★関東地方 神奈川県のパワースポット★

~過去のブログと統合しています~

 

 


つづいては~

私が大好きな神社。宇宙人キラキラ

 

都心からも近い場所にあります

師岡熊野神社 へいきましょっ。

 

 

 

ご祭神

伊邪那美尊、事解之男命、速玉之男命

 

住所

神奈川県横浜市港北区師岡町1137
 

行き方

東急東横線大倉山駅→徒歩8分

 

地図はこちら


 

 

大倉山駅から商店街をぬけて

 

神社に近づくと、

少し自然が増えてきた・・・?!ルンルン

わぁあぁあぁ~っきらきら

 

ここっ、ここっ!!

 

空気が変わるよ~。しあわせぇ~

 

 
 
いの池
 
池の中央に水神社が祀られており、例年8月水神祭が行われている。
また毎年正月に苗代田の祭りである水口祭が行われるなど、いの池と熊野神社には、農耕にちなんだ儀礼がいくつか伝えられている。
この池は、古くから利用されてきた灌漑用の溜池であったと思われる。
熊野神社のある丘陵の南側には、沖積低地が広がり、この池の周辺が早くから水田が開けていた。
市の坪などの地名は、条里制の存在を示すものである。
またいの池には片目の鯉の伝説も伝えられている。
熊野神社の裏にのの池があり、神社の神事の際にその水が使用される。
さらにいの池の西方約500メートルのところに、ちの池と呼ばれる溜池があった。
今は埋め立てられて大曽根第3公園となっている。
この3つをいのちの池と呼んでいるのは、かつての時代の人々の水に対する関わりの深さをよく表している。
弁天社
市杵島姫命
 
江戸名所図会にも描かれている弁天社。
恵比寿や大国の神様などとともに七福神に数えられている弁天様は音楽や弁説を司る神様として信仰されているが、もともとはインド神話に登場する河川の神であった。
従って当社の弁天様のように水辺に多く祀られているのは、弁天様の水神としての性格に由来してると言って良い。
平成23年3月11日の東日本大震災の際、社殿屋根のすべてが崩壊したが、同年には修復工事を行い現在に至っている。

 

 

くるくる~

さらさら~

 

柔らかな風が届いてくるような

清らかな優しい空気。

 

 

・・・・キティちゃん(v人v)ラブラブ


 

 

おやっ?

 

左側に注目。

 

 

水の神様が祀られています。

 

 

 

っといっても

見た目は・・・



こんな感じ。↑

 

 

龍神様の頭みたい。

 

 

 

はぁああぁぁ・・・。キラキラ

 

 

水滴が落ちた水の模様のように

小さく広がってくる渦の気。

 

 

軽やかな風が

膨らむ旅

 

体が清められる感覚。

 

 

気持ちいい~~。
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弁天社の後ろのベンチで

一休み。

 

 

おばあちゃん気分。ニコニコ

 

 

 

 

あっ!

 

そうそう。

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みてみて~音譜

 

 

この師岡熊野神社のすぐそばには

杉山神社があって

お散歩できるコースがあるの。
 

 

このあたりは

自然がたくさん残っていて
 

パワースポットも

いっぱい。嬉しい

 

 

散策が楽しいスポットです。

さっ、

 

道路をほさんで反対側が

 

