『ハム・ソーセージ図鑑』(財団法人 伊藤記念財団)から


(1)ヨーロッパの基礎的要因

 A.ヨーロッパを起源とする作物は「エンドウ豆,ソラ豆」程度しかない。食用作物となる植物資源に恵まれなかったこともあって、ヨーロッパでは人類最初の文明は誕生できなかった
 B.ヨーロッパは「夏は乾燥し雨に乏しく、比較的気温が高くても雨が少ない」ので、植物はそれほど育たない。一方で、寒い冬には冷たい雨が降る。このため「今でも牧場・牧草地としてしか利用できない農地が40~80%を占める」「同じ麦畑で毎年麦を連作できない」
 ★連作障害を防ぎながら生産を最大化するために「三圃制農法」が行われた。それでも農業生産性は、現在よりもはるかに低い(=ヨーロッパは元々農業に適していないのだ)
 ⇒そうした中世ヨーロッパでは、とてもパンは主食になりえない!
 C.反対に「元々穀物栽培に不適な地域」だからこそ、食肉を食べる食文化が成立する。そこでは、人間が食べることのできない自然の草類を、反芻家畜(例:牛・羊・山羊)に食べさせて飼育し、人間はその畜産物を食用とすることができた
 D.一般に「畜産物を多く食べる食文化は、豊かで生活水準が高い」と考えられがち。しかしヨーロッパでは、上記の「直接食べられる植物が少ないのでそれを補う」という理由だけでなく、その食用作物を少しでも多く生産するために「貴重な肥料=糞尿を生産してくれる家畜が必要だった」という事情があった


(2)乳製品が必要な事情

 A.ヨーロッパの気候を大きく分けると「地中海沿岸は乾燥気候であり、冬に雨が降るものの雨量は少ない」「アルプスを越えれば乾燥は和らぐものの温度は低くなる」「イギリス・デンマークにもなればさらに寒さは厳しくなる」。このために家畜の飼料となる草も、北に行くほど生産力は低くなる
 B.1頭の家畜を屠畜して食肉を得たならば、これを補充するために子畜を育てるのに「多くの時間・経費・飼料」が必要となる(もちろん子畜を生産するための繁殖用家畜も確保しなければならない)
 C.暖かければ草の成長も早く、飼料を確保しやすいし、繁殖用家畜を飼う余裕もできる。しかし気候が厳しければその余裕は少なくなる
 ⇒家畜の命を奪うことなくそこから食料を得ようとするならば、肉ではなく乳を利用することになる。このためヨーロッパでは、北に行くほど乳製品が多くなる


(3)豚を食べる

 A.アルプス以北のヨーロッパでは、かつては広大な森林に覆われていて、人々が切り開いて農地としてもその周囲には依然として森林が広がっていた。しかもその森を形成するのは広葉樹で、楢・樫のように秋になると多くの実(ドングリ)を付けた。そして木の実を有効に使える家畜は豚であった
 B.そこで「森の中で春から初秋にかけて、豊富な実を豚に食べさせる」「あとは収穫残渣や、収穫物の中でも品質の悪い部分を飼料に振り向けた程度」により、豚を育てた。さらに秋の深まった頃に木の実をたっぷりと食べて太らせた
 C.実は豚には、家畜としては重大な欠点=「反芻動物ではないので草類で飼育できない。周辺の樫・ブナの森林に放牧しておけばドングリで自然に成長出来るが、冬場は餌が不足するので、どうしても冬を越すことができない」があった。そこで晩秋から冬にかけて(繁殖用の豚を除けば)、全て屠畜して保存しなければならなかった
 D.一方で豚には「1回に1頭しか出産しない牛・羊と違って多産(1度に10頭くらい)」という利点がある。加えて、牛は「草だけで飼育すると食べ頃になるのに5~6年かかる」が、豚は(上記のように)「生後6~10カ月で食べ頃になる」という飼育のしやすさがある
 E.畜産物を単に食べるだけでなく「乾燥,塩漬け,薫製すること」によって長期保存が可能となるが、これはかなり昔から発見されていた。こうした技術によって「1年を通じて食肉が供給できる」「この技術が発展して、やがてハム・ベーコン・ソーセージ作りへと繋がる」ようになった


(4)古代から中世へ

【ハム・ソーセージの歴史】
 A.古代ローマには既に食肉店があり、ハム・ソーセージを販売していた。一般的に多くの種類のソーセージが、カエサルの時代で幅広い階層のローマ人・ギリシア人に人気があった。ローマ人は「新鮮な豚肉,白い松の実,クミンシード,ベイリーフ,黒コショウ」から作ったソーセージを特に好んでいた
 B.このソーセージがとても広まり、ルーペルカリア祭・フロラリア祭と儀式的な関係を持つようになったので、初期のキリスト教会から非難された。このため、キリスト教を公認したコンスタンティヌス1世はソーセージを食べることを禁じた(ただし後の時代に人々の抵抗&密売のために廃止された)
 C.古代ローマ帝国滅亡後、ハム・ソーセージ作りの技術はヨーロッパ各地に伝わった(例:11世紀頃には作っていたドイツ人,種類・範囲を発展させたフランス人)。そこに十字軍遠征によってスパイスが持ち込まれたことの意義は大きかった
 ⇒それまで人々は「味も素っ気もない肉を大喰いすることが唯一のご馳走」と考えていたのだが、そこに調味料としてスパイスを用いたことによって、ハム・ソーセージの味覚は一変した
 D.豚は村落の主な収入源の1つとなり、加工・保存技術はますます発展していく(中世盛期)。ソーセージはルネッサンスの頃には今日の原型が出来上がり、発祥地にちなんだ製品が次々と誕生した

【ベーコンの歴史】
 E.ベーコンの起源は(一説によると)、ヴァイキングが活動していたデンマークで「長い航海用の食料として豚の塩漬け肉が用いられていた」ことにあるという。塩漬け肉は船上では調理しづらいので、火で炙って貯蔵されるようになった。ところがある時「薪が湿っていてよく燃えないまま炙られた」塩漬け肉が「程良く煙で燻されて良い味がする,以前より長く保存できる」ことが分かって
 ⇒この塩漬け豚肉を煙で燻したのが、今日のベーコンの原型という
 F.デンマークでは「豚の頭・足・内臓を除いて縦割りにした半丸枝肉を塩漬け燻煙した」。これが北欧各地に伝わり様々な型のものへと発展したのだが、中世の間はこの製品に特定の名称はなく、単に“豚肉の薫製品”とされていた
 ★ベーコンの名称がフランシス・ベーコンに由来する、という説も確定ではないようだ
 G.イソップ寓話『都会のネズミと田舎のネズミ』の中には「恐怖を感じている時のケーキとエールよりも、平和な時の豆とベーコンの方が良い」とある。中世ヨーロッパでは“貧しい人の肉”であった。フランソワ・ラブレーは「逃げさせろ、そしてベーコンを蓄えよ」というフレーズを作品中で使った(1540年)
 H.イングランド北部のダンモウ修道院では、修道士が「教会のドアの前で跪く人」「“1年と1日の間、決して家庭で口論はしないし『独身だったら』と願ったりもしない”と誓う人」には誰にでも、塩漬けにした豚の脇腹肉(ベーコン)を与えていたという