権利?んな馬鹿な | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

以前のブログ2013.01.30『哲学考 1 』で江戸末期に西周(にしあまね)という輩がフィロソフィー(ギリシャ語のphilos(愛) + sophia(知恵))に「哲学」というとんでもない訳語を付けてしまったために、この学問が日本では滅茶苦茶にされてしまい、若者たちを苦しめていることを述べました。この訳語を案出したのが西周と知った時、こいつは無能な奴だと直感したのですが、最近その直感を裏付けるもう一つの例を知ったので、それに触れてみます。

texas-no-kumagusuのブログ-西周

偶々、例の戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長の話をYouTubeで聞いていたら、福沢諭吉が

「権利という言葉はオランダ語のrecht(英語のright)の訳語とされているが
、これは誤訳である。これは通義(義に通じる)と訳すべきであり、これを権利と訳すと必ず後世に禍根を残すことになるだろう。」

と言っていたことを紹介していました。確かに、
recht(=right)には正義という意味がありますが「権利」という言葉にはどこにも正義という意味が含まれていません。事実、利権と引っくり返すと、とんでもない意味になる。「利」にも「権」にも正義と言う意味は含まれていないのです。で、この権利」という訳語を案出したのが、またまた西周だったとは、何ともはや

そう言えば、オランダ語のverplichting(英語のduty)は「強制」「服務」「職務」などの訳が正しく、どこにも「正義」と言う意味が含まれていませんので、「義務」と訳すのも見当違いな誤訳ですね。これも
西周の訳だ。

福沢諭吉
の予言は見事に当ってしまい、現今は、あっちでもこっちでも権利、権利と、世の中どうかなってしまっていますね。この間も、東電の西沢俊夫社長が、電気代の値上げは電気事業法に基づく事業者の権利である旨の発言をして顰蹙を買っていました。rechtの訳語の中に正義に通じる言葉が表現されていたら、よもや、あっちでも「正義」こっちでも「正義」とまくしたてて我を通したり、利権を漁るわけには行かなかったでしょうに。まさか、電気代の値上げは電気事業法に基づく事業者の正義であるなんて言うわけにはいかなかったでしょうから。

なんでこんな輩が、切手にまでなってしまったのでしょうか。


でも、もしかしたら西周が無能だったのではないかもしれない。人間誰でも完全じゃない。誰でも、どこかで必ず間違いや拙いことをやる。だから
拙劣な訳をしたことで批難されるのは筋違いだ。これが拙いと思ったら、あとの人たちがそれをもっと適切な訳に直せば良い。ところが、偉い先生だと言うことで、それを金科玉条に継承して行ってしまう連中が本当は無能なんですね。帝国大学の教授だか何だか知らないが、そんな無能集団が「哲学」だ「権利」だ「義務」だの拙劣な訳を継承したのが、一番の罪なんじゃないかしら

話が一寸それますが、こんな馬鹿げた流れの一つに、生物学で学名を付けた場合の間違いについてこんな例があります


日本の野鳥に、コマドリとアカヒゲという鳥がおります。写真左がコマドリ、右がアカヒゲです



     Erithacus akahige        Erithacus komadori

写真の下に学名を書いておきました。

あれ?コマドリがアカヒゲで、アカヒゲがコマドリになっている。これは、明治時代に日本にやって来た外国人が間違えて、名前を反対に付けてしまったからなのです。でも、私が感心してしまうのは、その間違いに気付いた後になっても、生物学者は一向にその間違いを訂正しようとしないことです。どんな理屈を付けようとも、これほど馬鹿げた話はありません。何とか大学の教授だかどうか知らないけど、こんな連中が大手を振っているのが、悲しいかな学者の世界でもあるんですね


    子曰く、過ちて改めざる是を過ちと謂う  (子曰、過而不改、是謂過矣)