかどうかではありません。

 

 

 

後者は、相手の気持ちはよく考えたり観察してたりするのですが


「その自分の姿や行動や言葉が、(自分の背景や文脈を知らず、その言動そのものだけを見ることになる)相手の目から見てどう受け取られそうか」

 

 

ということを発想しないので、

悪気はないのに

 

相手から見た時に非常に無神経なことを

いきなりやってしまったりするのです。

 

 


そしてそう考えてみる発想を知らないので

「怒らせたことはわかるけど、なんで怒られてるかわからない」

というようなことにもよくなります。
 

 

 

 

これは、後者は本当に

気づいていない(発想がない)だけなので

ぜひ教えてあげて欲しいのです。

 


何に気を付けたらいいかわからないまま、

どうしてそんなことが起こるのかわからないまま、

 

 

世の中では多くの後者が右往左往したり、

「自分は人の気持ちがわからないのだろうか・・・」と

自分を疑い責めてたりします。

 

 

わかりさえすれば、対応することも開き直ることもできるのです。

 

 

 

あなたには「他人の立場で自分を見る」

という発想がないんだよ、
 

そして世の中には、当然のように

それをやってる人が半分くらいいるんだよと。

 

でも世の中の半分はあなたと同じ側だから

あなただけじゃないよと。

 

 

不向きなことをやり過ぎても死ぬけど
もしつまづいているなら、

そこにちょっと気を付けるだけで事故が減るよと。

 

それが得意な人に聞いて頼ってもいいんだよと。

 

 

 

 

また仕事の場面で言えば、

 

 

矢印を手動で動かしているので、

前者なら自然に抑えてる視点や矢印の方向に気づかなかったり、

 

遅いのでやってるうちに状況が変わってる、

抑える時間がないまま締め切りが来る、

焦って確認が雑になる・・・

 

そのためミスや見落としが起こるのです。

(パターンを覚えて慣れていけば勘どころがわかってくるので減っていきます)

 

 


※更に詳しく知りたい方はコチラの記事へどうぞ

⇒『前者と後者の決定的な違い

『何を受け取って何を受け取らないか』

⇒ 前者も参考になる?後者の客観視の話

「わたし頑張ってないんです」の正体 

⇒ 使えない高学歴

⇒ ふたつの「ひとの気持ち」

 

 

 

 

 

 

■意識の構造の違い

 

 

しかし、この視点の差はどこからきてるのでしょうか。

 

 

実は、前者と後者では

もっと根本的に「意識の構造」が違うのです。

 

 

先ほどの視点の図を3次元的に横から見ると、

実はこんな構造になっています。

 

 

 

 

 

 

まず、前者さんには衝撃の事実ですが

 

そもそも後者は、

みんなが交流し合っているこの社会平面上に住んでいません。

 


後者の意識は「ここ」以外のどこかにある、

「自分の世界」に“ひっこんでる”のが基本状態です。
(深度と意識の大きさは人による)

 

 

社会平面には意識を“オン”にして一時的に出てきていますので、
用が済めばひっこみますし、

気をぬくとそっちへ戻っていってしまいます。

 

IMG_20160517_184721091.jpg

 

 

後者は全員これがわかります。
(表現は色々・・飛ぶ、切れる、真っ白など/あまりに当たり前すぎてピンとこない人すらいるかもです)

 


自分の世界にいて(社会面との接続が切れて)、

ぼーっとしたり何か考えたり没頭しているのが基本です。
 

 

地上に長くい過ぎたり、

地上であんまり複雑なことをやり過ぎるとエネルギーがすぐ切れます。


ペースに波やむらがあります。

 

 

 

 


逆に後者には「そんな人この世に存在するの!?」

というくらい驚きの話ですが、

 

前者は、意識がひっこむことがありません。

 

 

前者は“ひっこむ”と言われても

何のことを言っているか全然わかりません。

 

 

意識がずっと“オン”なのです。

 

 

周囲の情報が自動的に入ってくるので、

シャットアウトできずに苦労してる方も多いです。

 

自分の世界を確保するには、

物理的に一人になるしかありません。

(あるいは、それぞれに編み出した工夫をしています)

 

 

常に地上にいて、

意識的に休む時以外常に動いており

一定ペースで淡々と色んな事をこなしていきます。

 

 

 

 

そのことから、「視点」だけではない

いくつかの基本的な大きな前提差があります。

 

 

 

①「私」のカタチの違い

 

 

 

後者には確固とした「自分」というものがあります。

 

後者は「自分」というただ1つの意識でもって

世界の全てに対していますし、
 

人は全員が”そう”だと思っています。

 

 

前者がうらやむ「強さ」であると同時に、

常に「自分」に引っ張られ囚われているともいえます。
(意識の基本深度が深過ぎて、なかなか地上に出られないのが自閉症の人達と言えるかもしれません)

