*問題は、「200字論述新研究26(問題11・12)」で確認してください。
問題12 解説➊
■中国分割と青島における都市建設■
19世紀末にあたる日清戦争(1894~1895)後、清国では中国分割が進行した。
まず、1898年に発生したドイツ人宣教師殺害事件を口実にドイツが山東半島の膠州湾を租借地(国家が条約などによって他国に貸した領土の一部)にする措置を明確にした。
これに刺激されて、同年にロシアが遼東半島の旅順・大連を、イギリスもロシアとの勢力均衡を理由に威海衛と九竜半島を、翌年にはフランスが広州湾をそれぞれ租借することになった。
日清戦争で弱体ぶりをさらけだした清国内に、列国の勢力範囲が設定されていったのである。
一方、中国分割に直接参加しなかったアメリカは、1899年に国務長官ジョン=ヘイによって中国の門戸開放・機会均等が宣言され、列国の勢力範囲内での通商の自由を要求する方針を明示していくことになる。
【中国分割】
さて、こうした経緯を経てドイツの影響力が強まっていった山東半島は、石炭などの鉱物資源が豊富な地域だった。
また、その南海岸に位置した膠州湾は湾口が狭くて入り江が深く、しかも湾内が大きく広がっていた。
ドイツは、軍港・給炭港として良質な条件に恵まれていた膠州湾をドイツ東洋艦隊の根拠地にすると同時に、租借した膠州湾一帯(膠州湾を含む青島)の山や丘に砲台を築き、同地域を軍事要塞化していった。
また、道路・水道・街灯・ダムの整備など都市としての機能の充実にともなって、青島にはドイツ系の企業の進出も相次いだ。
もっとも成功した企業として、20世紀初頭に設立され、青島ビールを製造したアングロ・ゲルマン・ビール会社が知られている。
【辛亥革命】
20世紀初頭に発生した日露戦争(1904~1905)を優位に終えたことによって、日本は、列国の一員としての国際的地位を確保することになった。
日本はイギリス・ロシアとの提携関係を深め、外交面で、かなり安定した状態を築くことに成功するが、それは一方で、中国問題などをめぐるアメリカとの緊張を高める結果をもたらした。
こうした国際環境のなかで、中国では、1911年に中国同盟会(のち中国国民党)を指導する孫文を中心とする革命が進展していった(辛亥革命)。
1912年には、中華民国が成立して清朝(1644~1912)は滅亡したが、まもなく孫文は退けられて日本への亡命を余儀なくされ、袁世凱(清国の軍人)が実権を握った。
以後、中国は各地に軍閥が割拠する状態に突入していった。
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