流動的な毎日に、淡々と毎日をこなす毎日に、みんな何かを忘れてる。


 決まった時間に出社して働く、上からの命令に従う・・・  

 決まったお金をもらい、決まった給料をもらう・・・ 

決まりきった日々に、みんなあることを忘れてる・・・


 人は、物じゃないということを・・・

 仕事でそれなりの成果をあげたのに、評価されない。

 当たり前のように残業をし、会社のためと押し付けられる・・・

 これが当たり前なのかという風潮がらいつしか私たちに、私たちが考えることのできる「人」であることを忘れさせてしまっているのだ。

人は決して、将棋やチェスの駒のように、動かされるべきではない。

そこに人間味がない限り、人を物としか考えてないと思う。


やって当たり前の風潮は、正にそれを表している。


よくやってくれた・・・君がいなければ・・・いつもすまない・・・

そんな「人」だからこそ言える一言が、私たちが物ではなく、人であるという自覚を与えてくれるのです。

 チャップリンの独裁者でも、彼は同じことを呟いた。


我々は、機械ではないと・・・

 ドイツの政治学者、ハンナ・アーレントは自らの政治思想の研究でこう主張した・・・

人は、思考する動物だと・・・

 人は物ではなく、自ら考え、生き、幸せを追求することが許されているのです。
 
 人間には感情があります。感情が、何かを成し遂げる原動力となるのです。


 それをいいことに、一部の人は人を物のように扱ってしまうのです。

 物のように扱われている人はまず、自らが物ではなく、「人」であることを思い出しましょう。

 世の中に流されれば流されるほど、あなたの幸せは遠のいていきます。

 機械のような毎日は、あなたから考える力を奪います。

 考えなくなればあなたは物です。そうなると、人生に本来の幸せは何かを考えれなくなります。

 一度、立ち止まって考えて見てください。

 幸せって何だっけ?
 自分は人間なんだって・・・

 ナポレオン・ヒルの「悪魔をだしぬけ」の中で、彼は悪魔が人を地獄に落とすための方法を述べています。 

 それは、人から、思考することをやめさせて、周りに流されるようにすることです。

 だからこそいいたい。自ら考え、行動してほしいと。

 あなたは考えることが許され、幸せを追求し、好きな人と一緒にすごし、あなたらしく生きていけることが許されたなのです。

 考えるのです。疑問に思うのです。そして、行動に移すのです。
 
 決意するのです。

 立ち上がるのです。

毎朝毎晩、自らがであると自覚するのです。


 人を物のように扱ってしまっている人は、歴史に学ぶべきです。

 小田原北条氏の初代、北条早雲は情に熱い男でした。 
 米が少なければ小さくおにぎりを作ってみんなに行き届くように、酒が少なければ水で薄めてみんなが飲めるように・・・
 
 甲府の武田信玄は手柄を挙げた人に対して即座に金を渡したと言われています。


 彼らは人を人として見ていたのです。

 それ故、彼らの時代の彼らの国は非常に豊かでみんな幸せをかみしていました。
 そして、みんなこの豊かさを守ろう。みんなで守っていこう!
 と士気も相当高かったことでしょう。

 たった一言で良いのです

いつもすまない・・・

君のおかげで・・・

 何ならアイスでもコーヒーでも缶ビールでも差し入れて・・・

 お疲れさま。あしたもよろしくね。

 とか良いながら、差し入れしても良いかもしれませんね。

 人を人と扱う瞬間に、組織は本来の姿に戻るのだと思います。
 皆が考え、皆で土台を固めて強固にしていくのです。

 物のように扱われている人は、まず、自らが「人」であるという自覚を・・・

 物のように扱ってしまっている人は、相手を考える権利のある「人」として接する努力をしましょう。

 それこそが、この世の中で、幸せに生きていくために、必要なことなのです。


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