関東地方 はかなり涼しくなったということですが
こちら関西はまだまだ猛暑が続いています。
そこで、今回はあっさりした(?)日本の絵画を取り上げてみました。
実際のモデルを無視して最愛の愛人の面影を描いた
竹久夢二の「黒船屋」
「黒船屋」
1919年・竹久夢二伊香保記念館(群馬県)
ご存知 大正ロマンの旗手、竹久夢二くんの最高傑作と
いわれる「黒船屋」です。
この作品のモデルは誰か?を考察する前に
夢二くんの女性関係についてご説明しなければなりません。
(陰の声:ウワッ\(゜□゜)/暑さもぶり返すドロドロ話になりそうだね)
そのとおりです。・・・キッパリ(^ε^)♪
人気画家であった夢二くんは大勢の女と浮名を流しましたが
そこを絞ると次の3人の女性が彼の人生に大きな影響を与えています。
では、最初の方からどうぞ(^O^)/
他万喜(たまき)
二児の子供を持つ未亡人。自立のために開店した
絵はがき店に夢二くんが客と称して毎日店に通い詰め
2ヶ月後には居座っていた・・・
しかし、戸籍上唯一妻になった女性でもあります。
はい、二人のお方どうぞ・・・(^ε^)♪
彦乃(ひこの)
日本橋の紙問屋の娘として裕福に育ち、女子美術学校の
学生であったが、夢二くんにナンパされて京都→九州と
追っかけたが結核を患い若くして天国に逝かれました(>_<)
夢二が一番愛した女性と伝わっています。
さて、3番目の美人さんです・・・
お葉(およう)
東京美術学校のモデルとして人気があり、藤島武二、
伊藤晴雨らのモデルもつとめました。ホテルに逗留していた
夢二くんのモデルをするうちにできちゃった秋田美人ちゃんです。
(陰の声:しかし、みんな大正美人さんですね(^O^)/
夢二くんはこんな中年親父なのに・・・)↓
竹久 夢二(たけひさ ゆめじ)
1884年岡山県生まれ、始め詩人をめざしたが詩人では
食えないことに気づき、挿絵画家となり一躍大人気!
装丁やデザインにも活躍した。
(陰の声:才能のある人間はもてるオーラがあるんだろうね?
どうりでごっこスーラには誰もよってこないね(゚_゚i)クスン…
さて、そろそろモデルの謎解きを始めましょう。
まず、最初のしっかり者未亡人「たまき」さんは
やはり店の客だった東郷青児との関係を夢二くんに疑われて
以外と嫉妬ぶかい夢二くんと1915年に刃傷沙汰をおこし離婚(><;)
本命(?)の「彦乃」ちゃんは夢二くんと引き離され父の手によって
東京に連れ戻され入院しましたが結核が悪化し、療養のかいもなく
わずか25歳で1920年天国へ・・・(T_T)
最後の「お葉」サンは彦乃と引き裂かれて消沈していた夢二を心配した
友人が1919年に紹介したモデルさんなのです。
そして「黒船屋」は1919年に描かれました。
はい、もうおわかりですね、1919年現在では「たまき」さんとは離婚済、
「彦乃」ちゃんは引き裂かれている上、入院中。
残るは「お葉」サンだけです。
しかし、この「黒船屋」のモデルはちっとも「お葉」サンに似ていません。
むしろ雰囲気は「彦乃」ちゃんにそっくりなのです。
「彦乃」ちゃん
そして、「黒船屋」の画中でモデルに抱かれる黒猫は
夢二くんだと言われています。
この「黒船屋」は彦乃ちゃんへの鎮魂の作品だったのかもですね(゚_゚i)
最後の女お葉サンは、その後に夢二くんと同棲をしていましたが
いつまでも彦乃ちゃんにこだわる夢二くんと別れ、後、医師と結婚し
主婦として穏やかな生涯を過ごしたそうです。
(陰の声;よかった〜♪一人くらい幸せにならないとね(^_^)v
夢二くんといえば、「女を愛することを知らない、女に溺れるだけ」
という訳のわからない言葉を残して、49歳で天国へ・・・
奇しくも彦乃ちゃんと同じ病気でした。
<この人誰?竹久夢二の描いた「黒船屋」・了>
スーラ・ウタガワの
私撰:関西名所図絵・美術館のご案内
このブログの各ページで個別に発表した、スーラ・ウタガワ作品の
名所絵を場所別に集め「美術館」と称して再度アップロードしています。
第1室:大阪南部の名所図絵 開室中
第2室:大阪北部の名所図絵 開室中
第3室:大阪湾岸部の名所図絵 開室中
第4室:神戸地区の名所図絵 開室中
第5室:京都地区の名所図絵 開室中
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以上、ご案内申し上げます。 館長:スーラ・ウタガワ