関東随一大霊験所 

師岡熊野神社。キャッキャッ

師岡熊野神社
 
ご祭神
伊邪那美尊、事解之男命、速玉之男命
 
当神社に伝わる熊野山略縁起によると、この神社は第45代聖武天皇の神亀元甲子年に、全寿仙人によって創建され、和歌山県熊野三社の御祭神と一体である。全寿はこの地に不思議な霊威を感じ御神木梛の大木のうろに住み日夜祈り続けた。ある暁、夢枕に熊野大神が立たれ、お告げに従って大和国春日明神に参籠、神霊を感得してこの地に帰り、熊野大神を祀ったのである。
仁和元年7月には光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が此地に下向され「関東随一大霊験所熊野宮」の勅願を賜りそれ以来、宇多、醍醐、朱雀、村上天皇の勅願所として社僧十七坊が、附せられた。
数多くの古神事の中に現在続行されている筒粥神事は、天暦3年より一千数百回になる。
観応2年6月17日雷火のため社殿は焼失したが神体、社宝は無事であり特に貞治3年記の熊野山縁起は現存して神社の故事を伝えている。
例えば勅使着用の大口袴は大口の地名に残り、供奉者の足を洗った子安足洗川、顔を清めた西寺尾町字面滝、馬の鐙を納めた鐙宮(阿府神社)参向儀式の行われた式坂、更にいの池、のの池、ちの池の伝説等、枚挙にいとまがない。
室町期に、北条早雲公、慶長4年徳川家康公、寛永19年家光公、寛文5年家綱公より御朱印地を載いたのを始め、代々の将軍家の崇敬きわめて篤く、神社への御朱印は幕末まで続けられた。
明治元年神仏分離の際、熊野神社と法華寺とに分割され、明治3年懸社に列格したが氏子の陳情する所あって、明治6年三十三ヶ村の郷社に列した。
当社は、関東地方における熊野信仰の根拠地として、又横浜北部の総鎮守の宮として古代より現代に至るまで広く篤い崇敬をうけている。

 

 

 

社紋になっている八咫烏は

熊野大神のお使いである神使。

 

 

夜明けを呼ぶ鳥、

太陽を招く鳥ともいわれ

 

人生に迷い闇に覆われ悩むときも、

明るい希望へ導く霊鳥

 

足の守護神、人生の導きの神と信仰されているそうです。ひらめき電球



師岡熊野権現宮といっていたんだね~。ひらめき電球

師岡熊野神社の筒粥
 
筒粥とは稲作民族の間で行われる粥占、粥だめしの一種で、竹筒や芦の筒を入れて粥を煮、筒の中に入った米粒の数で作柄、豊凶や天候を占う年占いです。
師岡熊野神社では毎年1月14日に行い、粥粒の量により農作物の作柄などをそれぞれ5種に分け占札に記入し氏子区域に配布します。農家ではこれを参考にして種まきをしました。
また粥は参詣者に供せられ、これをいただくと風邪をひかないと言われています。
社伝によれば、この行事は村上天皇の天暦3年以来、1千余年継続しているとされ、由緒も古く農作にまつわる重要な民族行事です。
よろしくおねがします~っキラキラキラキラ
右手にいらっしゃるのは・・・
 
 
稲荷社
 
宇迦之御魂神
神社石段の右側に鎮座している、表谷戸上講中の稲荷社。
この稲荷社は大変に古く江戸名所図会や、新編成武蔵國風土記稿にもこの位置に出てくるので、少なくとも江戸中期には存在でしていた社である。
京都の伏見にに鎮座する伏見稲荷大社を本社と仰ぎ五穀豊穣商売繁盛の神様として広く信仰されつづけている。
 
 
強い意思
ドッシリ支えるお力もありそう。
 
力強い稲荷様です~。きらきら

地神塔と祠、素朴なきつねさま。目キラキラ

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はぁ

 

はぁ

 

 

あっ、今日は軽い~私の足。音譜

 

 

この階段ね

不思議なの。

 

登るときに

軽く感じるときと

重く感じるときがある。

 

 

自分の体のエネルギーが軽いときは

階段がつらく感じないんだけど

 

自分の体のエネルギーが重いときは

かなりしんどい・・・。

はぁぁぁあ・・・・キラキラ

 

 

最近

師岡熊野神社は

 

手水舎も境内の雰囲気も

新しく生まれ変わって

 

開いた空間で明るい印象の神社。

 

 

 

綺麗になったというか

こざっぱりした感じかな。

 

 

 

くるくる~くるくる~~~



温和な空気、

清らかな空気が流れ

 

地域の氏神様らしい雰囲気よ~。

 

 

 

ふひぃ~

 

 

体も心も、

元の気に戻って

 

心の安定となりそうな力。

 

 

でもね・・・もっといいところが・・・

わ~いっ馬

荘厳な雰囲気。

 

