己こそ己の寄るべ己を置きて誰に寄るべぞ | 自律神経ケア専門療法士

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ストレスにうまく付き合いながら、人生を楽しんで行く自分作りのブログ

お釈迦様の言葉です。


心に響きますね。


『己こそ己の寄るべ己を置きて誰に寄るべぞ。
よく整えし己こそまこと得難き寄るべなり。
自ら悪をなさば自ら汚れ自ら悪をなさざれば
自らが清し。
清きも清からざるも自らのことなり。
他のものに寄りて清むることを得ず。』


内容は、



聖句第一

「己れこそ、己れの寄るべ、己れを措きて誰に寄る辺ぞ、よく鍛えし己れこそ、まこと得がたき夜べなり」

(自分自身こそ自分のよりどころである。自分以外に一体誰に頼れるものがあろうか。よく調整された訓練された自分自身こそが、本当に得がたいよりどころなのである)

 釈尊から弟子への阿難の教え
これは、根本仏教の経典である「法句経」からの引用です。
釈尊の多くの弟子の中に阿難という人がいました。釈尊がクシナガラで没くなられる直前、嘆き悲しむ阿難に向かって、釈尊は、
「私はもうすぐ死ぬが、阿難よ、嘆き悲しんではいけない。私は法をすべて裏表の区別のなくそっくり教えてきた。私の教えに秘密はない。お前たちは自分自身を寄りどころとし、法(ダーマ)をよりどころとしなさい。その他のものを燈火としてはならない。そして、怠らず、たえず努めなさい」
と教えさとされました。
聖句第一は、このときの言葉であると伝えられています。

 人はとかく自分以外のものに頼りがちである
とかく人は自分以外のものに頼りやすいものです。万事が順調に行っているときはそれほどでもないのですが、病気になったり、仕事がうまく行かなかったりすると、安易に人に助けを求めたり、「苦しいときの神だのみ」というわけで、すぐに迷信に走ったりすることが多いようです。「寄るべ」「燈火」を自分以外のものに求め、他のものによりかかっていきたいという気持ちは、人間の自然の感情でしょう。
人間が共同生活を営む社会的存在である以上、人間同志がいたわりあい、助け合うのはごく自然なことです。一人では寂しい、不安でたまらない。親を、子を、兄弟を、夫や妻を、友人を、先生を、あるいは財産や地位をつい頼ってしまうものなのです。
そうした自然な人情を承知の上で、釈尊があえて、
「己こそ、己の寄るべ、己をおき誰に寄るべぞ」
と強く言い切られたのは、他を頼ることにを知って、己を頼ることを忘れた生き方が多すぎるからでした。


自分が原点んんだと教えられてる言葉です。初めに自分ありきですね。