 

 

深くて(地上的には)狭い、

その代り強さや瞬発力・爆発力があります。

 

 

 

 

一方、前者には後者のような「自分」はありません。

 


前者にとっての自分は、関係性の中にあるものです。

 

前者さんの「私」という意識は、

平面的に散ったカタチをしているのです。

 

 

 

「私」は、私にとっての中心ではありますが、

「みんな(世界)の中の私」です。

 

「自分」が軽いのでフットワークも軽く

場の空気に合わせたり調和を取るのが得意です。
 

 

その代わり、

みんなの和や場の流れを優先するあまり

 

「自分」を見失いやすく

他人に振られやすい傾向を持っています。

(自分も他人も「みんなの中の私」なので、全体で良くなることが全員の幸福のためだと感じてるからというのがベースにある)

 

 

後者が「察する」を頑張るのと同じくらい

自分を主張するのも

自分に意識を向けるのも苦手です。

 

 

浅くて広い、そして速くて軽いのが特徴です。

 

 

 

 

 

② 翻訳・変換の苦労


 

後者は「自分の世界」と「社会平面」の

2つの世界を行き来して生きています。
(前者には後者の世界は、経験したことがないので想像もつきません)

 

 

ゆえに後者は

 

自分の世界、自分の思考システムを

社会システムや言語に

変換する、接続する、という作業を毎回しなくてはなりません。

 

 

 

世の中で起きる後者のつまずきは、
基本的にこの縦軸から平面軸への接続や変換が

上手くいかなくて起こっているものといえます。

 

 

IMG_20170109_223118157.jpg

 


前者も後者もお互いに

「わからない」「なんで?」が起こってるのはこの部分なのです。

 

 

それが後者の世界側にあるので、

後者は自分に起こってることが知りたいし
前者は後者に何が起こっているのか知りたい。

 

 

そして後者は伝えられなくてもがくし、

前者は理解できなくて苦しんだりします。

 

本当はその先にお互いの固有の世界があるのですが、
ここを超えられなくてそこまで届かないのです。

 

 

 

 

 

③ 発想基盤の違い

 

 

平面軸から見た物の見方と、
縦軸から見た物の見方は当然噛み合いません。

 

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前者は「ふつうは」「みんなにとって」「一般的に」

後者は「私は」「個人にとって」「普遍的に」というのが

 

全ての発想や思考の出発点です。

 

 

どちらが正しいも間違っているもなく

どっちの軸から見た話なのか、ということだったりもするのですが

 

 

お互いすれ違ったまま意見をぶつけ合って

「わかってくれない」「わかってない」となりがちです。

 

 

ただし、人が交流するのは平面軸なので、
自分の世界の話を翻訳する負荷は、

 

基本的に後者の側が負っていると言えます。
(英語圏に住む日本人のように)

 

 


※更に詳しく知りたい方はコチラの記事へどうぞ

⇒「自分」が違う

⇒ 前者と後者の違いまとめ
⇒ 前者と後者の”わかる”の違い

⇒ 後者の言語化

⇒ 前者の漫画と後者の漫画

 

 

 

 

 

花

 

以上が、前者と後者の基本構造の仕組みです。

 

ここから、様々な行動様式や、世界観、基本発想が

前者と後者で面白いくらい真っ二つに分かれるのですが

 

 

それについては次の記事でまとめています。

 

【保存版2】前者後者って?(機能編)

【保存版3】前者後者って?(世界観・コミュニケーション編)

 

 

 

※補足

 

前者でも非常に追い詰められた経験をした時に、

この平面を割って下に潜れるようになったことがある人がたまにいらっしゃるようです。

 

あるいは瞑想などの特殊状態で入りこめる人もいるようです。

 

 

 

前者でも意識の散り方や、矢印の密度は人によりますし、

後者も意識の強さや深度は人によります。

 

後者でも意識の基本深度が浅い人は、

地上に出たり、地上で動いたりするのにあまり苦労がない人もいるかもです。

 

そういう意味では中間的な前者さん、後者さんもいるかもしれません。

 

 

ただ前者か後者かは

意識の「基本ポジション」がどっちなのか

という話ですので、どちらかに分かれることには変わりません。

(その世界に入れることと、そこに住んでることは違います)


 

※こちらもご参考にどうぞ

⇒ 主観/客観/他人視点の違い & 境界にいる方々へ

⇒ 前者後者を敢えてさらに分類するなら(内向/外向)

 

 

 

とはいえこの話は、分けること自体が目的なのではなく

 

各々が「本来の自分らしさ」に気づき

それを素直に受け入れ許していくこと、

 

できれば、相手の相手らしさも理解し受け入れて、

自分の世界を広げ豊かにしていけるようになる、

 

そのための大きな手助けになるツールだと思って頂ければ幸いです。

 

 

 

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