 

この森・・・

 

ぐる~~~ぐる~~~~~~~叫び↑

ここが

のの池。

のの池

 

当神社草創の地である。

この池の水は禅定水と呼ばれ、

どんな干天でも涸れることがなく

大雨でも水があふれることもないといわれています。

南北朝期の落雷による火災で、社殿が焼失した時

神宝、神体等をこの池に投げ入れ

焼失を免れたと伝わっています。

 


 

今は池の周りが舗装されているけれど

以前は土のままだったの。

 


それでも、

 

ず~っと枯れることがなかった

不思議な池。

 

 


 

はぁぁぁあぁ・・・・キイロキラ

 

 

 

くるくる~ビリビリビリ~

 

 

 

ご神木のような

木の根元にたまった水

 

そして、この木も

 

女神さまのような

ふわりとした気

 

 

やさしい~。

 

 

 

心に浸透する

慈悲深い

 

やわらかさ。

 

 

 

 

合わせている

手のひらも

 

ぽかぽかだ~。ニコニコ

その隣には・・・

 

新しく生まれ変わったお社が

並んでまーす。合格

 

 

 

 

★天満社 菅原道真公

社号は天満大自在天神。『天神』『天神さま』ともよばれている。

祭神の生前の名前から菅原神社

天神を祀ることから天神社などとなっていることもある。

道真公の怨霊信仰から発し、雷雨を招く農耕神へと転化し

近代以降は祭神の徳を称えて学問の神として崇められている。

現在の熊野神社市民の森内、天神山広場内に祀られていた社を

明治四十年に現在地に移設したものである。

 

 

思考と発想を

助けてくださる力。


 

★社御神 石神

由緒不詳。長野県の諏訪信仰を源流とする農耕神であり

食を下さる杓子奉納を象徴とするミシャグジ信仰は

東日本の広域に渡って分布しており

当初は主に石や樹木を依代とする神であったとされる。

近世からは、その語呂から俗信として癪の神、咳の神などへも

転化している。

 

 

ドシリと地に降りる重厚な力

生命力、安定力。

 

 

★山王社 大山咩神 大物主神

山王社は山王信仰に基づいて、日吉大社より

勧請を受けた神社で日枝神社とも称して日本全国に

約三十八社ある。神仏習合期には山王と称され

今日でも山王さんの愛称で親しまれている。

猿を神使とする。

当社は師岡の表谷戸上の講中にて祀っていたものを

何時の頃か現在地に移設したものである。

 

 

穏やかな山頂をイメ―ジする

健やかな気。

 

 


★白山社 菊理媛大神

白山は、富士、箱根とならび『日本三名山』のひとつに

数えられる秀麗な峰である。白山から流れ出る豊富な水は

北陸から東海地域まで豊かな恵みをもたらしている。

このため、古代より白山は『命をつなぐ親神様』として

崇められていた。師岡仲谷戸にあった社を

明治四十年に現在地に移設したものである。

 

 

透明感のある爽やかな気。

その他にも

たくさん。

 


稲荷大神 宇迦之御魂神

御嶽社 大己貴命 少彦名命

道祖神 猿田彦神

 

浅間大神 木花咲耶姫命

 

水神宮 弥都波能売神

熊野神社の伝説の池の中で

唯一境内地を離れ、昭和五十年代に埋め立てられて

公園(大曾根第二公園)となっている

『ちの池』に祀られていた水神様を当社に移設したものである。

仏像も。パー

 

 

 

馬頭観音像

江戸時代に西国三十三ケ所・坂東三十三ケ所・

秩父三十四ヶ所を巡礼してきた人が

満願を記念して建てたとされる。

本人の記念ということではなく、自ら得た功徳を

他者にも施すという意味もある。

師岡表谷戸の下郷にあったもの。

 

青面金剛像

六十日に一度回ってくる庚申の日に人の身体の中にいる

さんしの虫をおさえる力をもった金剛童子で

青い顔で憤怒の形相をしている。

三猿を従者としている。

 

