「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れている」に関する公的資料 | 下関在住の素人バイオリン弾きのブログ

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関東大震災後、「朝鮮人が犯罪を行なっているというデマが拡がり、多数の朝鮮人が虐殺された」、そう日本人は教えられて来た。

 

その「デマ」の中で有名なのが「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れている」というものだ。

 

これに関する公的資料が、アジア歴史資料センターでついに公開された。ネットで誰でも見る事ができる。

 

まず、アジア歴史資料館のホームページにアクセスする。

https://www.jacar.go.jp/

 

トップページの検索窓に「C08051013900」と入力して検索して出て来た資料の中にある。

 

ぜひ、ご自身で検索して、確かめていただきたい。

 

その資料の21コマ目の画面の、こちらからみて、左側の欄だ。上から6つ欄があるので、順次①~⑥の番号を付する。

 

(文字起こし開始)

①9月3日午前9時頃

②本所区菊川町十字路付近

③自称(黒塗り)

④毒殺予備

⑤毒薬投入の目的を有したりと認むべき日本衣を着せる一鮮人、毒薬亜砒酸7、8匁を懐中し、本所区徳右衛門町菊川町方面焼け跡残留者が唯一の飲料水供給所として貴重せる菊川町の水道消火栓付近を彷徨中取り押さえらる。該鮮人は、用向き及び行先等を秘し、殊に亜砒酸を食塩なりと強弁したるため、群集より強いて亜砒酸を嚥下せしめられ、たちまち悶死す

⑥犯人死亡

(文字起こしはこれまで)

 

(現代語訳開始)(⑤のみ)

毒薬を投入する目的を有していたと認められる日本の衣服を着た一人の朝鮮人が、毒薬である亜砒酸7、8匁を懐に入れて、本所区徳右衛門町菊川町方面の焼け跡に残留していた被災者にとって唯一の飲料水の供給所として貴重なものだった菊川町の水道消火栓の近くをうろついていたところを取り押さえられた。その朝鮮人は、用向きと行先などを秘し、とりわけ亜砒酸を食塩であると強弁したため、群集によって強いて亜砒酸を飲みこまされたところ、即時に悶え死んだ。

(現代語訳はここまで)

 

この資料は、9月3日に放映されたNHKのETV特集「関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起こったのか」で、一次資料として取り上げられた「震災後における刑事事犯及びこれに関連する事項調査書」の一部である。

 

表紙は、上記と同様、検索窓に「C08051013700」と入力して出てくる資料の45コマ目である。

 

この表紙からずっと続いて行って、今日とりあげた部分が出てくるので、この資料の一部であることが分かる。

 

さて、今日とりあげた部分に話を戻すと・・・。

 

亜砒酸(あひさん)とあるのは、ヒ素である。

 

こんなものを震災2日後に持っている必要はない。

 

やはり飲料水に使用している水源に投入する目的以外にはないであろう。

 

「水道消火栓」の形状は、どういうものか分からない。井戸とは形状が違う可能性もある。

 

が、水源であるという意味で、井戸の一種とみてよいだろう。

 

ということは、この資料から判断すると、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れている」という情報はデマではなかったと思われる。

 

この朝鮮人が、毒を投げ入れようとしたのが、この時が一件目だったと言えるだろうか。

 

たまたま1件目だったなら、この朝鮮人は、結局毒を投げ入れることはできなかったわけだ。

 

しかし、他にも投げ入れてきて、たまたまここでつかまってしまった可能性も充分考えられる。

 

7、8匁とある。1匁は3.75グラムだそうだ。とすると、26.25~30グラム持っていたことになる。

 

分量としてはあまり多くないと感じる。他の所で使って、減っていた可能性もあると感じるがどうだろうか。

 

7、8匁という量は、井戸等の水源に投入して人を殺傷するには、やや少ないと感じるが、水をくみ上げる木桶の底に塗っておけば、相当殺傷できるとも思える。

 

和歌山の毒カレー事件のときも、最初はヒ素だと分からなかった。

 

大正時代の、しかも震災後の混乱時である。

 

水を飲んで様子がおかしくなって死んでも、それだけで「毒殺だ」と気づかれたケースは少ないだろう。水に当たったのだと思われて、記録に残らなかったかもしれない。

 

この資料によると、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れている」という情報は、防犯上各地の住民に周知が必要な情報だということになりそうだ。

 

これに対して、この資料の内容がでっち上げであるという主張もあるだろう。

 

もしそういう内容の資料が、公的資料を含め、あるならば、ぜひアジア歴史資料センターで公開してほしいと思う。

 

日本人に不利な資料でもいいから、とにかく公開してほしいと思う。

 

そういうものが出てこない限りは、「関東大震災後の朝鮮人の犯罪に関する情報がデマだった」ということは事実ではないことになる。

 

ちなみに、同じ21コマ目の一番右の欄は、朝鮮人が日本人を射殺して逃亡した案件だ。

 

右から2番目の欄は、日本の軍人に爆弾を投げつけようとして射殺された案件だ。

 

その次は、朝鮮人が「海嘯、海嘯」とデマを連呼した案件だ。海嘯(かいしょう)というのは、津波のことだ。

 

そして、その次がこの記事で紹介した案件となっている。

 

(以下、追記)

 

もう少し、内容を見て行こう。

 

ヒ素の事件が出ていた資料の18コマ目を見てほしい。

 

上記と同じように6段あるのに①~⑥と番号を付して文字起こしする。

 

(文字起こし開始)

①9月2日午後10時過ぎ

②南葛飾郡本田町四ツ木荒川放水路堤上

③氏名不詳鮮人4名

④強姦殺人

⑤四ツ木土堤において避難中の年齢16、7歳氏名不詳の娘を、鮮人四名にて輪姦したる上殺害し死体を荒川に投棄逃走す

⑥同上

(文字起こし終わり)

 

⑥に「同上」とあるのは、「犯人不明」という意味である。