地神塔

春分、秋分に最も近い『戌の日』を社日といい

前夜に講の人々が当番の家に集まり

『堅牢地神』の掛け軸をかけて、

地神の日待を行い、翌日の社日は農耕作業を休んだ。

社日は、田の神と山の神が交代する日と考えられたため

その年の稲の豊作を願い、農業に関係の深い土地神様を祀る

このような行事が行われるようになった。

権現山へいく

入り口には

 

あまてらすさまっよっ

 

 


神明社 天照皇大神

 

天照皇大神を主祭神とし、我が国の総氏神として仰ぐ

伊勢神宮内宮を総本社とする神社である。

皇大神社、天祖神社などともいい、通称として

お伊勢さんと呼ばれることが多い。

元々師岡南谷戸にあったものを、明治四十年に

当社鳥居脇に移転。昭和三十年代に現在地に

移設したものである。

 

 

 

光のパワーが強い。

 

 


 

・・・ってわけで


もうお腹いっぱいですが
 

私が好きなのは

ここからの道のり。

権現山広場に向かいます。

 

 

 

ヘイホッ

 

ヘイホッ

 

 

 

サワサワサワ~

 

 

 

風が

そよぐと

木々が笑う。

 

 

自然の生きている音が

いっぱい。

 

 

一気にどこにきたの?

 

という感じだよ~。(笑)笑

 

 

 

 

そういえば・・・


 

以前きたとき、

一度だけ。

 

 

この山の上が

真っ白な光に包まれていたことがあってね・・・

 

 

本当に雪のように

真っ白な世界だったの~。キラキラ

(でも季節は秋)

 

 

 

UFOでも降りてきた?というくらい

光 光 光。

 

 

 

白い世界に

吸い込まれるような

 

上昇する気に

しばらく動けなかった。

 

 

 

こういう聖地って

なかなかない。

 

 

本当に

神様がおりられた世界

 

という感じがしたなぁ・・・。

さっ

5分ものぼらないよ。

 

権現山広場にとうちゃく~~っっ万歳


 

 

師岡貝塚


鶴見川中流の右岸丘陵上にあり、北西へ張出す半島状大地の基部から北東に分岐した舌状台地南半部に所在し、標高は約43メートルです。貝塚の規模は東西約20メートル、南北約15メートル以上と推測され、ハイガイが主体をしめ、他にハマグリ、アサリ、シオフキ、オキシジミ、アカニシなどからなる海水性のものから構成されています。

本貝塚は縄文海進によって形成された古鶴見湾岸に分布する縄文時代前期貝塚郡のうちで保存状態が良好な貝塚として、さらに市域での類例の少ない中期前半の貝塚として貴重です。
 

 

 

ってことは

 

この辺りも

海だったんだねぇ。

 

 

おや?

 

 

足元に・・・

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えええっっ!?ええ!!

 

 

まさかまさか

貝塚の貝????

 

 

 

キョロキョロ

 

 

あっ

ここにもある。

 

 

貝のかけららしきものが

ところどころ散らばってる。

 


縄文時代のかけら。

 

まだ残ってるってことかな???

 

 

 

 

テテテテッ足あと

はああぁぁぁ・・・・キラキラ

 

 

ぐるぐる~くるくる~

 

 

きもちいい~

 

この一角だけ

荘厳な気が流れてる。

 

 

祠とかはないけれど

明らかに地場が違うの。

 

 

ふぅ~

 

 

 

こういう場所

好き。

 

 

ずっと

佇んでいたい。


景色を眺めて・・・
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ベンチでごろ~ん。ゴロゴロきらきら


 

 

 

空をみあげていたら

 

木々がはなれたり

くっついたり

 

スローモーションで

ワサ~ワサ~とゆれうごいている。


 

 

眺めていると木々の動きが
海の波みたいにみえてくる。

 

 

自然って

空も海も木も動きがにている。

 

 

 

師岡熊野神社は

自然がいいなぁ。

 

自然が好き。

 

 

 

ぜひ、水と木、山の力も

吸収してね。

 

 

 

~師岡熊野神社~